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人の顔色を伺う癖

人の顔色を伺う癖を治すにはどうしたらいいのでしょうか? 人を傷つけないように生きて来ました。自分を良く見せてるんでしょうね、いいたい事いえず、自分を偽ってきた結果それが根付いて癖になているようです。どうかよろしくお願いします。どうしても治したいです

みんなの回答

  • mojyayu
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.7

多かれ少なかれ、みんな他人の顔色はうかがっていると思います。 人を傷つけるのは嫌ですし それよりも反撃されたりして自分が傷つくのも嫌ですよね。 人の顔色を伺う癖ですが、おそらく簡単には治らないと思います。 多分質問者さんはご自分にどこか自信がないのではないでしょうか。 それが何からくるのかは分かりませんがその根本が解決しない限りは無理かと…。 でもご安心ください。 みんな誰しも自分に100%自信があるわけではないので質問者さんと同じです。 かくいう私も。 まずは、ん?(あれ?と驚いた顔)という表情をしてみる。 次は小首をかしげてみる。 不満げにではなくあくまで「えーと?」「?」(純粋に疑問に思っている)といった感じに。 そのあたりからはじめて、 相手と自分の意見が異なる時、自分の意見を言う前の雰囲気作りから 練習するのもいいかもしれません。

noname#143209
noname#143209
回答No.6

自分の意見も言えず、人の顔色ばかり伺ってたら、疲れちゃいますよね。 確かに、相手に合わせてたら嫌われはしません。 でも、あなたがあなたじゃなくなっちゃいますよ。 10回のうち1回でいいです。自分がこうだと思ったら、相手の顔色伺わず意見を言ってみて下さい。 『私はいいと思うけどな』みたいなゆるい言い方なら押し付けがましくなくいいと思いますよ。 ムッとされたり面白くなさそうな顔されても、 『でも..一般的にはあなたの意見が正しいよ』などのフォロー的な言葉もかけないで。 きっと、周りの空気を読みすぎてるから辛いのでしょう。 月に1回だけでも出来たら、いいと思いますよ。いきなり変われる人はいませんからね。 小さな一歩からまずやってみてはいかがでしょうか?

  • fumiaki00
  • ベストアンサー率34% (29/85)
回答No.5

人の顔色を伺わず、言いたいことを言う。 自分の正しいと思うことを押し通す。 これは所謂「空気が読めない」人の特徴かと思います。 こと、一般社会で生活していれば、必ず自分を偽る場面があります。 それが人との過度な接触を避けるためとなれば、それは一つの才能ではないでしょうか? もちろん、口さがない人は「自分ってものがない」なんて事を言いますが、そんな人だって雑誌やテレビの影響で自我形成したような人であることは間違いないでしょう。 とはいえ、言いたいことが有るのにいえない状況は心身ともに悪いのは間違いありません。 そこで一つだけはっきりするようにしてはいかがでしょうか? 「うん」「いいえ」もしくは「Yes」「No」 これがはっきり態度に出るだけでも前進すると思います。

  • zxc55
  • ベストアンサー率20% (160/776)
回答No.4

この癖が直ると、あなたはどのように変身するんですかね。 人の顔色を伺って、言いたいことを言えると思えば、話せばいいと思いますし、人の顔色を伺って、この場は、マズイと思えば、言わないほうがいいと思います。場の空気が読めていいじゃないですか。みんなそうしてますよ。 問題は本当の自分を相手に見せれないということなんじゃないですかね。 ただ、本当の自分を見せる相手は選ばないといけません。そういう信頼のおける友達を作れば自然に治りますよ。

noname#115195
noname#115195
回答No.3

評価が関わらない時・場所・場合の方で楽しむと良いですよ。 評価から思い切れてる人の発想を学ぶのも自由です。 他人の発想に感化されて言動出来る事を、顔色伺わなければ進めなかった事を上回る程自己経験する。 伺うが窺うにならぬうちに。 病むのと窺うの混同状態を避けたいのだと思いますし。 ああしなさい・こうしなさい人間から離れて犠牲を払わせられないように無益より有益に生きる。 質問者様の身心や価値観や観念があるのだし、1人の人が2人分楽しんで嫌な事の押しつけばかりじゃ生きて無いのと同じです。存在が。 賑やかに騒げる場所も無礼講な場所も人もあります。 言われたら率直に言い返せる場も人もあります。 同じ無益になるならば、選べて自主的に遊ぶために楽しむために求めて御金を使いましょう。 進めていくうちに落ち着ける無益のもとを取る有益感がある事に出会えますよ。 みんな好き放題喜怒哀楽を日々出し合ってる場であれば、発散出来ていくでしょうし。 そこにいつもの癖な傷つけまいとする行為がわずかでも出れば、それにも感謝の言葉がすんなり返ってきたりしますし、発想の感化に自身も貢献出来ていくので良いと思います。 娯楽。 とことん他人にストレス発散するのは犯罪や嫌がらせになってきますし、悪い連鎖反応が生じますから、病んでる事の補助程度で。 病は病院で治して他は趣味嗜好で癒していく。 顔色伺わせる人の人格で潰れたら勿体ないです。酔いしれたくないのに酔ってしまうと危ない。 特殊なハードワークからは離れた時間の費やし方、人付き合いで緩和していくとは思うのですが。

回答No.2

傷ついた。治るよ

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

必ずしも悪い事では無いと思うんだけどね。 その貴方の相手の立場、気持ちに寄り添える姿勢が活きる場面もある。でもそればかりになっていたら。当然だけど人と上手く関われない。 そもそも顔色だけで相手は判断できない。 貴方なりに相手がこう思ってるかもしれないと言う想定はあっても。 真実は相手の中にある。 だからこそ、貴方は貴方なりに相手と直に向かい合う中で、コミュニケーションの中で感じていくもの、伝わるものを大切にする。 表面的な関係だけで成り立ってしまう場合もあるけど。 人間関係には深さがある。 貴方のその人を傷つけない表面的な対応が。 実は相手を傷つけてる場合もある。 相手が自分を伝えようとしてるのに。貴方がそれを恐れて、自分を偽って余所行きになったら。心の距離が埋まらない。 癖がついてるなら。そういう自覚があるなら。 その自覚を常に持ち続ける事。癖があるから仕方が無いで終わらせない事。 自覚を持っていても偽り続けてるなら。それは貴方の意思なんだよね。意思ある放置。 本気で変わりたいと思うからこそ。 今までとは違うスタンスで相手と向かい合って、貴方なりに自分自身を伝えていける。同時に相手の事も先入観や表面的で距離のある状態だけで判断せずに、直のコミュニケーションの中で丁寧に感じていける。 感じるだけではなくて、貴方自身の自分を相手に伝えていける。 その双方向の営みがコミュニケートなんだよ。 いきなり別人にはなれない。 でも、問題意識を感じる貴方自身として。 少しずつ自分の事も伝えていける力を。 これからの対人関係の中で貴方なりに培っていけば良いんじゃない?