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憎しみ

好きな人でも、嫌いな人からでも些細な一言で、些細な行動でものすごく根にもつことってあると思います。 私自身、些細なことや思い込みで歯を喰いしばるほど憎くなります。 どうしたら、この気は晴れますか? リラックスして~、などそんな答えはいりません。

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  • key00001
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回答No.13

お礼、有り難うございました。 > 本を探してみて、生き様を見習い憎しみを持たないようにしようと思います。 「憎しみを持たない」がベストである点に気付いて戴けて良かったです。 とは言え、私自身もまだまだ修行中の身で、憎しみを持たないなんてコトは出来ません。 また憎しみを知らない人間であってもいけないと思ってます。それは相手の憎しみなどにも鈍感と言うことですからね。 ただ、それと同様に、憎しみの反対側の感情(愛情とか許すとか)も、理解しなければいけないワケですよ。 いずれか一方に偏ってはダメだと思いますヨ。 私自身は「極論に答えは無い」と考えている人間です。 例えば相手を憎む場合でも、「自分の思い込みかもしれない部分があるかも知れないけど、それを差っ引いても『憎い』」と言う場合、それは憎む理由として、極論では無く正当な評価に近づくし、差っ引いた分、憎しみが減るでしょ? 信玄公などの英傑は「仇」と「情」の両方を理解した上で、それでもなお「情」を持って人付き合いした方が「良い」とか「得」とお考えになったんだと思いますよ。 質問者様は、既に憎しみについては、人一倍多感で、一方は良く理解されておられるんですから、もう一方だけを理解されたら良いだけ。 おまけに質問者様の理解力は、私のつたない文章からでも、本質を理解して下さってるんだから、全く心配ないでしょう。 更にその理解力とは、包容力とか「許す」と言うコトにも直結する能力だし、どっちが得か?なんてコトも、容易に判断出来る能力ですから、質問者様が「許容」「寛大」になることに、そんなに努力は必要無いと思います。 それを一層理解を深める方法として、優れた書籍や歴史に求めると言うのも、最も合理的で素晴らしい方法です。 中国の故事にも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言う言葉がありますので。 私は賢者では無いので、自分で経験しないとなかなか本当には身に付かないですが、この言葉自体も「歴史」の一つであり、この言葉が教えようとすることくらいは、何とか理解出来る程度には賢者で在りたいと思っています。

noname#159448
質問者

お礼

憎しみが減る…という話はとても参考になりましたし、憎しみの反対、愛情…、私はよく愛憎というものを考えますが、少しだけわかった気がします。 また、許すこと…難しいですね。相手を認めること、許すこと、これは大切なのに出来ないことが多いものだと思います。また、私は憎しみを含め、なんにいたっても多感であってしまいます。いわゆる、繊細、といわれます。これは私の一つの柱(誇り)です。あなた様が言われるよう、憎しみを知らないと相手の憎しみにも鈍感になりますから。 あなた様は賢者ですか。 私は完全でありたいと思っています。 そのために常に不完全、いわゆる完全であってしまえば、それ以上になれませんから、常に不完全。これが私の二つの柱です。 とてもお世話になることばかりで、大変ありがたいです。 どうもありがとうございます。

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  • key00001
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回答No.14

