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死を恐れる子供に死をどう説明すれば良いか・・・

こんにちは^^;初めて投稿します。ご意見をお聞かせ願いたく書き込みました;; 来月で5歳になる1人娘を持つ母ですが、先日私が始めての白髪染めを家で自分でやっていたところ、横で見ていた娘が突然娘が号泣しだしたんです。なんとか落ち着かせて理由を聞こうと試みると「ママが死んじゃう~ママが死んじゃう~;;」と涙も止まらぬままやっと答えてくれました;;私は怖くなりどうしてそんな事言うのか聞きましたところ、私が白髪のおばぁちゃんになって死んでしまう。そして自分もいずれおばぁちゃんになって死んでしまう!人間なんかに生まれたくなかったと号泣がしばらく続きました・・・まだ4歳の娘です;;これまでお墓参りは勿論、祖母のお葬式等に子供を連れて行く機械が有り、その時も火葬されるおばぁちゃんを見て熱くないのかとか、痛くないのか聞かれた事が有り、熱くも痛くもなく、お星様になって皆を見守ってくれるんだよと怖くないように説明してきたつもりだったんです。そこでもっと安心出きる回答はないものかと慌てて「ママも○○も死なないし、万が一死んでも生まれ変われるから大丈夫!」等と言ってしまいました・・・「でも星になるんじゃないの?」と聞かれ、その時点でママは嘘つきだと思われたに違いありません。そんな私の生まれ変わり説を信じているいるかどうか微妙なところですが、そこからまた1時間以上あれやこれやと安心させるべく話し真剣に聞いてくれました。こんな時どう答えれば一番安心させてあげれるものか良い案が有ればお聞かせ願いたいです。今もなお子供の心が痛んでないか、どうしてそこまで不安を感じたのか考えます;;私も同じような不安というか恐怖を小学校3年生の頃だったか凄く考えた事が有りましたが、4歳と言う年齢で死を考えるものでしょうか?

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  • ollicomes
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回答No.4

