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死に際に会うべき?
先日、『親子の縁を切るには?』と言うタイトルで相談したんですが・・・。【http://oshiete.homes.jp/qa5718198.html】 今現在、実父は脳梗塞で入院しています。 最悪の場合、半身不随・意識障害(延命処置で生きてる)状態になると言う事でした。 もちろん延命処置をしてもらう気はありません。 そこで相談なのですが、私達兄弟は今現在も散々な思いをさせられてきた実父を親とも思っていないし、生きているだけで迷惑だと思っています。 親だから・・・と言う理由ではなく実父に何かあったりしたりすると、私達子供に迷惑が掛かってくる事を心配しての事です。(現に父と数年音沙汰なしでも警察から幾度か連絡があったことも) もし実父がこのまま他界したとしても自業自得だと思います。 悲しいというより、私達兄弟は『ホッ』とすることは間違いないでしょう。 正直、このまま他界してくれることを願っています。 私自身、父の死に目に会う気もないです。 ですが、このまま死に際に会わないと後悔するでしょうか? 自分がどうしたいのか?どうするべきなのかわからずにいます。 父の気持ち等はどうでも良いのです、父の為にではなく、私自身の為に最期に会わないと後悔するでしょうか? ※同じように実の親に苦しめられ親を憎んだまま、親が他界された方にお聞きしたいです。 死に際に会った場合 (1)死に際に会って良かった? (2)死に際に会わなければ良かった? 死に際に会わなかった場合 (3)死に際に会えば良かった? (4)死に際に会わなくて良かった? ※経験者の意見・経験談をお聞かせ下さい。 一般的な回答はご遠慮下さい。あくまで経験者の方御願いします。 【http://oshiete.homes.jp/qa5718198.html】
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質問者が選んだベストアンサー
前回の質問のNo.3です。 実母はまだ生きていますが、私は絶縁したので死に際に会いに行く気はありません。実母,実姉,その亭主が死んだら飲めない私がシャンパンで祝ってやろうと思っています。それくらいこの3人を憎んでいます。なぜ私だけが犠牲にされ苦しめられ続けなければならないのかって思っています。 ただ実母が死ぬ前に徹底的に罵りに行ってやろうと思っています。本当はまだ殴り足りていないので殴りつけに行きたいんです。80近いばばぁを本気で憎みきっています。あいつの体も心も頭の中も命も何もかもめちゃくちゃにぶっ壊して私の苦しみを思い知らせてやりたいんです。 葬式の席でも思いっきりあいつの事を罵ってやろうと心に決めています。 でもあなたはそこまで心が憎しみで満ちてはいないでしょう。父親に対してどこか赦そうという心があるでしょう。ならば会いに行った方がいい。 一つあなたと私の違いをはっきり申し上げましょう。あなたには旦那さんがいる。頼れる人がいる。これから先お子さんも生まれるでしょう。幸せな家庭を持てます。私には誰もいないんです。一人ぽっちで死ぬまで自分の世話を自分でし続けなければならないんです。自分名義のお金がなければ明日のご飯どころか今日のご飯も食べられないんです。そんな状況を考えれば例え親兄弟であっても何一つ協力もしてくれないどころか世話をし続けてきた私のことをキチガイ呼ばわりする母親なんか死んだ方がよっぽど幸せです。親の世話をして感謝どころか罵られ侮辱され続けたんです。そんな自分の人生を考えた時、心が憎しみ以外に満ちることはありません。赦せるはずがないんです。 でもあなたには家族がいます。その家族のためあなたの心を解放する為に会いに行って言いたい事を言った方がいい。どんなことでもあなたの心が自由になるまで言うことです。憎しみだけが自分の心だと思わないほうがいい。あなたには赦す心があります。それをご自身で認める事です。将来ご家族に本当の素敵な笑顔を見せられるように。 言っちゃいけないでしょうけど、うらやましい。私も誰か頼れる人がいればまだましだったかもしれない。一人ぽっち。生まれてから死ぬまでこの言葉から私は解放されないんです。
