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他の大学院への再入学した場合の就職はどうなのでしょうか?
- 大学院での就職活動に問題があり、他の大学院への再入学を考えている場合、就職の状況はどうなるのでしょうか?
- 研究活動に問題があり、指導教官との関係がうまくいかずに就職活動を進められない状況です。
- 留年や公務員試験、他の大学院への再入学など、就職活動における選択肢や年齢についてお悩みです。
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- mumba3
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私も似たような体験を昨年したばかりの修士二年です。 境遇が異なるので何とも言えませんが、 ・テーマについては教授から「これ(ある化合物)について調べろ」と言われたのみ。調べて持っていくと、「もっと調べろ」 ・就職活動に関しては基本的にノータッチ です。 指導に関しては月1回程度の報告の際に助言を頂きましたが、だいたいは「よく計画を立てて進めておくこと。」などの精神論。 幸い、直属の講師の方に頻繁に相談しに行くことで年末くらいにはそれなりの結果を出すことができました。 あなたに言えることは、 ・就活は個人のこと、将来を左右すること、なので後悔の無いようにやった方がよい ・実験は手を休めないこと ・結果の有無にかかわらず、教授やその他スタッフに頻繁に報告しに行くこと(週に複数回) あなたが本当に頑張っているのであれば、いずれも乗り越えられることだと思います。あなたのところの教授が異常なのではありません。(就活を妨げるのはちょっと、、、ですが) 再入学という話は、自分の考えがしっかりしていれば就職に響くということはほとんどないと思います。ただ、今のような状態ですと、恐らく、再入学しても変わらないと思います。 以上長々と書きましたが、修士の場合は結果はもちろんあった方がいいと思いますが、実験から得られた結果を考えることが重要だと私は思っています。 がんばってください。
- goober453
- ベストアンサー率26% (26/98)
私の大学院時代の指導教授は副学長で多忙だったためか、指導は全くありませんでした。そのため暫くの間は暗中模索で結果が出ず大変悩みましたが、なんとか成果を出してPH.D.を得ることが出来ました。 その後の長年の研究生活でも、新しいテーマで仕事を始めるときに指導してくれる人も教えてくれる人もなく、何時もなかなか結果が出せなくて苦しみました。研究成果が挙がらなくて焦っている夢を、今でも時々見るほどです。しかしそれは研究者の宿命だと考えています。 私の勤務先では年齢が30歳近い修士や博士(家族持ちもいました)も新卒として採用していましたし、40歳近い30代での中途採用もありました。ほかにも同じような企業は少なくないと思います。
>指導教官より「就職活動することを認めていない」と説明会へ行く途中に連絡があり「すぐに戻ってきて自分のところへ来い」と言われました。 同業者としての立場からいうと,これはやりすぎだと思います。他人の人生にかかわることに,そこまで干渉する権限はありません。むろん,あなたの修士論文を(数名の査読のうえで)不合格にする権限はありますよ 笑。いっぽう, >そのたびに「それのどこが新しいんだ?人の真似をしても意味がない」とやることを全否定され、そのたびにコロコロと実験内容が変わってしまいました。 というように,あなたの研究内容がつまらないものなら,修士課程を修了する見込みも薄いです。 さて,自分ならこういう院生にどう対処するか? こうしますね: まずは就職活動しようがどうしようが,いっさい口出ししない。就職が決まったら,うむを言わせずこちらから提示したテーマと実験計画で研究をやらせ,うむを言わせず論文を執筆させ,めでたく修了さいなら。
- P-mann
- ベストアンサー率62% (56/89)
イラっとしたのでキツい表現になることをお許し下さい・・・。 ちょっと研究をなめすぎです。研究は自分主体でやるものです。 確かに「学生」である以上は指導してもらいたいと思うのも当然ですが、それ 以前にあなたは一人の「研究者」なのです。極論を言えば、自分だけの専門分 野を持ち、指導教員にすら自分が教えられるようなレベルを目指さなければな らないのです。 私から見ると、そこまで面倒を見てくれるのは「かなりいい指導教員」だと思 います。普通そこまで見ません。No.1さんも書かれていますが、論文を数本渡 してくれるか、むしろ放置です。私は一本ももらっていません。 もちろん、共著の論文を書けばチェックしてもらえますし、議論を行う場もあ りますが、当然自分の考えで戦います。「議論」は戦いです。戦うことでより よい考えが生まれたりするものです。 「それのどこが新しいんだ?人の真似をしても意味がない」 と言われて反論できないのであれば、自分の考えが足りないだけのことです。 反論できる材料をそろえて研究をまとめ上げなければ、当然卒業なんてできま せん。反論しても論破されるかもしれません。修士課程の最初の頃は知識も十 分ではありませんので可能性としては十分にありえます。そのような場合はもっ と勉強して考え、その考えに従って研究の方向性を決めていくものです。 実験をしていることが「何かしている」というのは間違いです。研究的意義の ない実験はただの時間の無駄です。何を明らかにするために、何のためにそれ をやって、どんな新しいことが分かるのか、が重要なのです。 > なぜなら私に与えられた研究テーマがこれまで研究室で行われてきたことと > まったく関連性が無い上に、誰もわからないようなことだったからです。 そんなの当然です。研究なのですから。これまで誰かがやってきたことだけを 行うことには何の意義もありません。 私自身、これまで誰も挑戦してこなかったテーマで修士論文を書きました。 当然研究室の人は誰も教えてくれませんし、自分で調べるしかありません。 他の研究室にも頻繁に足を運び、文字通り「倒れるまで」頑張りました。 そのような考えをお持ちのまま他の大学院に行っても同じ事の繰り返しです。 あるいは甘い研究室であればそんなことはないのかもしれませんが、そんな甘 い研究室に行くこと自体に何の意味があるのでしょうか。 研究という道だけが人生ではありません。 現在では修士課程を卒業すること自体にそれほど大きな意味はないと思います。 経歴に汚点が、という人もいるかもしれませんが、退学して就職するのも1つ の手ではないでしょうか。経歴なんて実力次第でどうとでもなる時代になって いると私は思います。
言いにくいのですが、神経科の病院へおいでください。 理由は簡単、この長文の中に段落が一つしかない。 これは神経系の病気の兆候です。それも神経内科ではなく、精神神経科の系統の異常と考えられます。 ただ、一つ経験者として申しますと、通常教授は論文を13編も渡しません、2から3編だけです。あなたのところの教授は非常に行き届いた方だと思います。 それと、不思議に思うのは、なぜ自分の仕事に関し主張し続けずに、「そのたびにコロコロと実験内容が変わってしまいました」というようなことをしたのでしょう? 研究者はキチガイと言われて当然で、自分のやり方は絶対変えないのが普通です。