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人は死んだ後 本当に幽霊になるのでしょうか
人は死んでしまったら 魂が抜けて幽霊となり この世に未練が無くなると成仏して天国か地獄に行くというのが 大体一般論ですよね。しかし本当に死んだら幽霊になるのでしょうか? もしも本当だとしたら、少し変な言い方ですが「第二の人生」を 歩むことが出来るということになると思います。 自分としては、幽霊は実在してくれないと嫌ですww なぜかというと 幽霊がいないという事は 死んだ後に残るのは「無」ということになるわけですから 死んでも魂が生き続け、身内や仲間を見守るという話が本当なら 実にドラマチックなことだと思います みなさんの中に、本当に幽霊を見たという方はいますか? もしも見たという方がいたら 安心できます^^
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- umibouzu3
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あえて言いますと。 『真実を理解する事は貴方を幸せにしない』って事だと思っています。 最終的には、真実として、どうか?ではなく、貴方がどう信じたいか?って事に尽きます。 きっと貴方の中に答えはあり、信じる事ができる事が、貴方を幸せにします。 人はいつか死にます。 誰しもが、この法則に逆らう事はできません。 そして、死にたいと思っています。 だからこそ、死というものを、前向きに生きる為に、どう捉えて考えるか?が最も大切だと、俺は思っています。 死後の事は考えないでおこうではなく、死ぬからこそ! 生きる事を考えようよ! 死ぬって事をもう少し前向きにとらえよう!ってのが 私なりの考えであり、答えかな?
- moca1319
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他を検索していたら質問にヒットしたので…。 幽霊はいます、そして見えます。私はどこにいても見えます。楽しそうな顔、怒った顔、自殺現場で繰り返し出没する人、事故現場の横断歩道を毎日渡る人と7年遭遇しました、職場が変わったのでもうその霊には会いませんが… そして会話も出来ます。 不思議な事に私は若い頃から自殺、事故の現場に遭遇します。踏切待ちでの自殺が3人、ホームでの飛び込み3人、この人達とは最後の瞬間目が会い旅立って行きました、歩いていて上から人が降ってくる、旅行に行けば海で隣になった人が水死、飛び込みなど数えればきりがなくこれらが霊を見るのと関係があるとは思いませんが、常識とかあの世とか、無とか、科学とか関係なく、霊はいます。 いないと言う人は見えない人です。 10年前内蔵の病気で死の淵をさまよいました、私は自分の寝ている姿を宙に浮かんで見ていました。寝ている傍らで亡くなった母がまだ来てはいけないよと言っていましたそして必死で私を起こしています、その時3日ぶりに目が醒めました。 だから霊はいます、魂は形が有る無しに関わらす未来永劫生き続けてます。
霊の存在については既に仏教の唯識説で答えが出ているようです。 浅学ですがお話します。 推論ですので一蹴されても結構です。 眼耳鼻舌身の五感を前五識といいます 意識を第六識といいます 潜在意識と一般にいわれる意識をマナ識・第七識といいます 霊魂とは第七識以下における所産の現象です 第七識の上に根本識といわれる第八識があります 生前に第八識以上の世界に入る事のできた人には、霊魂現象は起きないといわれます 第八識以上の世界は、涅槃とも仏の世界ともいわれます 第八識の世界の光景は般若心経に説かれ描写されているものです 第七識を包括する第八識においては、人間の存在のすべてを「業」と呼びます 業が一時的に見えることが霊魂の正体です 霊魂には実体はありません 現世と同じく移ろうものだからです 業は消えることはありませんが、霊魂はいずれ消え去るものです そして、第八識に到達できなければ、業の定めによって再び転生します 霊とは、あまりにも人間臭く、悲しくも親しみさえ覚えるものです 故人の冥福を祈る気持ちもそこから生まれてくるのでしょう。
体が生きていないと自分というものが存在するこをを自分で確認することができないとあなたも考えていると思います。体が生きていても眠っているときも同じではないでしょうか。体が生きているときには存在するが死んでしまうと消えてしまうというっより眠っているときにも消えてしまっていると思います。つじつまが合うように考える力がどうやって出現するのかは誰にもわからないことだと思います。頭がなければだめでしょうが頭だけでも駄目だと思います。自分がいることを自分で知るという主体がものであると考えても、それはものの置かれている条件でも現れたり消えたりするものではないでしょうか。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