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- mama_015
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この質問は自分にとって中々重いもので以前のご質問、ごめんなさい、全ては読めないままお返事しております。 私も亡くした父を憎んではいましたが、質問者様よりは随分軽い憎しみかもしれないです。でもその当時、やはり同じ事で悩み、迷いました。 自然のままに任せてはいかがですか? 死に目に立ち会える状況なら立ち会えばいい。ダメならダメでいい。迷う状況であれば周りの体裁もあるし、取り敢えずは立ち会う。 そんな感じで心づもりをされていてはどうでしょうか。 私の場合は死ぬ前には形上和解しましたが、死に目には立ち会えませんでした。 それについては正直複雑で、子供の長としてずっと親のその場面にはどんな状況でも駆けつけると思っていたのにとそれをさせなかった人間達を恨む気持ちもあり、でも立ち会えないでよかったという気持ちもあったりもします。少し落ち着いた今は、親が死ぬ瞬間、正直その場にいるかいないかなんて余り大事ではないなと思ったりもします。こういう事を平気で言ってしまう私を、父はどう思っているのかなと思いながら打ち込んでいます。その瞬間・その後の葬儀・墓の守・・・。これの答えが出てもまた迷われる事は続きますので、今から考えすぎずに一瞬一瞬のその場の質問者様のお気持ちのままに過ごされてはどうかなと感じました。 どちらにしても「こちらでよかった。」とはならないのではないかな。 そんな迷いをお持ちの質問者様だからここで質問をされ、だからこそ実際どちらになっても迷われるのではと感じました。 私は、死に際に会えませんでした。 会わなかったのではなくて会えなかった。 立ち会えなくて良かったとも思いますし、無理をすれば会えただけに後悔している部分もあります。でもそれを、「会えない状況だったから仕方がない。」と思い込もうともしています。 ただ私の場合はそんな父をそばで看取った人間がいます。 だからそう感じるのかもしれないなと思います。 もしこれが父親が一人ぽっちで亡くなっていたら、もしかしたら後悔ばかりが残ったのかもしれないです。 状況によってこの回答の答えは変わると思います。 いっそもっと深い憎しみなら、もしかしたら「立ち会えずせいせいした。」と思うのかもしれません。 でも父を亡くして年月が経つにつれ、絶対に変わらないと思っていた自分の気持ちに微妙な変化が現れた事もまた事実です。 私の場合は、誰一人そんな父を死後は面倒見てやろう(墓守)という人間がおらず、父の生前と死後での周りの態度があまりに変わったからそう感じるのかもしれません。 まだ父を許せませんので手を合わせることはできません。 でも誰もこない父の墓を哀れに思い、掃除くらいはと通っているのが現状です。 誰か生前父の前で言った通り「(父の為に)立派なお墓を・父の思いを通して父を大事にしたい。」という思いを実行する人間が一人でもいたのなら、正直今の父の事を全て丸投げしたいです。 心から弔えなくて苦しい、なのにやはりする事は全部自分がしないと誰もしないのが腹立たしいし心から弔えないというのが正直なところです。 この答えはそれぞれの心情や憎しみの質、状況によって違うと思います。 こうやってここで質問されるくらい悩まれているご自分の気持ち。 きっと大きな憎しみがおありでしょうにそうやって悩むくらいのものをお父さんにお持ちなご自分を誇らしく思われていいと思いますよ。 直接な回答となっておらず申し訳ありませんが、「親だから全て正しい。」「血のつながりは絶対。」「親の子への愛情は絶対。」という理想論を自分の親によって崩された者として、お言葉を残させていただきます。 それを嫌というほどわかった上で悩んでおられるのが痛いほどわかるだけに、質問者様の今のお気持ちや迷いが少しでも楽になればいいのにという思いでいます。
お礼