再三の丁重なお礼有り難うございます。 > あなた様は賢者ですか。 それは胸を張って「違います」と言えますヨ。残念ながら・・・。 むしろ欠陥だらけの弱い人間です。 ただ、賢者になりたいと願ってる部分は有って、それでも何となくですが、死ぬまで賢者に到達することは無い様な気がします。到達したくない様な気もします。 これは質問者様の「完全」を目指しつつ、完全になってしまってはいけないとのお考えと、同じ様なモノかと思いますので、ご理解戴けるかと思います。 質問者様の場合、繊細・多感のほか、理解力に優れる点は、質問者様の美点であり、それは類まれな資質だと思いますよ。 相手の言動などを恨むのは、言動と言う現象面に対してでしょ? 理解力がある質問者様は、現象のみに捉われず、もう一歩踏み込んで、その現象の「動機」とか「原因」なども、理解する様に意識なされば良いと思いますよ。 例えば、親って「勉強しろ」とか、子供がやりたいコトに「ダメ!」など、子供にとってはイヤなコトしか言わない存在で、現象面だけを捉えたら、はなはだイヤな存在です。 しかし、親だってイヤなコトなどは言いたくないにも関わらず、それでも敢えて言うのは、根底に「子供のため」と言う「愛情」が有るからです。 相手の根底や真意の方を理解し、その上で相手に善意が無い場合には、こちらも恨んだり憎んだりすれば良いと思いますよ。 私なんて根が悪人ですから、そういう相手にこそ、自分の憎しみなどは隠して、こちらは見せかけの善意で丁重に接したりして「利用してやろう」「仕返ししてやろう」などと目論見ます。 でも、不思議なモノで、そんなコトしてる間に、ホントに仲良くなったりもします。「実は昔はアンタのコト大嫌いだった。ああいうトコは直せヨ!」なんてコトを言い合う仲になったりしますヨ。 私の場合は「ウソから出た誠」って感じですけどね。 でも結果的には信玄公の「情けは味方」になってますから、もしかして信玄公も、こういう見せかけの善意なども利用して成功したんじゃないか?などとも思いますし、信玄公の教えは、相手の真意を見抜き、その上で情けを持って付き合った人が勝ちってコトかな?などとも思います。 相手の真意なんてのは、鈍感な人間には探れませんが、多感な質問者様には簡単なコトだと思います。 成功した人が威張ってりゃ、当然と思う反面、バカとも思います。 逆に、私の様な未熟者に対してでも「実るほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな」と言う様な挙動をされたら、「本当に敵わない」と感じてしまいます。 成功者ゆえに謙虚なのか、謙虚ゆえに成功したのかは判りませんが、 人に対して謙虚と言うのは、自分の真意は相手に隠すと共に、自分が丁重に接することで、相手が横柄に出るのか、それとも相応に丁重に接してくれるのかで、相手を容易に判断出来ますよね。 これって究極の処せ訓で、賢人の叡智ではないかと思いますヨ。 簡単にマネ出来ないからこそ叡智なのかも知れませんが、凡愚こそ、出来る範囲では賢人のマネをすべきだと思ってますので、私は相手の印象に捉われず、自分の好悪などの感情を表わさず、誰彼かまわずなるべく下手に出て、まずは相手を受け入れるフリは実践してますヨ。

  • tmk00
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回答No.12

「大好き」と「大嫌い」だとか、「愛してる」と「憎い」だとか、 そういうのは同じものでできているのですね。 もっとも冷やかな関係というのは、「なんとも思わない」 「どうでもいい」です。 愛し続けるのも、憎み続けるのもとってもエネルギーが必要で、 歯をくいしばるほどその相手のことを憎むということは あなたはその相手が好きなんですよ。 そのことを頭に入れて考えてみてください。 本当にそんなにエネルギー使うほど、好き? どうでもよくなってきませんか? それでも憎いなら、やっぱりあなたはその相手が好きなんですよ。

