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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「音楽は雑音だ」と言い切る学者肌の知人の認識についてお尋ねします。)

音楽は雑音だと言い切る学者肌の知人の認識について

このQ&Aのポイント
  • 音楽は雑音だと言い切る学者肌の知人の認識について考えてみました。
  • 学者肌の男性は音楽を音の強弱やスピードの速さで判断し、何らかの意味やイメージを持った音として認識しないようです。
  • 彼の認識に至る理由はわかりませんが、絵画についても同様な基準で美を評価するようです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • a731217
  • ベストアンサー率46% (47/101)
回答No.5

私もその知人男性と似た認識をしています。 以前ピアノを習っていましたが、 「決められたタイミングで決められたところを決められた長さ押すゲーム」 という感じの認識でした。 楽譜は読めるようになりましたが、音楽としては認識できません。 長さが違うからって何なんですか? テンポって意味があるのですか? ※脈拍に近いテンポは心地よいのはわかる気がします。 音楽のイメージって後付した意味以外のものがありますか? ※例えば「葬送行進曲」みたいなものです。 楽しい音楽って?? 人によってバラバラなのを強制しようとしていませんか? 「ドレミファソラシド」と「ある楽曲の旋律」の意味の違いを 万人共通の認識として説明できますか? 以上のように、私も「音楽に意味などない」=「雑音」だと思っています。 曲のイメージがわからないのはその音(旋律)に関する想像力が 働かないだけなので気にする必要がないのではないですか? 楽しい時に聴いていた音楽=楽しい音楽 悲しいときに聴いていた音楽=悲しい音楽・元気付けられる音楽 と記憶の中で個人的に結び付けているだけではないですか? ちなみに、下の例に上がっている「虫の音」は季節を感じる感覚として認識してます。 以上ご参考になりましたら

cojohan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。また返事が遅くなりまして、大変申し訳ありません。 ようやく、知人と同じような認識をする方から回答をいただくことができ、うれしい限りです。 知人のようなタイプの人は、これまでに出会えたことがなく、知人は世界中で独りぼっちなのかな?と思っていました。けれど、やはり同じようなタイプの方は他にもいらっしゃったようで、安堵しました。 たしかに音楽のイメージって後付けしている気がします。記憶の中で個人的に結び付けているんだとも思います。 私は無類の音楽好きなので、無意識のうちにイメージの後付けを行っているのだと思いますが、考えると、人の認識というのは本当に千差万別であって、音楽や音に限らず、認識ってさまざまなものがあっていいんだ!と、回答を読んでとてもうれしくなりました。 ちなみに、今回の質問およびa731217さんの回答を知人に伝えてみたところ、「全く同感だ」と言ってました^^ 人間の認識はもっと自由であっていいと確信を持つに至ったこの回答に対し、心から感謝します! ありがとう^^ 

その他の回答 (4)

回答No.4

西洋人のなかには、「鈴虫の鳴き声」が雑音(Geraeusch)と言う人もいるね。というか、多い。 単調な太鼓のリズムを大きな音で聴かせる若者の”音楽”を雑音と思う大人は多いしね。 雑音とか音楽ってのは、やはり、A Posterioriなんじゃないかね。 大工の浅知恵だけど、ご参考まで。

cojohan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。また、返事が遅くなり、大変申し訳ございません。 国や生まれ育った地域によって、何が音楽で何が雑音なのかが変わってくるようですね。不思議だなぁ。 たしかに、若者が打つ太鼓を雑音という大人って多い気がいたします。かく言う私も、過激な大音量のロックは雑音(むしろ、騒音・ノイズ)にしか聞こえないです・・・。 音楽、そして音ってとっても不思議なものなんだということがよく理解できました。ありがとうございます。

回答No.3

 人間が何かを評価するとき、そのもの自体をゼロから評価するのではなく自分の中にある価値基準と比較して評価するということでしょう。だから基準をもっていないものは評価できない。欧米の人たちは秋の虫などのなき声も単なる雑音としか思えないといいますし。  ごくまれに、間違った基準を用意してしまって対象に接触することによる混乱などもあります。「麦茶だと思ってぐいっと飲んだらめんつゆだった」などという場合、最初はそれがなんであるかの認識すら出来ないといいます。麦茶を受け入れる基準を用意していたところにまるで違うものが来たため判断できなくなってしまったということです。

cojohan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。また返事が遅くなり、大変申し訳ありません。 たしかに基準を持つ持たないは、重要な要素のように感じます。 欧米人には鈴虫の鳴き声の良さが理解できないのですか・・・もったいない気もしますが、人それぞれですので致し方ない気もします。 とても興味深いご指摘で参考になりました。ありがとうございます。

回答No.2

蛇足ですが。 「シュレディンガーの妻は元気か」バンブー・コミックス(著)中島沙帆子 をお読みになる事をお勧めします。 「音楽」や「絵画」などをまったく理解できない「理系旦那」を持つ妻を描いた4コマ漫画です。 タイトルは「シュレディンガーの猫」が元になったそうです。

cojohan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 さっそく読んでみます。

回答No.1

英語を一度も聞いたこともない人に英語を聞かせると「雑音。何を言っているか判らない」って言います。 ロシア語を一度も聞いたこともない人にロシア語を聞かせると「雑音。何を言っているか判らない」って言います。 音楽を「雑音」と言うのは、上記と一緒です。 英語を言語だと認識していない人は英語を聞いても雑音と言います。 ロシア語を言語だと認識していない人はロシア語を聞いても雑音と言います。 音楽を芸術だと認識していない人は音楽を聞いても雑音と言います。 絵画についても同じで、絵画を芸術だと認識していない人は美を見出す事が出来ず、配置バランスなど「自己が認識している判断基準」で判断するしかありません。 そういう人に何を言った所で「お前が言っている事の意味が判らない」って言われるだけです。

cojohan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は、音楽と絵画に関する彼の認識構造およびメカニズムと認識過程についてお尋ねしたかったのですが、私の質問文における説明が足りなかったようです。 回答に対し、感謝いたします。

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