回答、有難うございました。 おそらく父への憎しみ怨み辛みは一生消えることは無いでしょう。 許すことも出来ないでしょう。 親だからです。私も親になって子供の可愛さ大事さ愛おしさをしりました。 ですが、恐いです。親と言うものが・・・。 親は無償の愛情を子供に捧げる、持つものと思っています。 それが出来なかった父母の血を引いています。 父が死んでもまだ、私を苦しめるかと思うと死に際に会うことは私にとっては今までの事を許すことになるので、会いに行きたくはありません。 ですが、今は、最期の時が来たら会いに行こうと思っています。 その場で会うかどうかは別として・・・ それまでは病院へも行きません。会いに行く気もないです。 今度会うときは父が死ぬ時かもしれません。
3 死に際に会えばよかった私の父親は、若い時からの酒乱で、私たちは、苦しんできました。幼い時から、いやな思いをしました。兄は、ノイローゼのようになり死因不明、18歳で亡くなりました。父親が怖いと思いました。母との折り合いも悪く、父が死んでも泣かないのでは?と漠然と思いました。10年後に母が亡くなり私は、19歳で家を出ました。私が家を出た事で反省したのか、よく私のマンションに来ていました。私が23歳の時警察からの電話で亡くなった事を知りました。駆け付けると、仏様になってました。二週間アルコールしか胃に入れてなかったとか。引き出しを見ていたら、私への書き損じの手紙と、結婚式に使う白い手袋が。一度彼を連れていったので結婚すると思ったらしい。私は、不覚にも、溢れる涙をおさえる事が出来ませんでした。最後に会えなかった事は、残念でした。
お礼
回答、有難うございました。 >私への書き損じの手紙と、結婚式に使う白い手袋が。一度彼を連れていったので結婚すると思ったらしい。 後々、知ったら後悔するでしょうね。辛いですね。。。 でも、ウチの場合は今現在も父に迷惑を掛けられたりしていて、もし、突然死んだら、死んだ悲しさより、それまでの辛さ憎しみで溢れ泣くでしょう。 このまま生きていられると、私達子供だけでなく、私の主人・義両親にまで迷惑を掛けてしまいます。 やっと人並みの家庭・家族を持てた、私の生活をこわして欲しくない!それだけです。
父親を看取りましたが・・・会って良かったと思います それは父が好きだから嫌いだからという理由ではなく 自分の死を思った時に、もし臨終に立ち会ってなかったら 未知なものに対してとてつもない恐れを抱くのではと思います いずれは自分も死に行く身として、遺伝的に強く繋がった個体の死を 見とくに越した事はないと思います 死がわかればやみくもに恐れる事はないし、瑣末時に煩わされる事がなくなれば 自分が何をしておけばよいのかを考えておくことができます 他のこと(仕事の都合とか)が折り合うなら、自分の為に 見取るという非日常的なことを体験しておくのはいいことだと思いますよ
お礼
回答、有難うございました。 >いずれは自分も死に行く身として、遺伝的に強く繋がった個体の死を 見とくに越した事はないと思います 母の死を目の前にした時、ものすごい恐怖で母に触れること(死に化粧)も出来ませんでした。 ふと、思うことがあります。 父の死に際を前に、(やっと死んだか・・と)笑うかもしれないと・・・。 父として子としてではなく、もしそのとき(死に目)が来たら会いに行こうとは思いますが、まだ反発心を捨てきれずに迷っている自分も居ます。
私の場合、仕事中だった為、息を引き取る瞬間には立ち会っていませんが、 病院には定期的に行きましたし、家族として葬式も出しました。 ありきたりなことだと言われるかもしれませんが、 自分の中できちんと終わらせる為にも、 出来れば死に目に立ち会った方が良いでしょう。 その時、自分の中に生まれる感情は人それぞれなので何とも言えませんが、 それを確認することは必要なことだと思います。 (悔しい・悲しい・スッキリした・何も感じない、等々) *私自身は「何も感じない」でした。 友人は「勝手に生きて勝手に死にやがって・・悔しい」でした。 後悔するかしないかではなくて、 「自分の中の本当の感情」を確認する為、 「次に進む為の一つの区切り」の為には、 立ち会った方が精神的にプラスになる確率は高いでしょう。