  • key00001
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回答No.11

No.5 & No.10です。 雑多な知識のため、書籍をお勧め出来る様な能力は有りませんが、歴史に関わる本でしたら、司馬遼太郎さんとか吉川英治さん辺りは、ほぼ一通り読みました。やっぱ良く売れてる本は、面白いです。 ただ、たとえば武田信玄公だと、ご本人のエピソードは有名だし、まつわる書籍は多数有りますが、信玄公の逸話などを江戸時代にまとめた「甲陽軍鑑」に関する書籍はお勧めします。 読めば、物語的に創られた作家の手による文章の方が間違い無く面白いのですが、「甲陽軍鑑」は、信玄公に関わる書籍を執筆された方は、必ずご覧になる本と言っても過言では無いです。 創作が少ない原典に近い書物を読み、自分なりの正確な人物像を得てから、物語を読めば、作家の創作部分などがある程度判るし、その創作部分についての成否を、自分で判断することも出来ます。 特に織田信長公については、物語的な書籍では、稀代の英雄の様に扱われる一方で、織田信長ほど、坊さんを殺した人はいませんので、日本史上、最高の極悪人として悪鬼の様にも扱われますよね。 物語的な書籍を読むと、もし読んだ本の完成度が高ければ、その印象が強くなってしまって、誤った人物像が出来てしまうかも知れませんので。 たとえば私の中では、織田信長公は、当時の戦国武将(信玄公も謙信公も)の殆どが信仰していた仏教に対し、普通とは違う考え方をしていただけのことと思っています。 それ故に既成概念に捉われず大成功した反面、当時最も常識人の一人、即ち、仏教概念なども人一倍であった明智光秀と思想的対立が生じた結果、本能寺の変に至ったと言う、思想革命・宗教革命の側面も有った様に思っています。 この良し悪しや扱いは、個々の作家の感性や創作力に委ねるしか有りませんが、織田信長公の思想(宗教)革命が失敗に終わり、その後再び仏教思想が支配して、その後、吉田松陰、勝海舟、高杉晋作、桂小五郎、坂本龍馬ら非常に多くの人の手で、次の思想革命が行われるまで、250年以上の歳月を要したと言うのも、一つの見方かな?と思います。 織田信長公ご自身は、思想(宗教)革命なんてコトは、全く意識していないとは思いますけどね。 でも信長公が後1~2年長生きしていただけでも、日本の歴史は大きく変わってたんじゃないかな?と思いますヨ。 でもこれは日本だけの話です。 更に世界に目を向けりゃ、もっともっと面白くなります。 近所の中国に目を向けりゃ、日本人が卑弥呼様を仰いでいる頃には、既に権謀術数を尽くし、日本の戦国時代と同じ様な「三国志」の時代です。西洋ではそのちょっと後くらいからローマ帝国が始まります。 壮大な地球と歴史の前には、些細なコトで憎しみを持つのはちっぽけなコトです。 気晴らしに歴史に傾倒するなんてのは、高尚で良いかも知れません。

noname#159448
質問者

お礼

とても参考になりますし、尊敬します。 本を探してみて、生き様を見習い憎しみを持たないようにしようと思います。ありがとうございます。

  • key00001
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回答No.10

No.5です。お礼有り難うございました。 武田信玄公の言葉は、正確には「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」と言う短歌です。 上の句の方が有名ですね。 人を道具みたいに言っちゃってますけどね。 でも人間は、付き合い方次第で、際限の無い味方に出来るし、逆に簡単に敵にもなっちゃうってコトが端的に伝わる、処世に役立つ良い短歌かと思います。 実際、信玄公は、自身は城に住まず、領地に新たに城を作ることもなかったそうです。 逆に、自意識過剰や被害者意識、あるいは猜疑心などは、自分の心の中に石垣や堀を作り、周りを敵だらけにしてしまう様なモノかと思います。

noname#159448
質問者

お礼

とても参考になります。 武田信玄を出されるということは歴史に精通する本を読まれるのでしょうか。私の思い違いかもしれませんが、読まれるのでしたらよかったら、生き様を魅せられる歴史の人物(武田信玄、上杉謙信、織田信長)の本を紹介していただけないでしょうか。

noname#106151
noname#106151
回答No.9

相手は自分より劣ってるんだという風に考え方を変える。 自分の立場を一段上に持ってって、相手を見おろす感じにすると、 許してやるかって気分になりませんか?

  • ryu1371
  • ベストアンサー率18% (3/16)
回答No.8

考え方を変えること、自分を貫く事が大事です。 少し矛盾しているから難しいんですよね。 あと まだ空虚でいいならそれでいいんじゃないですか。 自分の考えを大事にしましょう。

noname#159448
質問者

お礼

自分をいつも貫いてます。 考え方を変えるのには何かきっかけが必要かも。

  • ryuken_dec
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回答No.7

別の大きなことがあれば気にならない。 大統領職について各種政策を実現するという大いなる目標を持つ人にとって、昔の友人の些細な一言を根に持っている余裕はない。その一瞬は頭の中に入っても、より重要なことがたくさんあるので聞き流して終わり。 自身が空虚であるほど些細なことを気にしてしまう。

noname#159448
質問者

お礼

何か大きなことを手に入れるならまだ空虚でいい。

noname#114696
noname#114696
回答No.6

私は些細な一言を根に持つ事ってありません。 だってそんなの時間がもったいない。 感情を裂くのがもったいない。 楽しい事が沢山あるし、べつにその1つ2つに 引っ掛かっても良い事ないですし・・。 >リラックスして~、などそんな答えはいりません。 まず、プラス思考な話を聞きたくない所が問題なのでは ないですか?