寺の者です。 幼いうちに「死」に触れる機会があるのは良いことだと思いますが、そこで親が「死」から逃げずに導いてあげないと、いたずらに不安だけが残るのだと思います。 質問者さんの場合で言えば、「死んで星になる」と言ってあげたのは、まぁロマンチックで、子供向けとしては悪くなかったと思います。でも、そのあとでとっさのこととは言え、「ママも○○も死なない」と口走ってしまったのは失敗だったと思います。親を嘘つきと思ったかどうかはわかりませんし、その場しのぎの嘘なんて、今までもこれからもいくらでも出てくると思います。でも、おそらく「死」が、簡単に口にしてはならない、恐ろしい、不可解なものという印象は持たせてしまったと思います。 わたしにも3歳と1歳の娘がいて、お腹の中にももう一人います。家が寺なので、子供は他の子供よりもわりと「死」に接することは多いですし、昨年の秋には、同居していた曾祖母の、痴呆状態で寝たきりになり、衰弱して亡くなり、葬儀から火葬までという流れを全て目撃しました。その後は、やはり「老い」や「死」について、こわいこと、寂しいことという思いを強くしている気がします。 先日わたしの誕生日がありました。そのとき、「ママは今日で34歳になったんだよ。あと10年したら44歳、20年したら54歳。そのうちお婆ちゃんみたいになって、ひいお婆ちゃんみたいになって、死んじゃうんだよ」と言うと、長女はあからさまに表情を険しくし、「でもママは○○ちゃんのことが大好きでしょ?だからずっと一緒にいるんでしょ?」と聞いてきました。 わたしは、「そうだよ。でもね、田舎のお婆ちゃん(わたしの母)だってママのことが大好きだけど、いつも一緒にいないでしょ?そのかわり、ママはパパや○○ちゃんと一緒にいられて幸せなんだよ。ママが幸せだから、田舎のお婆ちゃんも幸せなんだよ。ママが年取って死んじゃっても、その頃には○○ちゃんにも赤ちゃんがいて、きっと寂しくないよ。みんなそうなの。お婆ちゃんもお爺ちゃんも、パパもママも××くん(犬)だって、いずれみんな死んじゃうの。なんでもそうなの。順番で、そうなってるんだよ」と言いました。長女は、わかったようなわかっていないような顔をしていましたが、こういう話は、これまでにも折に触れて何回か聞かせてきたので、ことの流れとしては「死」を飲み込みつつあると思います。理解して、恐れないようになるのはまだまだ先のことだと思いますが。 「死」というか、死んだ後のことについては、実際に体験して戻ってきた人はいませんから、正確なことというのはない、というかわかりません。でも、人間に限らず生き物は確実にいずれ死にますよね。まず親が、自分なりの死生観をきちんと持っておくことが大切だと思います。そして、折に触れてそれを伝えてあげること。そういう場面がでてくる絵本を読んだときとか、あるいは食事のとき(死んだ肉や魚を食べるわけですから)、あるいは残り物を庭の草花の肥料にするときとか、現代は「死」に接する機会がないと言われますが、ちょっとアンテナを巡らせれば、「死」はどこにでもありふれたものです。 あまり時をおかずして、何かの機会にちゃんと話してあげてみてください。 ちなみに、わたしは「死」について話し、みんな順番でそうなっていると話したあとは、「でも、ママがいつも危ないって言っているようなことをしていると、順番が狂って年取っていない人が先に死んじゃうこともあるんだよ。だから、お外では走ったりしちゃダメだし、お菓子ばっかり食べたりしてちゃダメなんだよ」と軽い方向に持っていき、「じゃ、それがわかるお利口さんはおやつにしようか(お散歩に行こうか)」などというふうに着地させています。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!目から鱗です;; 私も子供も死なないと発言してしまった事、これは確かに嘘800!矛盾しすぎており子供も困惑しているかも;;早速訂正しておきます@@ お子様に対してとても誠実な対応で素敵なご家族ですね^^;我が夫は驚きのあまりか大丈夫と言って抱っこするだけでした^^;それだけでも子供に少しでも安心感は与えられたとは思っておりますが説明も何もあったもんじゃないので私がなんとかしなければと@@ 確かに死に接する機会はアチコチに転がっておりました!今後の参考といいますかお手本とさせて頂きたく思います! また子供が不安と恐怖に陥る日が近々有ればその時に!無ければ小学生になる頃にはキッカケをみつけ私自信も苦悩した経験も伝え、輪廻転生がなくとも人間として産まれた事を喜べる幸せな死の観念に塗り替えて行こうと思います。その頃には私の理想の夢物語を語った心境も解って貰えると思いますし、実は私はその夢物語を信じたいので信じていることも。記憶がなくともきっとまたあなたのママに産まれ来るという自信があると・・・それほど愛している事をしっかり伝えていこうと思います!

その他の回答 (12)

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.13

No3.です。ちょっと補足しておきます。 死後に、何不自由ない天国に行き、そして輪廻転生するからといって、「リセットボタンを押せば、同じような条件で仲間や家族がそろって再スタート」というゲームとは違いますので、そこを教えてあげると、「今の人生が唯一であり、大切なもの」と感じるようになると思います。 つまりは、輪廻転生したとき、生まれる時代も国も変わります。文明が進んでいれば、「ちょっと土星の輪見物の旅行にロケットで家族と行ってきま-す」でしょうし、逆に、核戦争で文明が滅んでいたら、「ちょっと食料得るために槍持って狩りに行ってくる!」っていう時代かもしれません。 当然ながら、家族も魂としてのメンバーが運良く?同じでも、親が子供に、子供が親になったり、また友人になったりと劇の配役のようにチェンジするでしょう。 また、天国に行っても、「会いたければ会える」とはいえ、自分が天国で、会いたい相手が地獄の場合は、危険を犯せば会えても、その逆の場合は、難しいです。つまりは、死後の世界に居ても、いまの家族と同様なメンバーでの生活はできません。 つまり、こういう時代に、現在の家族・友人で生活することは、唯一無二です。輪廻転生するとしても、今の人生が大切な人生であると教えてあげてください。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!そうですね^^;ゲームと同じような感覚になってもらっては生死を軽んじてしまう恐れがありますものね。輪廻転生は私の信じたい理想です^^子供にはまた生まれ変わってまたあなたのママとして産まれ来ると伝えてしまったんです^^;しかしこれから先、その話は理想であるけれど、その自信がある程愛している事を伝えていきます^^ しかし、残念ながら人間にはいつしか死が訪れる事、死を待って生きているのではなく今を大事にしていくこと。人生の楽しさを強調していきたいと思います!本当に有難うございます! お陰様で私の指針が固まりまして回答を締め切らせて頂きました。最後に回答下さったlv4u様へのお礼と共に、この場をお借りして回答下さった全ての皆さまにお礼申し上げます。とても参考になりました!有難うございました!^^!