お礼
回答、有難うございました。 もう2週間ほど、病院へ行っていないし、兄弟でも連絡も取ってないので、どんな状態・状況なのかわかりません。 知りたくもありません。 >自分の中できちんと終わらせる為にも、 出来れば死に目に立ち会った方が良いでしょう。 わからなくはないですが、そう思う自分と反発する自分がまだ整理がつきません。 こうしている間に行き息を引き取ったとしても、それはそれで父も私も運命だと思います。 父として子としてではなく、自分自身の気持ちが会いたいときには会いに行こうとは思っています。
- tukinou
- ベストアンサー率34% (60/176)
全く同じというわけではないのですが、私の場合 両親のネグレクトがありました。 現在40代半ばのシングルマザーです、昨年 秋に父が他界し、認知症の母の介護と父方の祖母(施設在住:父が一人っ子だったため)の保護責任者となっています。 父は、死後発見でした。遺体の一部は完全に腐っていました・・・・・・部屋中 ものすごい臭いで、当時 1週間に一度来てくださってるヘルパーさんが発見して、通報してくださいました。 私の場合、主に 母が家庭崩壊の原因でした。 私が中学生くらいのころから、母の長年に渡る不倫が始まりました。高校を卒業するまで、お弁当を作ってもらった記憶がないし、私立校に通ってる弟は溺愛されていたので、彼がその系列大学に進学するお金はあっても、成績の良い私には進学が認められない過去があります。父は そういう母を容認し、自分は 酒と仕事に逃げていました。 子供の頃、一生懸命 貯めたお年玉も、高卒後 働いて”嫁入りのための貯めているはず”の貯金も全て、母が男に注ぎ込みました。 なので、私は20代始めに、家を出ました。 私が20代半ばの頃、職場に母方の伯母から連絡が入り、”事故”で入院してるので、病院にすぐ駆けつけてほしいと言われました。 男と痴話喧嘩の果て、ぼこぼこに殴られ、全身骨折した挙句に道路に放置されたのを、通りがかりのドライバーが発見し救急車で搬送されたという事実は、後で 病院の方から聞きました。母の持ち物を調べたら、サラ金のカードやメモがあり、連絡したところ、300万円以上の借金があることが発覚、父に連絡、グダグダ言う父に入院費からその借金全てを返済させました。 そんなことがあっても、夫婦同居していましたが、その後 警察にお世話になったり、懲りない母は別口と始まったり・・・・・・・・何度 言っても、母を禁治産者(当時はこういう制度がありました)にすることもなく、母の認知症が 疑われるようになったのは、数年前からなのですが、父は頑として こちらの進言に耳を貸さずに、認知症の母に食事を用意したりする能力も無く(自分の食欲だけは満たすのが不思議ですが)、結局 餓死のような状態で亡くなりました。 なので、お葬式こそ挙げましたが、墓もありませんし、弟と永代納骨でいいよね?って話しています。祖母のことも母のことも 全て 残したままで、弟は 離れた土地に在住してるため、私一人が 全てを担っています。 さて・・・・・・・肉親を亡くしても 涙は ほとんど 出ませんし、後悔があるとすれば、若い頃に 母の親としての責任をもっと追及しておけばよかったかと思うくらいです。(したところで、何も変わらなかったと思いますが、意思疎通が図れない今となっては、言っても仕方が無いので) 父の死 以後、さまざまな手続きがあって、他に頼れる人もいないため、私自身が 体調を崩しました。 今は、全ての物事が 粛々と終結を迎えるべく、法的な手続きを進めています。 死に際に間に合ったところで、その死を先延ばしに(入院措置をするくらい?)するくらいの効果があったかどうかで、本音を言えば”やっと一つ終わったか”という感想でした。 後の厄介ごとは いつも 私に来てしまう・・・・・・・そして 解決する苦労は 自分は担わない、そんな親も世間的には存在できるんだなって 思っています。 私にできるのは、そういう悪循環のようなことは、次の世代たる私の子供には担わせない それだけです。 人は みな 幸せになるために 生まれてきたと思っています。どうも 私には 適用されなかったようですが^^;
