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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:世間から良く見られる人、蔑まれる人)

良く見られる人と蔑まれる人の逆転劇

このQ&Aのポイント
  • AさんとBさんは同じように生きてきましたが、最終的な世間体は全くの逆になりました。
  • Aさんは普通の人生を送り、大病を患い退職を余儀なくされました。生活保護を受けなければならない状況に陥りましたが、世間の風は冷たくなりました。
  • 一方、Bさんは資産を持っており、大病後は不動産を活用してアパート経営を行っています。順調に家賃収入が入り、周囲からも頼りにされています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • key00001
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回答No.12

> 自分の置かれている立場を理解して、それに合わせて人生設計をする。 > その結果が自己責任という解釈でしょうか。 Aさんの失敗は、自己責任を、その様な狭義な解釈をした結果かと思いますよ。 自己責任とは、自己に帰責する事柄・範囲については、自己の責任で対処するという言葉かと思いますが、この事柄や範囲を広義に捉えるか、狭義に捉えるか?によって、差が生じると言うコトです。 例えば「景気が悪くて就職出来ない」と言う様な事象について、自分より遥かに優秀な人でさえ就職不能な状況で、失業率が二桁%にでも到達すれば、外部要因が多大であると言えます。 これは自己責任では無く、明らかに社会的責任です。 この様な大きな社会的責任に対しては、個々の努力など尽くしても改善出来ませんので、個々は選挙でその様な状況を打破してくれそうな政党を真剣に選び、投票するくらいしか無いでしょう。 しかし、同程度の人で景気が悪くても就職出来た人が存在する間は、就職出来た人との対比では、明らかに自己責任(内部要因)も存在するワケです。 それにも関わらず「景気が悪い」と言う様な、外部要因にのみ因果関係を求めるのは間違い。 その様な間違った解釈をした場合、わずかな内部要因の改善などにより、就職出来る可能性があったとしても、見落としてしまう可能性を生じます。 この様な見落としは、ご質問文の中でも見受けられます。 先の回答で指摘した通り、学歴や遭遇した状況等が同じでも、結果が異なったのは、「親の資産有無」と言うAさんとBさんの歴然とした能力差です。 それを偶発的な因子や、景気の様な外部要因の様に捉えている点に、大きな見落としが有ります。 更に言えば、経歴上の知性などは、AさんとBさんは同じ様にも感じられますが、Bさんはその遺産を有効活用した実行力や知性が有り、一方のAさんには、資産は無かったものの、それ以外(人脈や借入など)を活用して、不遇な状況を解決する能力は無かったと言うことですよ。 尚、質問者様は、生活保護に対する偏見がある様です。 自己責任を果たした人、即ち、人事を尽くして及ばなかった人に対しては、手を差し伸べるのは社会的責任です。 差し伸べる手、即ち財源は、多くの人事を尽くし頑張っている人が納めた税金です。 生活保護は、その税金の受益・恩恵を受けられる資格者・権利者を認定し、実際に給付を行う制度です。 生活保護受給者となったAさんは、成功者では無いですが、公的には自己責任の遂行が認められた人であり、少なくともタイトルの様な「蔑まれる人」では有りません。 世間の風が冷たくなる様なコトも、実際には殆ど例は無いでしょう。

ken447777
質問者

お礼

回答ありがとうございます。<m(__)m> 自己責任を果たした人、即ち、人事を尽くして及ばなかった人に対しては、手を差し伸べるのは社会的責任です。 差し伸べる手、即ち財源は、多くの人事を尽くし頑張っている人が納めた税金です。 生活保護は、その税金の受益・恩恵を受けられる資格者・権利者を認定し、実際に給付を行う制度です。 この文章には感銘を受けました。 生活保護=蔑まれる人は間違いでした。反省します。

その他の回答 (12)

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.13

再度のお礼、有り難うございました。 > 生活保護=蔑まれる人は間違いでした。反省します。 質問者様が聡明で、且つ、過ちを改めるのを憚らない姿勢はご立派です。 物事を考える場合、狭義とか表面的では無く、なるべく広義で本質的に考え始めると、中身が判り易いと思いますよ。 「過程が同じなのに、結果が正反対」と言うのは、確かにおかしいコトです。むしろ「そんなコトは有り得ない」と言っても良いし、有り得ないコトが発生したなら、モチロン矛盾が有る筈です。 しかし、全体を見渡して発想すれば「結果が正反対である以上、過程が全く同じであるハズが無い」と言うアプローチになります。

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.11

> お金が無い=悪(努力不足) いえ。努力の有無、程度は関係ありません。結果としてお金がないことそのものが、資本主義経済の中では悪なんです。 道徳的観念は関係ありません。正義や自己責任がどうこうということも一切関係ありません。単に結果の評価基準があるだけです。この1点だけは勘違いしない方がいいです。 Aさんが今の結果を避ける方法があったかどうか、今の状況になるべきではないということも関係ありません。 もし、倫理的な話を好むのであるなら、個人としてみるのではなく、家として見るべきです。資本主義経済では、親の資産は子に引き継がれるわけですから。原罪という概念の一種になるかと思いますが。

ken447777
質問者

お礼

回答ありがとうございます。<m(__)m> なるほど、資本主義経済的な考え方ですね。 考え方というより捉え方といったほうが正しそうですね。 原罪という概念は初めて聞きました。勉強になります。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.10