noname#163573
noname#163573
回答No.12

誰もが通る道だと思います。 似た質問も過去にはありますし。 そして、良いことだと思いますよ。 その「死」の絶対的な恐怖を、知る、覚えるってことは。 死んでも怖くない、天国でみんなで暮らせる なんて言ってたら人の命や死を軽く考えてしまうかもしれません。 あの世でも幸せに お空で何不自由なく…? 死は怖い、不可逆的なもの、で良いと思います。 でもその死はなるべくなら、遠い時にあって その時のために今は楽しく生きて行かなくちゃってことを何度も教えてあげたり 気が紛れるような楽しいことをしてあげると良いと思います。 娘さんはとても大事なことを知ったのだと思いますよ。 そして4歳というとだんだん生活やこの世の秩序を覚えてきた頃ですよね。 いろんな決まり事、こうすればこうなる、この時間にはこれをする… 混沌の中に生まれ落ちた子供が世界からいろんなことを学び取り 規則性や秩序を知り世界を安定させた。 でもその安定したはずの世界がずっと続く訳じゃない! 死という終わりがある! そりゃ、怖いでしょうね。怖がって当たり前だと思うんです。 むしろ怖くなきゃいけないのではないでしょうか。 私はむしろ、まだ「死」を知らない子供に死を教えるときに 「いつでも会える」みたいに教える方がよっぽど怖いと思います。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!あれこれ考え、結論的には私もそう思います。 死がなければ生を生きる意欲までなくしそうで^^; 死は確実にやってくるけれど、解らない死後を考えるより、それまでどれだけ人生を楽しめるか。苦悩もあるからこそ幸せもあり、それを味わえる有り難さを教え、楽しい事に目をむけせてたいと思います^^ 解らない死後をどうしても考えるならば、私の夢物語をこんな世界もあればいいねと、断言しないで楽しく考えたいと思います。 皆さま素敵な回答を頂いてどれも頷けるものばかりでしたが、前にお寺の方の実際にこう導いているという例を示して頂いておりまして私にはとても理想的でした。 我が子が成長し大人になり子供を持った時初めてその真髄が解るのかもしれません^^沢山のご意見本当に有難うございました!

