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2カ国語以上の話者、になったことのある人に質問
- 2カ国語以上の話者になったことのある人に質問です。会話する内容によって使う言葉を選ぶ経験や、使う言葉によって自分の情緒が変化するという経験があるか教えてください。
- 2カ国語以上の話者になったことのある人に質問です。会話する内容によって使う言葉を選ぶ経験や、言葉の選択が自分の情緒に影響を与えるという経験があるか教えてください。
- 2カ国語以上の話者になったことのある人に質問です。会話する内容によって使う言葉を選ぶ経験や、言葉の選択が自分の感情に変化をもたらすという経験があるか教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
> 全く同じメンバーで 他言語の地域で交流したとすると どのような言語が選ばれるのでしょうか? メンバーが同じなら,他の地域に行ったときでも言語の選択はほぼ同じだと思います。 > 複数言語の生活が長くなると 言語による情緒の変化は 少なくなる傾向があります。 ほう,そうなんですか。私だけの現象ではなかったのですね。 > もし可能ならば 《以前はそう感じていた》時期の 日本語 英語 フィンランド語 の情緒的な違いについて 教えて下さい。 あまりよく憶えていませんが,少し違った人格を持っていて言語が変わるたびに切り替えていたような気もします。あるいはそう考えることによって,日本語を介さずに聞いた言語でそのまま理解したり発想したりしやすかったのかもしれません。 情緒とは少し違いますが,話をするときの視点は言語ごとに違うと思います。たとえば日本語だと文末の敬体・常体を常に意識していなければならないし,英語だと単数,複数,不加算や the の有無が気になったり,フィンランド語だと格変化の微妙なニュアンスに気をつけるといったように。でもこういう意識も,もっとそれぞれの言語が上達すると変わるのかもしれません。
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- cipher_roy
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通訳や翻訳をしているうちに20言語以上使う身になってしまった者です。 私自身は、気分や内容で変えるということは特にないです。そうしたいと思ったことも特にありません。 その言葉が一番大人数に通じ易い言葉だからその言葉を使うというだけですね。 この言葉を使うとこんな感情になるからということも意識したことがありません。 私にとって大事なのは一番速くしかも確実に相手と意思が疎通できるか、お互いに相手のバックグラウンドを 思いやって話せるかということで、どの言語であるかというのはそれを達成するための手段の一つに過ぎません。 シンガポールの件ですが、実際にはみんなが気分で使い分けているというのはあまり当たりません。 ごく少数、何ヶ国語も使える人がいますが、なるべく多人数が話せる言語に合わせているという 場合の方が圧倒的に多いです。あとは、仕事では英語や北京語などが必須になっているけど、 業務時間以外は自分の母語で話すのは珍しくない・・・という感じでしょうか。
お礼
想定外の方からの回答で 少し戸惑いました。 どうもありがとうございました。
補足
少し微妙なところがあるのですが 話者という言葉は 下記の様な 意味のつもりで 使っています。 翻訳しながら話している場合は 複数言語の話者には 当たらないと考えています。 思考に使われている言語が 母語のみの可能性があるからです。 無意識に 複数の言語を使っている 場合を 想定しての質問です。 ですから どちらかというと 相手を思いやらないでも 「自然に」自分が使ってしまう言語が 複数ある人 への質問です。 しかもそれでいて(相手を思いやっての言語の選択でなくても) コミュニケーションは成立している場合ということになります。
1."2カ国語以上の話者、になったことのある人に質問します。" 2."もっと驚いたことには、シンガポールでは英語、マレー語、福建語、台湾語、広東語などを、話題や気分によって皆が使い分けているらしいのです。” 1.ですが。私は日本人とは無論日本語で話をしますね。英語を話すが日本語が出来ない人とは英語で、ドイツ語が出来る人とはドイツ語で喋ります。英語が出来るがドイツ語は出来ない人とドイツ語が出来て英語も出来る人が同じ場に居合わせたら、私は英語で出来る限り喋ります。その場に日本語しか出来ない人が来たらどうしますか? 2.の件ですが、マレー系の人はマレー語と英語でしょうけど、福建語とマレー語とは恐らく同じ人が同じ程度にできるか、疑問があります。福建と台湾は元々同じ系統だそうです。 マレー、中国(全般)、インドなどの人々が共通に話ができるようにと考えて英語が取り入れられたののではないでしょうか。従って、あなたが挙げられた全ての言葉を相手や気分などによって、切り替えて話をすることは、一寸無理があるのではないでしょうか? 私はドイツ人院外の人とドイツ語で話し合ったことがあります。大学出たての頃は英語よりドイツ語の方が楽に出てきたからです。後は、英語で話していて、相手にドイツ語が出来ますか?なんて質問をして、Okでしたのでドイツ語へ切り替えたことが何回かあります。しかしその場合も、第3者のことを考えて、英語に切り替えましたが。 言葉を切り替えた場合、直後は変な感じでしたね。 あなたの質問への回答になりましたか?