お礼
回答、有難うございました。 >私にできるのは、そういう悪循環のようなことは、次の世代たる私の子供には担わせない それだけです。 私も同じ気持ちです。自分の子供にだけは私のような思いを絶対にさせたくはありません。 また、自分が親になったからこそ、実父の行動が余計に許せないものに変わりました。 >人は みな 幸せになるために 生まれてきたと思っています。どうも 私には 適用されなかったようですが^^; 私もです。。。母親が死んで、同時に父親も亡くしたより性質が悪い。 居るだけで、子供に迷惑を掛ける親なんて必要ない。 血が繋がっているだけで先々不安です。
- 植松 一三(@jf2kgu)
- ベストアンサー率32% (2268/7030)
私は母親の時も、父親の時も、死に目に会って居ません と言うより兄弟3人とも死に目に会っていません 母親はやさしく、会いたかったのですが、私は、仕事で通夜も出ていません≪母親の時には父親と、長男の嫁が看取りました≫ 父親の時にはやっと、死んでくれたかと思いましたが、この時には父親は病院から急変の連らいくで行きましたが間に合いませんでした けして尊敬できない父親でしたが、見とれなかったことは一生付きまといますので、私としては看取ってあげた方が良いと思います
お礼
回答、有難うございました。 私は父としても男としても人としても最低な人間だと思います。 そんな人の死を前にしても、悲しいのか?涙は出るのか? まだ答えは分りません。 憎しみは消えません。 まだ、全てを許せるほど、私は大きくないです。。。。 それでも、看取るべきなのか???わかりません。
- macchan2
- ベストアンサー率18% (79/426)
質問者様のご質問、私と似たケースです。参考になる点がありましたら幸いです。 数ヶ月前、私の父は病院で死にました。私は会いませんでした。 (4)死に際に会わなくて良かった?→はい 会わなくて本当に良かったです。公開全くしていませんし、自分の決めていた通りにできたこと、自分を褒めてやりたいです。 心に生じるだろう「後悔するぞ」という脅しは、「善良な親という多数派」の社会規範を守らせようとする無言の圧力なのです。少数派の、親から大迷惑を受けた者の身になって考えられたものではないのです。 または、お父さんがあなたに言い続けてきたことかもしれませんね。 死に目に会わずに後悔しない道はここに私が歩んでいます。 後悔しないようなやり方を探しましょう。逃げるのではなく、自分が生きやすくする道を探す「攻め」の手で行くべきです。 ともかく事実として私は父を病院に我が手で叩き込み、どれほど病院からせがまれても絶対に面会せず、病院とは事務手続きで関わり(しかし事務請求に遅れを生じたことは一度もありません。弱みを見せませんでした。)そして死んだ後に初めて顔を見ました。これを支えたのは極めて強い彼に対する怒りでした。怒りを形にしたまででした。それは、会わないという行為でした。 彼の死は事務的な片付け事として処理しました。毛ほども後悔していません。これは父の死生観の影響でしょう。彼も納得するやり方だと確信が行くからやったとも言えます。 ただし注意すべきは、とりまく親戚とか、職場とか、社会的な説明は丁寧にしましたよ。生き残った者はかなり驚きますから、この影響は多大です。生きている人の動揺への対処を手を抜くと後悔しやすいでしょう。できれば、ありきたりの葬式をやれば一度で型が付くのかもしれません。 私はあらかじめ職場には丁寧に一切お断りの説明をして、葬儀には人を呼ばず、翌日の忌引の日に主だった親戚に挨拶に出向きました。 あらかじめ葬儀屋と綿密に打ち合わせ、病院から葬儀屋で法定の24時間預かってもらい、経過後に火葬場へという「直葬」を行いました。ネットで探しておいた納骨堂なかなか見つからないに入れました。もちろん坊さんも戒名もなしです。 この様に大変静かな葬儀をしたので、彼の死と、それによって揺れる自分の心と、静かに向き合うことができました。物質的には灰になったはずの、しかし心には記憶として残る父と、静かに向き合うこと、それを自分の心の事実として鎮めていくこと、それは、私がこれからを静かに生きる目的に必要な行為でした。