>資産があるもないも、努力した結果が自己責任と考えるのが常識だとは思います。 そんな常識は無い。 そのような思想は結果の平等を求める思考で、むしろ自己責任とはま逆の反対の話。 仮に他の人より努力しても試験に落ちた時、それが他人のせいではなく、自分の責任に帰すのは自己責任の社会。 バスケで背の高い人と背の低い人が同じようにプレーしても話にならない。背が高い人と同じことをやったのにうまくいかないのはおかしいというのは自己責任とは言わない。背の低い人はPGなどとしての活路を見出さなければならない。 プロスポーツ選手などはこのような努力をしている。自分は速球が早くないから変化球を覚えたりと自分の特徴にあった努力をしている。他の人と同じ努力をして同じ結果を求めるようなことはしない。それが自己責任。 遺伝的資質、時代、外部環境を含めて差があることを認めた上での自己責任。同じことをしたら同じ結果になることを要求するのは自己責任とは違う。

ken447777
質問者

お礼

回答ありがとうございます。<m(__)m> ちょっと理解するまで時間がかかってしまいましたが、また違った自己責任の解釈がありそうですね。 ちょっと考え方の壁に当たってしまいました。 この回答は、もう少し深く考えて理解したいと思います。

noname#140082
noname#140082
回答No.9

No.5です。お礼ありがとうございました。 たぶん、質問者さんは「自己責任」を何か勘違いしているのでは無いでしょうか。 自己責任とは、あくまで自分の人生を一番自由にできるのは自分しかいないのだから、いろいろな意見を参考にするのは構わないがあくまでも最終的な決断は自分自身にあるというもので、「自己責任」とは相手に向けるものではないのです。 日本で「自己責任」との言葉が頻繁に使われるようになったのは、URLで示す事件があった時からだったと記憶しています。 しかし、これはあくまでもあくまでも観光で行ったと勘違いした人が、ならばと「自己責任」と言った一言がマスコミに取り上げられ「自己責任」という言葉だけが独り歩きしてしまったもので、明らかに「自己責任」の履き違いであったのです。 このような経緯があったため、その言葉に敏感になるのも無理はないのかも知れませんが、あくまでも自己責任とは、最終的な決断は自分にあるということだけで、要は「あなたが○○だから、私がこうした」などと責任転嫁しないで、「自分がしたいから、こうした」と言うことが大切なのです。

参考URL:
http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/055/07.html
ken447777
質問者

お礼

またの回答ありがとうございます<m(__)m> 上記のURLを見させて頂きました。 そういえばこんなことあったな~ぐらいにしか覚えていませんが、改めて読むと考えさせられますね。 あくまで結果を見て自己責任と問うか?、過程を見て救うのを義務ととらえるか? 意見が分かれるところだと思います。 私は当時あくまで自己責任ととらえていたと思いますが、改めて考えさせられました。

  • marife
  • ベストアンサー率15% (38/248)
回答No.8

両者の違いは親の資産の有る無しですが、親に資産が有りやがては自分が相続する事は分っていたので、特に努力をしなかった人と、親に資産など無く、自分が全てである事が分っていながら、特に努力などしなかった人とを同列で考えている事が不思議です。 普通は親の資産をあてにして、何の努力もしなかった人は、結局資産を食い潰してしまい、より深い地獄を見ることになるのです。 また、親に相続できる資産など無い人は、他人を当てには出来ないので、一生懸命努力をして自分で生きていける力をつけるのです。 そう成るも成らないも、全ては自己責任と考えるのが常識的ではないですか?

ken447777
質問者

お礼

資産があるもないも、努力した結果が自己責任と考えるのが常識だとは思います。 ただ今の自己責任論は、人それぞれの背景は関係なく結果だけを求めた機械的な感じがするんですよね。 ただこのままでいいのかを考えてしまいます。 しかし考えたところで何もできないですが・・・ 回答ありがとうございます<m(__)m>

  • Fiveeve
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.7

ちょっときついことをあえて書きますが、 最後まで読んでいただければ幸いです。 大将といわれるには、それなりの人徳が必要です。 人の人生をたかが数行でまとめて、 比較しようとすることは無理だと思います。 もっと深い視点で見れば、別の角度で色々見えてくるはずです。 不満をはいても、良い未来は待っていないと思います。 考え方を少しだけ、ポジティブにしましょう。 人の責任にしても何も起きないと思いますよ。 例えばですが、大けがをした動物は残念ですが、 医者もいませんからそこで死んでしまうことになります。 たとえ、同じように生きていてもです。それが自然界の摂理です。 もし、人に愛されたいと思うなら、花をみたり自然の存在のありがたみを 感じたりとシンプルなことをありがたく思うと良いと思います。 まずは、そこからです。生活保護を受けていることを恥だと考えずに、 ありがたいことだと思ってください。 世間にも色々な人がいます。冷たい人だけじゃありません。 なかなか捨てたもんじゃないですよ。

ken447777
質問者

お礼

今の世の中で小さな幸せというのは、すぐ見過ごしてしまうものですよね。 ただそれを感じた時って、本来の人間に戻っている時だと思いますよ。 本当に「世の中なかなかすてたもんじゃない」というのを願いたいですね。 回答ありがとうございます<m(__)m>