  • otherwind
  • ベストアンサー率40% (12/30)
回答No.11

> 哲学は深すぎてよく解らなくなります うーーーん、もちろん、そう思われたのは実感でしょうから、他人が否定はできないですが、私は必ずしもそうは思いません。 1歳半くらいのときに人間誰もが考えることとして、宇宙の始まりはなんだろうというのがあると思います。思いつくのが神様が造った、というものですが、しかしながら、であるとすると、ある日まで神様は宇宙を造らなかったわけで、神様をして、ある日、よし、宇宙を造ろうと思わせた原因があることになります。たとえば、神様はひとりぼっちで、退屈だったので、あるいは、寂しかったので、宇宙を造ることにしたなどですね。すると、神様は宇宙の原因ではなく、退屈や寂しさが原因となります。では、ある日まで神様は退屈だったり寂しかったりしなかったわけです。退屈さや寂しさにある日、神様をして気づかせた、自覚させた原因が、さらに遡って考えられます。以下、無限に、遡って、どこまでいっても、本当に本当の原因にはたどり着けません。これを無限後退の誤謬と言います。 底を考えた途端に、底の下が考えられますね。よって底は底ではありません。すると、結局、底なしが底であることが分かります。 同様の哲学で、仏教では、無始と言って、宇宙に始まりはありません。 いきなり、三千大千世界と言って、とてつもなく多数の太陽系があります。いつでもつねにあるのです。ある太陽系(正確に言うと須彌山世界ですが、まあ、簡単に言ったら、大地、太陽……の1セットがい1須彌山世界なので、太陽系と表現しました)に生きている生きとし生けるものたちが、こういう世界に住みたいななぁと願います。すると、そういう世界が、願いの力によって、宇宙の別の場所にできます。われわれのすんでいる娑婆(サンスクリットで「サハー」)世界もそうやってできた世界の一つですし、阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿閦仏の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界………のもろもろの浄土、仏国土もそうです。浄土の中で一番有名なのは阿弥陀仏の西方極楽浄土ですが、浄土というのは他にもいっぱいあるので、一般名詞です。 で、こういう世界に住みたいなぁという願いによってできた、新たな浄土に、生まれるわけですが、まあ、これは移住ですね。ある太陽系で命をまっとうし、毎日毎日を精一杯生きる、行き尽くす、全力投球します、すると、まあ、いつかはご縁が切れて、その世界からはいなくなりますが、他の浄土に生まれます。 もちろん、人気がなくなって、等々、住む生き物がゼロになってしまった世界は、生き物のエネルギー、願いがこなくなってしまうので、ゴーストタウンになってしまい、そうなってから、何千億年だかなんだか気の遠くなるような時間がたつと、徐々に消滅はします。 するんですが、一方で、宇宙全体では、新たに、ぼこぼこ、お浄土が生まれていますので、全体としてみると、いつでも常に、新たに天国というか星というか、生まれていますから、結局、全体としては、いつでもつねに、三千大千世界、大量に太陽系があります。 よって始まりはありません。 神様が宇宙を造りましたというのは、昔のインド人から見ると、誤謬=間違い、非論理的なわけで、無始は、無限後退の誤謬を免れており、論理的ということです。 必ずしも怖ろしくはないですよね。 素敵じゃないですか、願いによってどんどん、天国が拡充しているというのは…。永遠というとなんだか、動きがないように思えるかも知れませんが、永遠が、毎日、拡充しているわけです。願いによって。

masan88
質問者

お礼

とても面白いお話でした!願いによって産まれる浄土を信じれば永遠を得られる事でもあり恐れる事もないという事ですかね。始まりも終わりもない世界って不思議な気もしますね^^;この世にご縁がなくなっても知らない世界が無限にあり人間として今永遠の中の一節を生きている・・・論理的に有り得ると理解できました^^

  • otherwind
  • ベストアンサー率40% (12/30)
回答No.10

> 私も同じような不安というか恐怖を小学校3年生の頃だったか凄く考えた事が あったよ……と話してみるというのも一つかも知れませんね…。 唯一絶対の正解はないご質問ではありますから、難しいですが…。 怖かった?  怖かった。 でも今は怖くないの?  うーーん、考えたら怖いかな、でも…○○○○ (ここはそれぞれの人生なのでなんとも言えないですが、一般的には、友人、同僚、師、後進、連れ合いなどなど、生き生きとした人間関係、出会えて良かった、そして、またいろいろな人に出会える、という今、ここを、精一杯生きる、もっと、限定すると、誰かの役に立つというか、他の人から、あなたがいてよかったと思ってもらえるように生きるということでしょうね、人類の一員というか…) 云々 自分だけが怖いわけではないということと、他人からいてくれて良かったと思われる喜びということ、でしょうか…。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!正直な思いを伝えたいと思います。 死を恐れるのは自分だけではない事を伝える事も安心感へと繋がると私も思ったところです。その上で一緒に「死」を考えつつ、死があるからこその「生」の喜びもあること。必要とされて生きていること、命の大切さも一緒に伝えていきたいと思います^^

