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開眼する(かいがんする)と開眼供養(かいげんくよう)なぜ開眼の読みがか

開眼する(かいがんする)と開眼供養(かいげんくよう)なぜ開眼の読みがかわるのでしょうか。 ささいなことですが、なぜか気になります。おわかりの方、回答よろしくお願いいたします。

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回答No.2

これから書くことは、「開眼」について特定の根拠や証拠に基づく話ではなくて、『漢字』と日本語の関係、全体的な傾向のことです。 明確な答えがあるものではないので、考え方の参考としてください。 漢字は、一般的には「音読み」「訓読み」というふうに学校で教わりますが、実際にはもう少し微妙な問題がありまして、音読みの中で「漢音(かんおん)」「呉音(ごおん)」の違いもあります。 歴史的に、日本は中国から文化的な輸入をしていて、古くから漢字とともに「漢音」が日本にはいっています。文字を「漢字」と言うのと一緒で、その文字の音が「漢音」です。 ただ、呉音についてはどんな経路で日本へ入って来たか不明で、奈良以前、非常に古くから日本へ入っていたものもあれば、平安に入ったものもあるようで、呉音そのものがどんなものであるか、はっきりした定義が出来ないところです。 ひとつはっきりしているのが、仏教の輸入とともに、呉音が入ったことです。 仏教の勉強をした日本人が行った土地では、漢音と少し違っていたようです。 そのために、仏教用語は、漢音とは違うものになりました。 「建立(こんりゅう)」などは「けんりつ」とは読みませんね。 こうした、仏教をとおして広まった読みは多いようです。 それで、仏教の行事である「開眼」は「かいげん」です。 「かいがん」の方は、一般的な意味として、「学問などで、勉強するうちに、なにか切っ掛けなどつかんで成長したり、わかるようになる」ことを「開眼」などと言いますね。 語源としては、仏教の開眼に通じるものだと予想できますが、「かいがん」の場合は、仏教用語とは別の場所で使われる言葉です。 江戸時代の塾などは、文字の読み書きは「漢文」を学ぶものでしたから、この場合、漢音になります。 江戸時代に学問を修めた人は、音読みが好きな傾向があるようです。 余談ですが、そうした伝統で、日本の政治家は名前を音読みにする趣味があります。 森喜朗(もりよしろう)は、政治家のあいだでは「キロウさん」などと呼んだりします。 学問などの方面の人は、昔から(江戸時代ていどから)「開眼」を「かいがん」と読むのが普通です。

回答No.1

開眼かいがんは、視力をよくすること、 開眼かいげんは、仏教徒の儀式に関連するみたいですよ。

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