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黒海や紅海は、いつ頃からそのように呼ばれているのですか。
トルコでは、トルコの北にある海だからその海を「黒海」、そして南にあるからその海を「紅海」と呼ぶのだそうです。 また、西の方にある地中海を「白海」とも呼んでいるそうです。 北を黒、南を赤(紅)、西を白、東を青と、方位を色で意味付けるのは、古代中国の時代から現在にいたるまで続いている「陰陽五行説」の思想ですが、トルコにもこのような考えがあるのかと、不思議に思っています。 ローマ帝国が支配したころの昔から、「黒海」と呼んでいたのでしょうか。 古地図や古代の書物で、「黒海」「紅海」「白海」の記述例があれば教えてください。 Webで古地図を調べたのですが、分かりませんでした。 中央アジアにはカラ(khara /kara)という接頭語をつけた地名が多いですが「黒」を意味しているのだそうです。 よろしくお願いします。
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「赤い海」の記述は古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの著作(「歴史」1.180.1)に出てきます。 ただしこの「赤い海」(エリュトラ・タラッサ)は現在の紅海のことではありません。アルメニアを水源とするユーフラテス川がバビロニアを流れて「赤い海」に流れ込む、とありますからインド洋を指していると思われます。インド洋が「赤い海」で、その一部である入り江、つまり紅海やペルシャ湾も「赤い海」と呼んだのです。 黒海を古代ギリシャ人はポントス・エウクセイノスと呼びました。直訳すると「旅人を歓待する海」ですが、ほんとうはポントス・アクセイノス「客嫌いの海」「旅人を酷い目に合わせる海」と呼びたいところだったのです。古代ローマ人もこれに倣って「ポントス」と呼びました。黒海が「黒い海」になったのはおそらくトルコ系民族が小アジアに移動してからだと思います。
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黒海沿岸の写真を見たことがありますが、本当に黒っぽかったです。 だからなのだろうと単純に思っていましたが、諸説あって定かではないようです。 ネットで旅行記(日本語で)を読んでみたら「黒いかと思ったら普通の海だった」という記述もあるし「本当に黒かった」という人もいるので、場所によるのかもしれません。 「名称」と「概要」で触れられています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7#.E5.90.8D.E7.A7.B0
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ご回答ありがとうございます。 私は、昔の人が海を見て、感じたまま「黒海」「紅海」と名付けたのだろうと思っていました。 が、そうでもなさそうです。 2千年以上も前の海の色がどうだったのか、知る由もないですが、インド洋、アラビア海、紅海を含めた広大な海をエリュトラー海(赤い海)と呼んでいますので、海の色で名付けたのではないと思っています。 明るい南の海だから「赤い海」、暗い北の海だから「黒海」かも知れません。 では、地中海を「白い海」と呼んだのはなぜ、という疑問が残ります。
- tanuki4u
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http://en.wikipedia.org/wiki/Black_Sea 英文だと、方向説と海の色説とっているようです。
お礼
まったく思いつきませんでしたが、外国の海のことですから英語版で調べるべきでした。 名称に関する箇所だけをざっと読んだだけですが、とても詳しくて大いに参考になります。 読めば読むほど新しい疑問が湧いてきて、私の想像をはるかに越えて、奥が深いです。 方位に特定の色を配置する考えは、「大昔」からいろんな種族にあったということ、そして中国、トルコ、アイヌが、同じ方位に同じ色を配置していることが解りました。 私は、この考えがトルコから中国に渡ったのではないかと、想像していたのですが、そんな単純な話ではなさそうで、私の手におえないということが解りました。 良い資料を教えて下さってほんとうにありがとうございました。
お礼
この歳になってヘロドトスについて調べることになるとは夢にも思いませんでした。 ヘロドトスの歴史書に「赤い海」の記述があるのですか! なんと、紀元前450年ほど前の昔から「赤い海」と呼ばれていたのですね。 紅海も黒海もペルシャ湾も日本の国土に匹敵するほどの広さですから、その一部には赤く見えるところもあったかも知れませんが、全体としてみれば、海水は青い色だろうと思っています。 それなのになぜ「赤い海」と呼んだのか、疑問は尽きませんが、古代ギリシャの時代から「赤い海」と呼んでいたということが解ったので、これからさらに調べてみます。 的確なご回答ありがとうございました。