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江戸時代の戸締り
映画やテレビの時代物を見ていると、夜などに戸締りする場合、引き戸に心張棒を当てがっています。 では、外出時の戸締りは、どのようにしたのでしょうか。 何分のご教示をお願い致します。
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そもそも、江戸時代に錠なんてものはなかったんです。 商家などの土蔵に付ける海老錠(今で言う南京錠)ぐらいですね。 庶民の家なんかには、当然何もない。 で、じゃあどうやって守ってたかって言えば、マンパワーです。 農家(小作人)には、そもそも財産なんかないので、守る必要がなかった。 庶民も同じ。宵越しの金は持たねえなんて言葉がありますが、裏を返せば蓄財する習慣も手段もなかったんです。 庄屋や商家は、使用人が絶対だれかいる。武家屋敷も同じ(ってか、刀持ってる人がいるわけだから、おいそれとは入れない) 武器がない庶民の家は、いわゆるコミュニティとして守られてた。とにかく何でも筒抜けってのが長屋暮らしだったので、知らない人がいようものなら、あっちこっちで声掛けられる=監視されてるので、おいそれとコミュニティに侵入できない。 また、まかり間違って被害に遭っても、助け合いの精神がすごかったので、なにかとケアしてもらえた。食べ物や着物分けてもらったり、お金カンパしてもらったり。 で、それでも夜は・・・っていうのは、夜間はさすがに監視の目が緩むってことと、押し込みなんかで命狙われる方が怖いってこと。 とにかく、最近もコミュニティが希薄になったので空き巣が増えたなんて言われていますが、それは事実と思うべきなんです。その補完材料として、高価な鍵や、高価なガラスって話になってるってこと。
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- ultraCS
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商家であれば、完全に留守にすることはなく、使用人が残るか、留守番を頼んでいました。それでも不安なときは土蔵に入れて南京錠や阿波錠(高価なので大店くらい)を交っていたようです。 http://obk.at.infoseek.co.jp/joumae.html http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/tetsu/050411.htm 職人などは、そもそも、資産がなく、全財産(大した額ではない)を持ち歩いていましたから、心置きなくそのままで留守にしていたようです。夜、心張り棒を交うのは押し込みなどによる生命の危機を回避するためです。
お礼
有難う御座いました。 成程なと思います。
- kendosanko
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そりゃ、夜は 時代劇撮影所の入り口にいる 守衛さんが見張ってます。
- 風車の 弥七(@t87300)
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今も田舎ではそうでしょうが昼間出かけるときは戸締りなどしませんでした。 お隣さんに「ちょっと出かけてくるね」って言えば終わりです。 昔の長屋は壁が薄く泥棒が入ればすぐに分りましたし、ご近所づきあいでよそ者は入る隙がなかったのです。 夜は各長屋ごとに木戸を閉めるので誰も入ってこられません。 夜回りも盛んでした。 江戸時代は今以上に安全な町でした。
お礼
ご教示、有難う御座いました。戸締りのしようもないし、長屋なら人の目も多いから、そうなるのでしょう。 気になるのは、小金のありそうな一軒家などはどうしていたのかなと。
お礼
詳しくご教示頂き、有難う御座いました。 納得がゆきました。 要は、「戸締りしなくても、長屋なら人の目があるし、盗られるものもあまりない。金目のものがあるところは、人が居る」という訳ですね。 豪商の二号さんのいる寮なども、爺やだけでなく、それ相当の準備はしていたのでしょうね。