noname#159448
質問者

お礼

時間がもったいない、ですか…。 私にはもったいないと思えないんです。 だからこその質問なので。それでもありがとうございます。 時間を何に使うかをコントロールできる人になろうと思います。

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.5

何をやっても、完全に気は晴れないです。 憎悪は、その恨みを晴らせば、多少解消しますが、過去に恨む様なコトが有った事実は無くなりませんので、完全には無くなりません。 極端に言えば、絶大な憎悪は、たとえ恨む相手が死んでなお続くものです。故事では死者にムチ打つ様な行為が実際に有った様ですから、恨みは消えないのです。 相手が不慮の事故で死んだとしても、「サマアミロ」と思いつつ、「私が殺してやりたかった」などとも思うだろうし、たとえ自分の手で殺したとしても「殺してもあき足りない」とか「もっと苦しませてやりたかった」などと思うでしょう。 > 些細な一言で、些細な行動でものすごく根にもつことってあると思います。 普通は無いです。 「些細なこと」や「思いこみ」くらいでは、根に持ったり、歯を食いしばるほどは、人を憎みません。 些細なことは根に持ちませんし、「思いこみ」は、相手に原因があるのでは無く、自分の勝手な解釈などが原因です。 また、些細なことや思いこみによる恨みは、恨みの原因そのものの解消が簡単ですから、普通は相手と会話する等し、その場で原因そのものを無くす方に努力します。 もしその場で原因を解決出来なくても、それをど気に止めることもせず、自然に放念したり、許容範囲の中に収めてしまいます。 繊細な人は、相手の言葉などには過敏ですが、この様な人は、自分が傷付きやすいので、相手をすぐに憎む様なことはしませんから、質問者様の場合は、自意識過剰とか被害者意識が強いのでは無いかと思います。 いずれにせよ自我が強い傾向があると思いますので、もし、人を恨む傾向が極端に強いと言う自覚があるのでしたら、専門家(診療内科かカウンセリングなど)に相談してみては如何でしょうか? 武田信玄の言葉で、「情けは味方 仇は敵なり」と言うのがありますが、これは「相手に対する情は自分の味方になるが、自分が相手を恨む気持ちは、自分の敵になる」と言う自分への戒めの意味です。 些細なことなどで、気持ちを晴らす必要も無い様に、なるべく恨みの気持ちなどは持たぬ様、自己形成する努力をすることが、一番の解決策です。

noname#159448
質問者

お礼

確かに自意識過剰、被害者意識が強いです…。 専門家には行きません。 ただ、武田信玄の言葉が何かしら救いになりました。 どうもありがとうございます。

noname#152421
noname#152421
回答No.4

「憎しみ」というのはかなり強い表現ですが、それは相手を傷つけたいというような意味を含んでいるのでしょうか? それほどでないにしてもいやなことがあると自分も結構引きずります。 いずれにしても難しい問題ですね。 どうしたら気が晴れるか、良い方法があれば私も知りたいです。 感情がどうにもおさまらないときの対処方法として、自分の中にもう一人の自分を設定して、その新たな自分に感情的になっている自分を観察させることがあります。 場合によってはそれで冷静に整理できることもあるのですが、うまく収拾がつかなかったり、「悲しみ」のようなほかの種類の否定的な感情に変化してしまったりして、万能ではありません。 別の方法としては、役者になったつもりで悲しみの場を演じているのだと自分に言い聞かせるというものです。感情を害した人の役を演じているというふうに。 まあこれももう一人の自分を設定することに近い。 それと、これはあなたがすでに実行されていることですが、誰かに相談してみる。 第三者にぶつけてみて気が晴れるという要素と、状況を知らない人に説明するには筋道を立てて言葉を選択しなければならないので、話しているうちに自分の中で状況が整理できて自己解決につながるという要素があります。もちろん、相談相手からよいアドバイスがもらえるとラッキーです。

noname#159448
質問者

お礼

悲しみを演じる…ですか。 誰よりもそこに徹してみます。

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