幽霊がいない=無というのはチョット違います。 人が死んで皆成仏してしまえば、存在は継続しますが、この世に留まる「幽霊」はいません。 どうも人は死んで後も一個体として存在すると考えているようです。そんなことから成仏して天国に行ってしまうか、このようのとどまるかという二者択一しかうまれません。 でも、水はコップに入っていればコップの形ですが、コップからこぼれると大きく広がり、ときに机からこぼれます。 魂が肉体という名のコップに入っているからといって、コップから出た魂もコップ状になっているかどうか…。 つまり、霊世界にいながらこの世とのコンタクトも取れるとすれば、成仏しても生きている人を見守る事が出来ます。 そのためにワザワザ幽霊になる必要もありません。 江原さんが、成仏している霊であるにもかかわらず「貴方の傍にいます」などと言うのはこの状態を説明しているんです。 批判する人が「成仏しているのにいるなんて矛盾だ」といいますが、彼が勉強したグループの考え方で昔からあり、全く矛盾するものではないのです。 人は生まれてから死ぬまでに長い歴史を刻みます。 一応それは思い出だけで、5歳の貴方は5歳だけの思い出しかありません。 しかし、仮にナイアガラ花火のように、一つの連続した流れでありながら、それぞれの時代のそれぞれの貴方が花火の火の様に、そこで時間を紡いでいるとしたら… 5歳の貴方は5歳のまま5歳の時間を今も暮らしていると考えたら… 逆行催眠で5歳になった貴方は5歳の思考で受け答えをします。 つまり思考とは想い出の一ページではなく、時に応じて再起動できるシステムのバージョンのような物です。 常は想い出でしかありませんが、貴方という魂が入ることによって、貴方の5歳が再起動して動き始めるのです。 しかも、この歴史は、決して止まっているものではないのです。 人が死を想像する時は、生きている今の状況で想像してしか語れません。 自分が思いの途中で挫折すれば悔いが残りますから、同じように突然の死は悔いを残してこの世に留まると考えます。 しかし事実は、大方の場合は、納得して死を受け入れますし、恨みを残して幽霊になるなどという事はありません。 もしこの世の留まるとすれば、それは思念の流れを逸脱するほどの強い念でしかありません。 それでも心残りと言う記憶、その瞬間の思い出は残ります。でも死んだ時の魂は死を受け入れ霊世界に帰るのです。 チョット難しい表現かもしれませんが 大事な事は、思い出は残っても、あなた自身はちゃんと霊世界にいけるし、あの世に行ってもこの世にコンタクトをとる事も可能です。 ただし、この世の人にどれだけ意思が通じるかは判りません。 私の父は「あっちに行ったら連絡する」と言いましたが。未だに連絡を寄こしません。これは私が連絡を受け取る力がないからでしょう。 でも、大きなお金が必要になるときには、必ず大きなお金が入ってくる(余分がないので完全に右から左ですが)これは父やそのほかの守護だと考えています。 つまり、声が聞こえなくても、見守ってあげる事はできるのです。 だから安心してください。 小さな幸せは加護です。悲しみや苦難が乗り越えられるのも守護です。だから「良かった」と感じたら「有難う」と言ってみましょう。
- jinseiwalk
- ベストアンサー率23% (372/1603)
死んだら次の生に行くだけで天国も地獄も霊もありません。これを輪廻といいます。 霊がいると言うのなら天国にしろ地獄にしろ霊であふれかえっているはずです。60億の人間だけで地球はぎゅうぎゅう詰めです。霊界はもう何億年分かの恐竜の霊で満タンでしょう。100億匹はくだらないでしょうから。 このように簡単に考えても霊界などあるとは思えません。
- burahuman
- ベストアンサー率27% (167/604)
>人は死んだ後 本当に幽霊になるのでしょうか どうなんでしょうかねえ・・ 死んだ事無いから本当は分かりませんがここで簡単な思考実験をしてみませんか。 死刑囚をドラム缶くらいの大きさのガラス瓶に入れてピッチリとふたをします。原子一個も漏れないほど厳密に。 で時間が経過すればこの人は間違いなく酸欠などで死にますが死んだあとに肉体から幽霊が分離してビンの中に漂う、筈ですよね。 目の前のガラス瓶の中に間違いなく幽霊が存在する筈ですが事実なら検証は簡単です。 21世紀の進んだ検出技術で肉眼で見える幽霊が目の前のビンに入っているなら間違いなく科学的に検出出来るはずです。 想像して下さい、ガラス瓶の中にフワフワ漂っている幽霊を。
- kei(@kei665)
- ベストアンサー率26% (63/236)
私もみなさんと同じで、死んだら「無」だと思います。 ただ「般若心経」では「空」と言っています。 「空」とは何もない事。 何も無いとは、体も心もないのですから、痛みも苦しみもない。もちろん家族も見守らない。第二の人生もない。 ただ、私の気持ち的には、この世に未練を残して亡くなった場合は「幽霊」として残り、「成仏」して亡くなった場合は「無」になるような気がします。そのために、亡くなってから49日と言う、「成仏」するための期間があると、ある住職は言っていました。 人は生まれた瞬間から「死に向かって歩いています」でも、年齢を重ねると、「死」が怖くなくなります。 私は、いつ死んでもいいと思っています。
死んだら無です。 如何なる神仏も人間が考え出したものです。 本当に霊が存在するのだったら殺人被害者は遺族や加害者の前に現れるはずです。 霊を見た人はいます。私も見たことがあります。 でもそれは脳で作り出されたものです。本人には実在したように見えますけど。
- untitti
- ベストアンサー率33% (2/6)
天国か地獄に行くということが一般論てのは違うとおもいます 人によって考え方は違うと思うので 天国と地獄の存在は信じません 幽霊が実在してるかどうかもその人の考え方次第なのではないのでしょうか 自分は幽霊の存在は信じています ただ 死んだら「無」になると思ってます かなり勝手な考え方なのですが、死んだ時に一番強く思ったことがそのまま幽体に行動プログラムとして組み込まれるみたいな感じだと思いますw そう信じたいです