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

矛盾など全く無く、至極当然の道理でしょう。 途中までは、たまたま似た様な境遇の人が、最後は同じようには生きられなかったと言う話でしょ? 途中まで似た境遇と言うのは過程です。 過程を捉えれば、どちらも場当たり的で、運・不運の違いみたいにも見えます。 しかし、結果(全体)から考えれば、Aさんのみが場当たり的な人生を歩み、Bさんは人生設計が出来ていたということで、それは、そもそもの親の資産の有無、頼れる親の有無に違いが有ったコトが原因です。 親の資産や頼れる親は、Bさんの潜在的能力であり、AさんとBさんには、過程の段階で、既に自覚が可能な明らかな能力差が有ったと言うことです。 この結果から導き出される答えは、AさんはBさんと同じ様な生き方をしたら、Bさんの様にはなれないこと、Aさんは最後に失敗すること、AさんがBさん並みの老後を過ごそうと思えば、AさんはBさん以上に頑張らなければならなかったと言うコトでしょう。 資産が無いAさんは、大病に備えて、保険に入るとか、福利厚生面が充実した会社を選択すべきであったとか、資格を取得すべきとか、やはり伴侶を得る努力をせなばならなかった等々、人生設計において反省すべき点が多々見受けられます。 ただ、最後に生活保護さえ受けられない人もいるんだから、Aさんも成功者だと思いますよ。 真面目に国民年金を支払っても、受給は生活保護に届かないんだから。

ken447777
質問者

お礼

自分の置かれている立場を理解して、それに合わせて人生設計をする。 その結果が自己責任という解釈でしょうか。 回答者様は努力された方のように感じます。 こういう考え方ももちろん正論だと思います。 現に努力して良い生活を送っている方もたくさんいますしね。 回答ありがとうございます<m(__)m>

noname#140082
noname#140082
回答No.5

たぶん、AさんBさんともにフィクションではなく、質問者さんのまわりにそのような人がいるのだと思います。 確かに、このように要約して、端的に同じところ、違うところをあげて比較すると答える方は答えやすいと思います。 しかし、たとえばそれぞれの生い立ちなどを詳しく聞けば、全然違うでしょう。 また、大病を患うまでの人生もそれぞれ違うでしょう。 つまり、比較することに無理があり、双方の方共に大病を患ってから、どうなるかなど、千差万別でないハズがありません。 もちろん矛盾も何もなく、あくまでも「人生いろいろ」の結果でしかないのです。

ken447777
質問者

お礼

実は私はそこまでの人生経験が無く、周りにもいないんですよ。 ただ自己責任論には懐疑的な部分があり、正解というか考え方を模索中です。 確かにひとそれぞれ人生があり、幸せの感じ方も違うので 「人生いろいろ」との結果でまとめるしかないとは思ってはいます。 回答ありがとうございました<m(__)m>

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.4

まだわかりませんよ。 Bさんは今のところ成功して見えるが、いかにもこれから悪い人にカモにされそうって感じだし、事業失敗するかもしれないし、大病が再発して死ぬかもしれない。逆にAさんは、再帰とかは難しそうだが、細く長く生きることはできそうだ。20年後にはBさんはとうに死んでいるがAさんはまだ生きているかもしれない。 人生は浮き沈みがありますので、一時の比較だけではわかりません。また幸せの定義も人によって異なり、Aさんは夜の街で大将とか呼ばれたいか、って事もある。 あと運ってのも、人生には厳然とあります。たとえばオリンピックと比べてみたらどうですか。実力は伯仲していてこれまでの努力の量もそう変わらない人間がしのぎを削った結果、ある人はメダルを取り、ある人は4位に終わり、ある人は予選敗退していきます。ではそんなオリンピックシステムは非人道的であり、努力が正当に報われるよう改善されるべきなのか。 質問者さんの考えだとイエスになります。

ken447777
質問者

お礼

確かに人生死ぬまで判らないと思います。 ただ今の段階での自己責任ということでご了承ください。 また運も実力のうちとよく言いますが、総合的な結果を評価するのが今の風潮だと思います。 オリンピックに当てはまると、結果がその後の人生を大きく変える事を考慮すると 状況によって非道の部分もあると言えますね。 回答ありがとうございました<m(__)m>

  • uvkki
  • ベストアンサー率8% (11/124)
回答No.3

たったこの2つの作り話で回答を求めることが矛盾です。 せめて100件くらい事実に基づく事例を出してください。

ken447777
質問者

お礼

おっしゃる通りこの程度で自己責任を語るのは役不足だと思いますが ここを使っての都合上、ご了承願います。 回答ありがとうございます<m(__)m>

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