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新選組の疑問点とは
- 新選組を勉強してみると、いくつかの疑問点にぶつかりました。
- 新選組のメンバーには、尊皇攘夷思想を持つ者や左幕派など様々な人物がいました。
- この記事では、浪士組のメンバーの思想や行動について解説します。
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#1です。 ちょっとあわてて書いたので、的を得ていませんでした。 >左幕派は開国を提唱し、倒幕派は尊皇攘夷思想だった。 微妙なニュアンスなんですが、佐幕派は幕府による政治を支持していましたが、開国に関しては、必ずしも賛成していないと思います。ただ、政策として幕府は開国したために、結果的には支持する形になっていったのだと思います。国内政策を支持するために結局対外政策も支持せざるを得ないという状態でしょうか。思想まではひとつになっていないと思います。 倒幕派は海外との条約を結んだという事実に対して、幕府を信頼できないとする一派で、外国人を殺戮することで幕府の外国に対する立場を弱める目的もあったのではないでしょうか。ここで言われる「倒幕派」として分類される「尊王攘夷派」という言葉はもっと後になって定着したと思います。 。(1)芹沢鴨は強力な尊皇攘夷思想を持っていたはずなのに、どうして浪士組に参加したのでしょう? このころは尊皇攘夷は当たり前だったと思います。それよりも、倒幕という発想がもう少し後なのではないでしょうか。少なくとも、芹沢には倒幕の発想はない(そこまでの政治思想はない)と思います。 (2)当時の社会風潮は尊皇攘夷思想に傾倒していたように思うのですが、近藤勇は左幕派だったのでしょうか? これについては#1で説明しています。 たびたびすみませんm(_ _)m
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- neuro
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尊皇攘夷の定義は徐々に変化していったので、明確に定義することは難しいと思います。思想的な意味から説明しますと、尊皇と佐幕は相対するものではありません。天皇を敬いながら、政治は武士が執り行うというのが尊皇佐幕であり、完全に天皇親政を目指したのが尊皇倒幕です。攘夷については、思想的には外国人を嫌う思想であり、これは当時の日本人のほとんどが持っていた思想です。開国派とはいいますが、これは、海外の技術や学問を取り入れて、日本を強くしようという思想で、考え方としては攘夷であることは変わりません。 当時の日本では攘夷思想の浪人たちが片っ端から外国人を殺し、さらに幕府(井伊直弼)が勝手に開国をして、開国反対派を粛清していきました。攘夷派が反幕府という方向に流れていき、最終的には倒幕派(薩長)と佐幕派の戦争となります。 近藤の内政的な考えは尊皇佐幕でしたが、攘夷と開国については不明です(私が知らないだけかもしれませんが)。
お礼
早速ご丁寧な回答を頂戴しありがとうございます。 左幕派イコール開国派ではないわけですね。同様に左幕攘夷思想も有りということですか。 なるほど、確かに倒幕思想はもう少し後の方ですね。芹沢鴨に関しては面白そうなのでもっと調べてみたいと思います。どうもありがとうございました。