  • mamigori
  • ベストアンサー率44% (1140/2586)
回答No.9

元幼稚園教諭です。 私が働いているとき、園児がインフルエンザ脳炎で亡くなってしまうと言う悲しい事がありました。 その時、園で、死について子どもたちにどう話すべきかと、話し合ったことがあります。 いずれ死について知るのだから、今言う必要は無いのではという職員もいましたが、 今はまだ理解できなくても良いから、嘘ではなく本当の事を話そう、 その上で、命の大切さと、今を一生懸命生きて行かなくてはならないという事を伝えよう、という結論になりました。 お友達が病気で死んでしまった事。 死ぬというのはどういう事か。 人はみんないつか死んでしまうこと。 死ぬことは怖いけれど、その時に、楽しい人生だったと思えるように、 後悔しないように、毎日を一生懸命生きていかなければならないよ。 その時に、たくさんの人に悲しんでもらえるような人になれたら良いね。 死んでしまったお友達は、たった4年しか生きられなかったけど、 大好きな家族やお友達みんなに悲しまれ、見送ってもらえて、きっと幸せだったと思うよ。 みんなにもいつか来るその時まで、精一杯生きていこう。 こんな話をしたと思います。 この年の子どもたちは、その後、冗談でも「死ぬ」「死ね」といった言葉を発する子はいませんでした。 それぞれが死について、子どもなりの小さな心で考え、受け入れる事ができました。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!先生も子供達も悲しい体験をされたのですね;; 冗談でも「死ぬ」「死ね」といった言葉を発する子はいなくなったということに感動を覚えました。それに現実を受け止めなければ精一杯生きようという気持ちも生まれませんものね。 同じ年代の子供達がその意味を受け止める事が出来たのだから、我が子にも出来るという自信にもなりました。

  • otherwind
  • ベストアンサー率40% (12/30)
回答No.8

> 人間なんかに生まれたくなかったと号泣がしばらく続きました 人としての心の痛みが分かるということです。 人間だけが死ぬというのは確かに考えようによっては、一つの真理ですね…。人間だけが「死」というコトバ、概念を持っているからです。動物は「死」というコトバ、概念を知りませんから、死にません。それは確かに人間だったら1歳半のときに誰もが思う一つの真理ではあるでしょう。 人としての心の痛みが分かるということ、そこのところ、その本質は、否定しつくすことはないかも知れませんね……。どう表現すれば、良いか、どう回答すれば良いかが非常に難しいご質問ではありますが…。 けれども、 あなたが生まれてくれて良かった、 という、絶対に本当のこと、というのもあります。 結婚するとき、子どもを作ろうとするとき、誰でも、ある意味、考えようによっては、人はある意味では生まれてこない方が良かったと考えることもできるので、大変な罪作りなんではなかろうかとは思いますね。それは、一つの真理ではあるわけで、むげに否定はできないです。 できないですが、一人一人の人間は、自分が欲していることを知りません。そういう意味では人間は誰も本質的には利己的にはなりたくたもなりようがありません。あなたは何を欲していますか?と聞かれたら誰も答えられません。人は自分がしたいことは知りません。 強いて言えば、人は他人の役に立ちたいとは思いますね。電車のホームから他人がころげおちたら、思わず、後先考えず、飛び込んでしまうということはあり得ないことではないです。人は誰でも人類社会のために命を捨てる覚悟はできていると考えることは不可能ではありません。但し、今日、死ぬのはいやだなぁとは毎日、死ぬまで思うと思います。まだ死ねないという理由はいつでもつねにあるはずです。いまここで死んだら人類社会に貢献したとは断言できない、まだまだ修行が足りない、とは、つねに思うはずです。 それだけ人は誰でもみな謙虚にできていると考えられます。 で、あっても、それでもなお、 あなたがいてくれて良かった とは、言えるはずです。 宇宙ができて、地球ができて、生き物が生まれて(仏教だと三千大千世界はいつでもつねにあり、生きとし生けるものが、こういう世界に住みたいなぁ、と願っているから、その結果として、ある大地が後から、願いの結果として、できるので、順序は逆ですが…)、お父さんやお母さんがいて、お友達がいて、将来の旦那さんなり、奥さんなりがいて、将来の子どもさんがいて……、と、みんなの願いで、一人一人の人は生きているわけです。 人は、確かにある意味では、生まれてすみません、かも知れませんが、しかしながら、望まれて、願われて生まれてきてもいます。 実際、自分がアホなので、宇宙や地球や他の生き物や友人が周囲でサポートしてくれている、宇宙はアホな自分を助けてくれるために、ある、と思っても、おかしいとは言い切れません。 ありがとうと思えば良いという考え方ですね。 それも真理と思います。

