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京都の宝鏡寺が百々御所と呼ばれているのはなぜ
京都の宝鏡寺はと呼ばれているそうですね。 なぜ【百々】御所なのでしょうか。 宝鏡は皇女が歴代となっています。 また女性の寺らしく多くの人形のコレクションがあって 人形寺とも呼ばれています。 女性の節句、といえば桃の節句なので 桃→百々 というわけなのでしょうか?
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先に結論を言うと 「わからない」ということのようです。 ただ、どちらかというと「百々町」にあったから という可能性の方が高そうです。 http://www.linkclub.or.jp/~mcyy/kyo/names/dodo.html (百々町由来) http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SKPB_jaJP214JP214&q=%e7%99%be%e3%80%85%e7%94%ba (「百々町」検索結果) 門跡尼寺には入寺の皇女とともに御所文化が 持ち込まれましたので、宝鏡寺ならずとも 門跡尼寺には多くの雛人形や御所人形があります。 ですので桃→百々 という可能性は薄いと思います。
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- boko10cho
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移築された百々橋の由来が書かれた案内板には、「宝鏡寺門前の東西の通りを 百々の辻と呼ぶのは、平安時代からであるが(後略)」とあります。 京都市洛西竹林公園という京都市の施設内にある案内板ですので、 でたらめな内容でもないだろうと思います。
お礼
ありがとうございます。 案内板には平安時代から、とあるのですね。 参考になりました。
- sayapama
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百々御所と書いて「どどごしょ」と読みます。 宝鏡寺がある住所が、百々町(どどちょう)です。 皇女が歴代となっていましたので、百々町の御所(どどちょうにある皇女様のお住まいの処)の意味から、「百々御所」になりました。 よって、桃とは全く関係はありません。
お礼
早速の回答をありがとうございます。 たしかに「どどごしょ」と読むようですね。 住所が百々町なのですね。 それでは『百々町』の地名の由来はどうなっているでしょうか。 なぜ百々町という地名がつけられたのでしょうか? それについて知りたいと思います。 また 百々町という地名から百々御所になったのか 百々御所があったから百々町という地名になったのか についても考えてみる必要があると思いますが、いかがでしょうか。 必ずしも地名が先で、建物が後、とはいえないと思いますが。 (地名から建物の愛称をつけたケースが多いことは存じていますが。)
お礼
回答ありがとうございます。 百々町のについて、面白く読ませていただきました。 十が十集まって百だから「どど」と読むというのは面白いですね。 百々氏という氏族があったのですね。 この氏族について調べてみるとなにかわかるかもしれませんね。 百々橋の他に百々川や百々瀬などもあり、水にちなむ地名でよく使われているのですね。 水の流れ落ちる音からくる、 いや、それほど流れがはやくないケースでも用いられているので そうともいえないと。 ただ、十が十で「どど」と読まれたのであれば やはり桃→百 となった可能性があるのではないか、と思ってしまいます。 百々町という地名がいつぐらいから使われているのか、 がわかればいいんですけどね。 大変参考になりました。