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長州は
何故攘夷から倒幕にいこうしたのでしょうか?
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攘夷と倒幕を対立するものと考えておられますね?攘夷は対外政策、倒幕は対内政策と考えれば、すっきりすると思います。 倒幕か佐幕かで藩レベルで揉めており、攘夷か開国かで、国が揉めている状態だったようです。 無理矢理条約を結んだ幕府(井伊直弼の先走りか?幕府内でも揉めた)に対して、日本中の攘夷思想家が怒り狂ったので、倒幕に拍車がかかったようです。 その後、倒幕を志す浪人たちを攘夷派と呼ぶようになったため、多少の誤解が生まれるようになったみたいですね。因みに、長州は常に攘夷論の藩でしたが、藩の政治家が二つに分裂しており、高杉率いる倒幕派と、圧倒的に強い幕府になびく恭順派との政権争いで右往左往したのです。 余談ですが、新撰組(近藤)は攘夷佐幕論者です。
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- birdswing
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回答No.2
私の考えは、四カ国艦隊下関砲撃事件が一番の要因だと思まいます。これで西洋の先進文明の破壊力を知ったんだと思います。そのことが、高杉を奇兵隊を作ることにはしらせたんだと思います。実際、伊藤博文は、この事件を若い頃、目の当たりにしていたので、戦争回避論者で、後の日露戦争には最後まで反対していたそうです。