masan88
質問者

お礼

有難うございます!皆さま色々な面から考えて頂き成る程の嵐です! 死の概念を持つ能力の有無にまで思考がまわるものですかね。 私は、人間は嫌だ=無機質なものや植物をなんとなく想像してました^^; 色々考えますと言えなくもないですが;;産まれてすみません・・・産んですみません・・・望んですみませんにはなりたくないです;; 産まれてこなければ良かったと子供に思わせてしまうなんてショックですよ~;; これから愛情一杯伝えて、何事も一緒に乗り越えていきたいと思います!哲学は深すぎてよく解らなくなります><人間ですみません・・・に辿りつきそうです((@゜▽゜;Aアセアセ・・・

回答No.7

こんにちは。 我が子も同じようなときがありました。 歳も年中児でしたので、同じ頃ですよね。 うちの場合は、本人の体調が風邪で優れなかったあとに、 なぜか急に死について考えるようになってしまい、 毎日のように「死んだらどうなるのか」について、オイオイ泣きながら聞かれ、 答えに本当に困りました。 私も、いつか誰かに生まれ変わるかもしれないことや、 子供がカトリック系の幼稚園に通っていましたので、 神様のところに行くから大丈夫だとか、 しまいには、心底困ってしまい、 ママだって死んだことないからわからないなんて言ってしまったこともありました。 今思えば、どの答えも、子供が納得するものではなかったと思います。 質問者様もおっしゃるように、誰しもそういうこと考えるときがありますよね。 一般的にはもっとあと、私自身も小学生になってからだったように思います。 主人に話したところ、困惑している私を尻目に、 「そういうこと考えるにしては早い。やっぱり○○は頭がいいんだ」 と呑気に笑っていましたね。(^_^;) その時は、主人のことを、なんて親バカで頼りにならないなんて思ったりしましたが、 その子供も現在小学2年生です。 やはり感受性は強いですが、昔そんなこと考えていたのが懐かしいと思えるほどに成長しました。 国語の教科書に、エルフという飼い犬が死んでしまうお話が登場したときなどは、 ちょっと心配したりしましたが、大丈夫でしたね。 恐らくお嬢様も1ヶ月ほどすれば、なんとなく収まっていくように思いますよ。 再びそのような話題が出たときは、しっかり抱きしめて、 安心させてあげることが一番かなと思います。o(^-^)o

masan88
質問者

お礼

有難うございます!はい!我が子も年中児でして、同じような経験を同じ年頃でされ、しかもお子様も乗り越えていらっしゃると聞き変に心配していた部分も消えました^^ 自信にもなりました!

