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時々、自殺願望が強くなりますが苦しいのは嫌だから困っています。

時々、自殺願望が強くなりますが苦しいのは嫌だから困っています。 でも居場所がありません。なぜ他人に対して挨拶や会話ができないんでしょうか。 なぜパニックになるんでしょうか。 周りから変人扱いされています。

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回答No.6

No1.,No.5です。 「もし仮に」パニック症候群(パニック障害)だったとすれば、下記の記述が役に立つでしょうし、そうでなくても、下記の記述は(対応策を講じる上での)参考になると思います(No1およびNo5に記述したことと大部分が重なります)。下記の記述が当てはまらないようであれば、しかるべき医療機関にて診てもらうことが大切でしょう。 >>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3 自分で出来る認知行動療法 [編集] パニック障害であると精神科医に診断され、投薬を受けていても、その医師の専門とする分野がパニック障害ではなく、十分な認知行動療法的な指導を受けられない場合もある。このような場合に、参考となる考え方を以下に記述する。 まずこれまでの症状の流れを再確認して、本稿の最初の症状の部分と一致することを確認する。そして、初回のパニック発作の後、「また発作が起こるのではないか」という予期不安が生じ、その不安のため身体の状態を観察する姿勢が持続し、予期不安と自己観察によって自己暗示がかかって、症状が生じてきていることを確認する。 この症状がパニック障害であり、死や、発狂に至るものではないことを、理屈の上では、納得する。出来ない場合には、医師に再度相談する。 症状の流れを振り返り、「恐ろしい症状が起きないように」生活しようとして、不安から逃れる姿勢を取ることが、予期不安を強化し、自己暗示の悪循環を作っていることを理解する。不安から逃れるための回避行動、日常生活の制限は、うつ病を発症させる可能性があるので、ただちに止めることが必要である。 日常の行動から「不安に左右されず」「不安は不安のまま置いておき」「不安を無視をして、生活をする」ことを心がける。 周囲の理解 [編集] 広場恐怖などの重篤な症状があっても一見すると健康体と変わらないことから、往々にして「気の持ちよう」「怠けているだけ」と捉えられがちであったり、治療にはある程度の長期間を要するなど社会的なサポートも必要な疾病であるため、家族や恋人、職場などといった周囲の理解を得る(周囲が理解してあげる)ことも早期寛解につながる重要な要素である。しかし、過度の保護は本人の症状を正当化し治癒から遠ざけてしまうこともあるため、接し方については医師との対話が重要である。 注意すべき点 [編集] パニック障害という概念の歴史が浅いこともあり、中高年医師がこの概念を学生時代には学んでおらず、精神科もしくは心療内科以外の診療科では診断が困難となる場合がある。また、患者側も、心臓など身体に問題があるととらえてしまい、別の診療科を回ってしまう場合もある。これらの条件のため、長期間適切な診断がなされない場合のあることを念頭に置いておく必要がある。このため、パニック障害の疑いがあると思う時には、精神科・神経科・心療内科を受診する必要がある。 <<<

その他の回答 (5)

回答No.5

No.1です。 前回は、内面から外側への境界を想定して知的な側面からの「考え方」を書きましたが、今回は、別の側面から書いてみます。 外側と内側といった概念、すなわち、「境界がある」といった概念を抱くことで、ご質問にある「なぜ」が生じることになります。 「周りから切り離される」という苦しみと「自殺願望」という2重の苦しみは、結局のところ、「自身」と「周囲」との間に「知的な」境界線という呪縛を想像しているから生じうるものになるでしょう。 まず、貴方御自身が他者や外部から切り離されては存在し得ないという認識に立つことです。 その上で、もし「パニック」になるなら(※)、そういったことになりやすいことを、あらかじめ、周囲の人たちに伝えておくことです。ただし、周囲の状況では困難な場合もありうるでしょう。もし、協力が得られにくい場合には、しかるべき指導的な立場(※)の方に相談すべきでしょう。(No.1での開き直り「2」に相当、ただし「1」の考え方も必要) もし、周囲の協力が得られそうであるなら、No.1での「3」+「1」の考え方で、自身を含めた全体が変化する方向性を向いていくことが、大切だと思います。 ※1「パニック」になりやすい場合、病気の可能性も考えられます。しかるべき病院で、検査を受ける必要がありますが、たとえば、パニック症候群ないしパニック障害、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3なども疾患としてあり得ます。 ※2 「しかるべき指導的な立場」たとえば病気だと診断されたのであれば、そうして、たとえば学校などであれば、保健室関係の人に相当します。もし、病気だという診断がなされていなくても、学校や職場の保健室関係の方に相談し、直接的な指導者を交えて、対応策を考えるべきでしょう。