お礼
回答ありがとうございます。 直接的な回答ではないように思いますが 参考になる回答です。 どうもありがとうございました。
補足
《従って、あなたが挙げられた全ての言葉を相手や気分などによって、切り替えて話をすることは、一寸無理があるのではないでしょうか??》 という疑問は、5の方も抱いている様な気がします。 しかし、本人がそのように言っている以上、僕が修正することはできません。 ただし、彼のおかれている立場が、特殊なのかもしれません。 彼は、中国本土の女性と結婚してから、仕事の関係でシンガポールに移り住んで、日本、中国、東南アジア、欧米で仕事をしています。 3人のこどもたちは、両親の日本語、中国語、とそして英語を産まれたときから話すようになっています。 また、彼らの兄弟親類にも国際結婚の人がいて、日常的な親密な交流があるようです。
- mide
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> 会話する内容によって使う言葉を選んだことがありますか? 職場で日常的にやっています。フィンランド在住ですが,職場ではフィンランド人以外の人も多く仕事の内容は結局英単語が多くなるので,内容が仕事のときは英語で話すことが多く,雑談はフィンランドのことが多いです。 英語で話しかけられるととりあえず仕事モードで聞きますし,フィンランド語で話しかけられると仕事以外のことかなと思って聞きます。でもいつもそうとは限りませんし,相手にもよります。自分で話し始めるときも内容と相手により言語が変わることがあります。 今は日本人があまり回りにいないので2言語間の選択ですが,以前日本人の多いところでは状況により3言語から選んでいました。 > また、使う言葉によって、自分の情緒が変化する、様な経験はありますか? 以前はそう感じていましたが,今は言語による影響はほとんどないと思っています。
お礼
興味深い回答有難うございます。 もしかしたら フィンランドから回答していただいたのかしら 質問に書いた人とも この数年 メールと電話でしか 話していません。 通信機器の変化には 本当に感心させられます。 また いま 周囲には ノルウェイ語の 話者はいるのですが フィンランド語の人はいません。ですから 小さなデータでも 非常に興味深く 面白く思います。 《英語で話しかけられるととりあえず仕事モードで聞きますし,フィンランド語で話しかけられると仕事以外のことか》 という反応は 現在フィンランド在住だからでしょうか。 全く同じメンバーで 他言語の地域で交流したとすると どのような言語が選ばれるのでしょうか? 興味は尽きません。 《以前はそう感じていましたが,今は言語による影響はほとんどないと思っています。》 仕事の関係上 日英仏 や 日英伊 を中心に 3カ国語以上の話者になった人が 周囲には多いのですが複数言語の生活が長くなると 言語による情緒の変化は 少なくなる傾向があります。 サンプルは少ないのですが どの言語を使っても 同じ情緒で 遣り取りをする様になるまで 5~10年くらいでしょうか? もしかしたら 個人差が多いのかもしれませんが。 もし可能ならば 《以前はそう感じていた》時期の 日本語 英語 フィンランド語 の情緒的な違いについて 教えて下さい。 貴重な回答 ありがとうございました。
- multi_pon
- ベストアンサー率40% (240/589)
1.会話する内容によって使う言葉を選んだことがありますか? 相手がその言語を理解する場合に限りますが、単語単位では使い分けることがあります。 例えば英語がわかる相手には「彼は educated な話し方をするね」と言いますが、 英語がわからない人には「彼は教養のある話し方をするね」と言います。 その過程で頭の中には educated が先に浮かんでいるので「教養のある」という日本語に訳す作業が必要になりますが、 私の中では必ずしも educated=教養のある ではなく、あくまで educated なのです。 2.また、使う言葉によって、自分の情緒が変化する、様な経験はありますか? あります。今のところ母語である日本語、英語とスペイン語(非ネィティブ)ですが 英語は論理的でポジティブ、自分を全面的に出す感じです。悪いところをあげれば 繊細さに欠けてしまいます。 スペイン語はロマンチック、情緒深く情熱的。感情を大袈裟に言う傾向があります。 日本語よりははっきりものを言いますが英語ほどではない。悪く言えば論理的ではない。 そういう感じで情緒変化・人格変化しているのを感じます。 いずれも意識しているわけではなくて、言葉の作りがそうさせているようです。
お礼
ご回答有難うございます。 非常に興味深い回答です。 1、《私の中では必ずしも educated=教養のある ではなく、あくまで educated 》という言い方は、実感として分かります。 小説やエッセイ系など 科学的な記述中心の書籍以外は 基本的には原語で読む様にしています。実際は、読むというよりも見眺める程度ですが。 感覚的な部分は 日本語に置き換えない方が はるかに分かりやすいですね。 2、《英語は論理的でポジティブ、自分を全面的に出す感じです。悪いところをあげれば?繊細さに欠けてしまいます。》 英語話者は そのような言い方をする人が多いです。 《スペイン語はロマンチック、情緒深く情熱的。感情を大袈裟に言う傾向があります。》 スペイン語話者の話ははじめてで、大変面白く感じました。 ただ 質問に書いた人とは別の 米国生活の長かった友人は 米国英語でも ネイティブな話者は その言葉で繊細な表現をしているとも言います。 彼自身はその繊細さを 日本語で説明できないらしいのですが 繊細な表現である とは 感じているようです。 バベルの塔ではありませんが けっこう言語の違いの中に 人類の秘密もあるのかなーーー とも思います。 どうも有難うございました。
お礼
ふたたび 興味深い回答ありがとうございます。 《あまりよく憶えていませんが,少し違った人格を持っていて言語が変わるたびに切り替えていたような気もします。あるいはそう考えることによって,日本語を介さずに聞いた言語でそのまま理解したり発想したりしやすかったのかもしれません。》 ごく自然な なだらかな変化を 明確に意識化するのは 難しいことです。 でも 分かり易い回答です。 《情緒とは少し違いますが,話をするときの視点は言語ごとに違うと思います。たとえば日本語だと文末の敬体・常体を常に意識していなければならないし,英語だと単数,複数,不加算や the の有無が気になったり,フィンランド語だと格変化の微妙なニュアンスに気をつけるといったように。》 こういった部分は 非常に面白いお話です。 《でもこういう意識も,もっとそれぞれの言語が上達すると変わるのかもしれません。》 そして 確かに変わる様なのですが こういった変化は 「上達」なのでしょうか。 自然に習得してゆく言語技術についてかたるのは 母語について語る様なものですから 1、2歳児の 知性について語る様なもので 至難としか言いようが無いのかもしれません。 興味深く拝聴いたしました。どうもありがとございました。