  • otherwind
  • ベストアンサー率40% (12/30)
回答No.6

玄侑宗久 死んだらどうなるの? ちくまプリマー新書2005/01/25 ISBN:4-480-68703-3 ある意味、人間は一歳半位のときに、全員、だれでも死について考えるとも思います。考えようによっては…ですが。 コトバが使えるようになると、うまく表現できませんが、人は皆、自分に認識できる世界が自分にとっての世界、宇宙であると思うと思うのですね。 うまく表現できないのでピンとこないかも知れませんが、実は誰でも思うと思います。どう表現するかという表現の問題はありますが…。 そのときに、では、自分の世界を、自分の世界の外部、たとえば、お父さんから見たらどう見えるだろうと想像してみようとして………、がーーーーん、できない、自分は自分の頭脳に閉じこめられたぁ~という驚愕の経験、これはみんなあるんじゃないでしょうか。 この経験は、ある意味、死を経験していると言えます。 何故かというと、コトバが話せなかったときの自分というものは、どんなに努力しても、コトバが話せる今の自分にはもう思い出せない、つまり、ある意味、死んでしまってますね。 自分の起源を知りたいと思っても、自分のはじまり、ゼロ地点、スタートポイントは、既に認識不可能です。 自分が赤ちゃんだったときの写真を見ても、それは外から見ているわけで、そのときの自分は何を考えていたのかはどうしても分かりません。 お母さん、赤ちゃんはどこから来るの?という質問文は、そういう表現は取ってはいますが、実際には、自分の起源が知りたいというのが真意なわけですが、自分の始まりはなんなのかねぇと堂々と聞けないのは、そう聞いて、それはね、と答えがあったら、ものすごく怖いからじゃないでしょうか(^0^;)。 お母さん、赤ちゃんはどこから来るの?という質問文の場合、うーーーーーーん、わかんないねぇと、親が素直にわかんないねぇ、図書館に絵本とかあるかも知れないから、一緒に調べてみよう!とか、はっきり答えない、分からないと言ってくれるだろうという、暗黙の期待がありますね。 まあ、実際、わかんないわけですし(^o^;)。 死も同様ではないでしょうか? 自分が死んだ後、どうなるんでしょうか?さすがに誰も知らないと思います。死んだことはある意味ありますが(コトバを使えるようになったときに一度みんなある意味死んでいますが)、ある意味ありません。 なので、まあ、分かりませんが、一つの方法は、素直に、うーーーーーーん、わかんないねぇと、図書館に絵本とかあるかも知れないから、一緒に調べてみよう! で良いかも知れません。 まあ、一概に正解は出せませんが、一つの考え方として……

masan88
質問者

お礼

有難うございます! そういえば寝ている時も死に似たりと言う見解を見て、成る程と思った事があるのを思い出しました^^ そうなんですよね。皆さんのご意見を拝見し、気づきました^^ 焦ってその場しのぎの応答をしたり、未知の世界を作ろうともがくからこのような常態に陥るのでありました@@ 解らない!調べてみよう^^というのもいいですね。今皆さまのアドバイスが私には調べた結果にもなりました^^色々と頂いたご意見アドバイス生かしたいと思います! それだけではなく我が子はどこか少し心病んでるところが有ったりしないか心配になったという部分もありまして、それも皆さまのお言葉や同じような4歳のお子様を持つ回答者様の実体験も教えて頂き拭い去れました^^

  • steaday
  • ベストアンサー率4% (3/64)
回答No.5

宗教はなぜ生まれたのか? 宗教の根源には、死に対する不安を和らげるというものがあります。 大切な人を失う・・・ 自分もやがて死んでいく・・・ 人間の根源の恐怖なのです。 つまり、娘さんは、人としての優しさや思いやりを持っているのです。 両親の育て方や、周りの環境が素晴らしかったのでしょうね。 そして、5歳以前にこのようなことを言えるということは、頭も良いのですよ。 言葉もしっかり理解できるようですから、 人が生まれてくる意味、親が命懸けで子どもを育てる意味 生きるということの素晴らしさを教えてあげてください。 私が幼少の二人息子に伝えたのは、 「人は生まれ、やがて肉体は死んでいく。しかし、オレの心はお前達の心の中に生き続ける・・・それが生きるということ。」 今でもおぼろげに憶えているそうです。 私も40代半ばになり、子どもが成人してからは 自分が朽ちていく(大げさですが)楽しみも感じられるようになりました。 大切に育ててあげてください。 ちなみに私は宗教家ではありません。