  • JoyWorld
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回答No.4

自分が見えていないから。 必死で自分の何かを見ないようにしてるから。 自分がどういう人間かわからないから相手の前でパニックになる

  • harakija
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回答No.3

貴方の心の内をお察しいたします。 わずかの期間でしたが、私も同じような状況がありました。 一つの仏典の話を紹介します。 仏典に次のような話があります。 ある時、釈迦仏はコーサラ国のハシノク王に言いました。 「王は、いったいどこに行っておられたのですか。」 「仏様よ、私には様々な王事に目まぐるしく対応しておりました。」 「大王よ、では、もし王の最も信頼する家臣が、東の方より急いでやってきて、 『大王様、大変です。東の方から、虚空のように大きな岩山が、人々や草木をなぎ倒し、押しつぶしながら、こちらへ進んできます。どうしましょうか。』 と告げたとする。 同様に、西の方からも、北の方からも、南の方からも、 信頼する家臣が、同じように言ってきたとしよう。 そのような事態に立ち至ったら、大王よ、なすべきことに何があると思われるか。」 「仏様よ、万が一、そのような事態になったら、私達の命運は尽きたも同然です。 なすべきことは最早ありませんが、今ある一瞬一瞬を、 ただ仏法に従って行ずること、善業をなし、功徳を積んで、 来世の果報につなげるほかに無いと思います。」 「大王よ、実にその通りである。 しかしこれはばかげた話をしているのではない。 人は生まれでた以上、王の身の上にあっても、 老・病・死は刻々と押しせまってきているのである。 ならば、今の一瞬一瞬を、妙法に従って生き、善業を修め、功徳を積んで、 自らを照らしていく以外に、本当の楽になる道はないであろう。」 貴方は今、苦しんでいる貴方自身に苦しんでいるんですね。 その貴方の苦しみを、まず貴方が認めてあげてください。 そして、人にも打ち明けて、助けの手を差し伸べてもらってください。 上記のような仏典の話は、少し参考になると思います。 遥かな三世の命も、今世にしか表れていません。 その今世の一生も、今の一瞬一瞬にしか表れていません。 だったら、今を見つめて、今できることをするしかないのです。 無論、これまでの生きてきたことをチャラにすることなどできなせんが、 今からを生き直すことはできます。 貴方には、確かな信仰を見つけて確かな形で信仰し、 その信仰を元に、今の苦しみを乗り越えていくことが必要かも知れません。

  • OtamaFJ
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回答No.2

気軽に心療内科に行きましょう。 怖がることはなく、そのままを話せばいいんです。 ある意味専門の私としては、その症状には「~障害」という名前が付いていたと思います。医師が告知するしないに関わらず、保護者がいれば一緒に病院へいきましょう。病院は優しいよ。

回答No.1

人は、それぞれ個性を持って生きています。 その個性が強すぎると浮いてしまって解け込むことが困難になるかもしれません。 そのギャップを認識しつつ解け込みたいと思っておられるからこそ、提示されている質問が発生するのでしょう。 もし、ご自身ですすんで取り組もうとしておられるのでしたら、以下のいずれかが有効かもしれません。 1.いつかは死んでしまうのだから、あらゆる手立てを尽くして(ある意味、死ぬ思いで)他者と打ち解けあおうと試みてみる。 2.自身の性格は直りそうにないから開き直る。「なぜ・・・」などという疑問が浮かびそうになったら、「そんなことは当然のこと。それぞれの人生だからね」と、逆に「挨拶できないこと・会話できないこと」を売りにする。 3.「2」の変則版。「深く考えても、考えなくても、挨拶する・しない。会話する・しない。」に大した差はないと開き直る。相手の反応を意識しすぎて考えすぎるため、挨拶や会話のきっかけを失ってしまうだけだと思ってみる。「考えても、考えなくても、どうせ同じ」だと感じることができたなら、「何も考えずに」挨拶してみる。 私の場合、根底に「1」を秘めつつ「2」→「3」と変化してきました。。。(^o^ゞ