具体的には私は般若心経の写経をしています。ご自分に合った方法をされてください。 太古の昔から、人類は死に向き合う儀礼を大切にしてきました。それは、あとあと自分がその死者から「たたられる」事を恐れたからです。死者を恐れるのが、人という生き物の習性だからです。(ありもしないことに想像を巡らす力の源かもしれません。芸術や科学、文化の源です)人は死体への恐れは避けられません。(死に目に会えと言ってるのではないですよ。お間違えなく) 人という種が、祟りを恐れ、死体への葬儀を大切にしてきたことは参考にすべきです。それは自分が後々ビクビクして生き続けず、さっぱりと自分の生を生きるために。 父の死を看取る必要は、私にはありませんでした。でも、最低限の葬送の儀礼は、自分が安らかに生きつづけるために必要でした。 参考までに、葬儀屋に支払ったのは三十万、納骨堂に約三十万でした。普通なら数百万は当たり前みたいです。全部父の金で支払いました。未だに借金相続で大きい迷惑しています。でも負けません。
お礼
回答、有難うございました。 父に会わないことで怒りや憎しみを伝えたいと思っています。(どんだけ言ってもわからない人なので) ですが、『一人淋しく死んでいけばいい』(意地?)そう思う反面、会わないと自分が後悔するのかな・・・?と言う思いもあります。 まだ答えはでません。 常に思うのですが、父の死に際を看取ったとしても、悲しいのか?涙は出るのか? もし父が死んでも憎しみは消えません。 今は会いに行こうとも思っていません。
- ziziwa1130
- ベストアンサー率21% (329/1546)
私は子供の頃、父親に虐待されていました。 当時は躾としての体罰はありましたが、父親の場合には度を超えていました。 今年27会期を迎えますから、26年前のことです。登山に行き、遭難して、翌年4月末(GW)に遺体で発見されました。 さて、ご質問に対する回答ですが、 (4)死に際に会わなくて良かった です。葬儀の時に涙も出ませんでした。母と、父親に溺愛されていた弟は号泣していましたが。
お礼
回答、有難うございました。 幼少時代、母は上の子、父は末っ子を可愛がっていて、私はいつも一人でした。 でも、私は父が大好きでした。 今は大嫌いです。父としても男としても人としても最低な人間だと思います。 常に思うのですが、父の死に際を看取ったとしても、悲しいのか?涙は出るのか? まだ答えは分りません。 例え、父が死んでも憎しみは消えないと思います。
お礼
回答有難うございました。 >実母が死ぬ前に徹底的に罵りに行ってやろうと思っています。 私も同じようにも思います。 ですが、私は会わないことでうらみ辛みを・・と思います。 今まで散々、罵倒もしてきました。ですが何を言っても無駄な人(父)です。 最後は開き直ってしまいます。(質が悪い)親であって他人です。 >でもあなたには家族がいます。その家族のためあなたの心を解放する為に会いに行って言いたい事を言った方がいい。どんなことでもあなたの心が自由になるまで言うことです。憎しみだけが自分の心だと思わないほうがいい。あなたには赦す心があります。それをご自身で認める事です。将来ご家族に本当の素敵な笑顔を見せられるように。 子供の頃は父が大好きでした。その分、今は大嫌いです。 父として男として人として最低な人間です。 私には守るべき家族が居ます。その家族を守る為に・・と思っています。 その為にも会いに行ったほうが良いのでしょうか? いまは、最期が来たら会いに行こうとは思っています。 でも、その場に立ったら、会わないかもしれません。 その時の気持ちで行動したいと思っています。 >私も誰か頼れる人がいればまだましだったかもしれない 確かに私は主人が居たから頑張ってこれた。 今、壊したくない守りたい家庭・家族が出来た。と、同時に不安もあります。 あの父母の血を引いている私です。父母のようにはなりたくないし、なってはいけないと思っています。 子供はめちゃくちゃ可愛いです。でも、私もいつどうなることかと不安も感じてます。 その試練は一生ついて回るのは私の運命かな?と思います。