masan88
質問者

お礼

ご意見有難うございます! ついこの前まで赤ちゃんだった我が子が・・・頭のよしあしではなく経験と感受性のようにも思います;;子供って思いの他賢いですしね^^;生きることの素晴らしさ伝えていきたいと思います!感じ取ってもらいたいと思います! 「お前達の心の中に行き続ける」まさにその通りですよね!そんな表現も出来たか!ん~皆さまのご助言!全てが参考になります! 私も朽ちてきておりますが、楽しめる余裕が私にはまだ無いみたいです;;余裕有る頼れる母親になりたいです^^ 私も宗教家ではないですが、心の頼りとして人を救うお守りのような存在だとすれば私の夢物語も一緒かなと感じた今日です^^

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.3

>>そこから自分の死を連想して恐れ、人間に生まれたくなかったとまで言うんです。 それは、わりと正しい考え方だと思いますよ。頭のよいお子様だと思います。 2500年以上前のお釈迦様も、「この苦しい地上に生まれて、貧困や病気や悩みに苦しみ、絶世の美女でも、年をとれば、しわくちゃの醜い老婆になって死んでゆく。なぜ、人はこの世に生まれるのか?」と悩んだそうです。 で、お釈迦様は、将来が王様になるのが確実な王子で、4人の妻と子供もいたのに、その疑問への回答を求めて、それらを捨てて出家されたわけですからね。 彼は、「もしこの質問に誰かが回答をくれるなら、出家はしない。」と言ったのですが、誰も答えることができませんでした。 そして、現在では、この疑問への回答は宗教的(幸福の科学的)には簡単です。 「人間の本体は魂(心)であり、それは永遠に生き続ける。死んだ祖母も、将来お母さんが亡くなっても、「あの世」で生活している。なので、あの世での再会も可能である。この世には、魂の向上(勉強)のために、肉体に入って生まれてくる。」 (もちろん、祖母の魂がすでに地上に転生していたら、会えませんが・・・) ということです。このような回答ですと、「死」は、「ちょっと海外に移住する」というような感じになります。そしてこれは嘘ではなく真実のことですから、なんら引け目とか、ごまかしを言っていると気にする必要はありません。 お子さんによっては、「お星さまになった」とか「いつでもそばにいる」という矛盾した回答でごまかすという手もいいでしょうが、利発なお子様のようですので、ごまかし、あるいは論理矛盾のある答えをしないほうがいいと思います。 ちなみに、実際のところ、「あの世」での生活は、とても幸福で自由自在に生きることができるので、「なんで、苦労の多い地上に生まれないといけないのか?」と思う方も多いようですからね。仕事でそれなりに成功されたかたが、「もう一度、勉強のために、厳しい授業と宿題の山の大学に4年間通え!」と命令されるのが嫌なのと同様ですね。

masan88
質問者

お礼

アドバイス有難うございます!皆さまのご意見を伺えて本当に良かったです。今皆さまのご意見を全て読み終えて私自信が安心できました^^;お星様にしろ生まれ変わり地球に生を受けるとするにしろ、それが私にとっての「あの世」と置き換えて考えられるかなと思いました。 いずれにせよ、そうであって欲しい「あの世」も未知の世界ですので、今の時点では、安心させる為に作った話もそれはそれで良しかなと思う反面、私の作った話が夢物語(未知の世界)だと気付く日が来た時の事を思うと、後に意見を下さった方のご意見もご尤もであり、死を意識できてしまう人間だからこそ苦悩も有るが、人間だからこそ意識できる生があり、そこから得られる喜びが苦悩に優る事、その生の尊さや、人間だからこそ味わえる幸せを伝え恐怖に打ち勝てるように導く事が賢明であるとも思います・・・ ???慣れない事を考えておりますと自分で何を言っているのか解らなくなってきました^^;皆さまのご意見を慎重に読み取り理解したつもりですがいざ文面にしようとすると整理できません;;奇怪な文になっていましたらごめんなさい@@こんなで子供に伝えられるのか?と思われるかも知れませんが;;時期をみて上手く伝わるよう誠実に対処していきたいと思います^^;有難うございました!

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