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人の顔色ばかりうかがう私

私は人の顔色ばかりうかがって生きてきました。 言い換えれば人からの評価が私の人生でした。 自分を出さなければ私のことを理解してくれる人は出てきませんが、私は会う人会う人に合わせていつも自分を変えてやってきました。誰にも嫌われないように、誰も傷つけず誰にも傷つけられないように生きてきました。 その結果、今ほとんど私と親密な人はいません。唯一私がヒステリーを起こし本音で罵倒した友人だけが、私の親友として残っています。 私はもう30歳も半ばに来ています。しかし私の本音を人に話せません。いつも何歩も引いて格好付けているような姿勢で人と向き合っています。 私の汚い部分を人に見せれば確実に嫌われると確信しているからです。しかし出さなければ本当の人間関係は築けないともわかっています。もちろん結婚相手も見つからないでしょう。 ただ、わかっていてもなお、どうしても私の内面の汚さは半端じゃないように私は感じています。出せません。出したら皆唖然とし、私から離れてしまうだろうと思っています。私の内面を知っている数少ない理解者は「そこまで言うほどではない」「そういう人は他にも多い」と言ってくれますが、自分を見失いヒステリーを起こすことがあるような男です。恥ずかしいこと極まりない。 また私のような人が他にいたとしても、私はその人のことを最低な人間だと思うでしょう。 どうすればほんの少しでも、私は前に進めるでしょうか。心構えだけでも良いのでよろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • Syo-ya
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回答No.3

とても良く分かるつもりです。 抱えた荷物は多少違いますが、お互い人間ですから、 みんな似たような苦悩を抱えるんでしょう。 ご質問者さまも、人の顔色を伺って来たつもりでしょうが、実は、それは全部、自分の思い込みを強固なものにしてきたにすぎないんです。 人の顔色だと思っていてもそれを判別しているのは、やはり「自分」ですから、自分が「OK」と思ってしまえば、それがその人の本音ではなくても「彼の顔色はこう言っていた」という確信になってしまうだけなんです。 ですから、何が一番の問題かといえば、やはり自信が無いということだと思います。 自信の無さを補うのに、人の顔色をアテにして、頼っているだけで身勝手と言えば身勝手な話だと思います。 私の場合ですと、そこまで自分というものに自信が持てない、自己の不確実性に陥ったのは、生育歴にありました。 親から受けた言葉や態度が、そのまま私という人格に反映されているからでした。 毎日のように言われていました。 「お前みたいのは」「だから馬鹿なんだ」「どうせお前は」・・・の罵詈雑言のオンパレードでした。 よくぞここまで人を罵倒できると思うほど罵倒されてきました。何の犯罪も、ましてや殺人も犯していないのに!です。親のサンドバック、ストレス解消のオモチャのように育ちました。 こんなカタワにされてしまった人間に健全な自我というものはちょっと芽生えなかったです。ましてや人並みの感情の起伏というものについても分からなかったです。私の感情の起伏は、明らかに周囲のそれとは違っていました。 これで私が本当に事件でも起せば、私の親は「ほら見たことか」と言うのでしょうが、こうやって考えれば、そもそも犯罪者も被害者であったと言えるんです。 D・V(ドメスティックバイオレンス)をする親達も、幼い頃、そうされて育ってきてる場合が多いんです。 つまり実はみんな被害者であったということなんです。私の親もそうでしょう。 ですから、ご質問者さまも、ご自分の成育歴を見つめなおして、自分の身に何がおきていたか?を知ることで、『被害者性』というもに気が付いて、自分に対して同情心が芽生え、嫌悪感が薄れて「自分を大切にしよう」という気持ちになってくるかも知れません。 みんなオギャーと生まれた時は無邪気なんですが、家の中という密室の環境で受けたきた影響で、その後がある程度決まってくると思います。 その影響があまりにも強く、生き辛さを伴なうようでしたら、是非、アダルトチルドレン概念を勉強してみてください。私も山ほど勉強して、自助会にも参加してました。 ちなみに過度に甘やかす過保護、過干渉というのも「親切な虐待」「見えない虐待」と呼ばれる、やってる方も、やられている方も分からないけど立派な虐待なんです。 長くなりましたが、ご自分の被害者性を見つめなおして、癒していく方向で進むのが一番良いと思います。 あと「正心調息法」という呼吸法+想念法もお薦めです。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 >人の顔色を伺って来たつもりでしょうが、実は、それは全部、自分の思い込みを強固なものにしてきたにすぎないんです その通りかもしれません。自分で勝手に人の顔色を決めていたのだと思えますね。 私の家庭は酷い環境ではないと思えますが、少し特殊性は確かにありました。その辺りをもっと考えてみようと思いました。

その他の回答 (6)

  • phiphi
  • ベストアンサー率14% (35/241)
回答No.7

 私も人の顔色ばかりうかがって生きてきました。 全く同じで人からの評価をものすごく気にします。私も会う人会う人に合わせていつも自分を変えて、誰にも嫌われないように、誰も傷つけずに済むようにしてきました。ですが、疲れました。 それと、内面が汚いと感じている点、一緒です。    もう疲れたくないので、本音を出すことにしました。嫌われても構わないし、どうせどうやったって敵はいるものだし。で、言ってみたら皆私のことを「腹黒」「怖い」と案の定言いましたが、信頼関係は以前よりも増した感じがします。  案外、人って離れないものだな、と思いました。 離れてもいいよ。と言ったのですけれども。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 同じような苦しみを持っている方の御意見は身に染みます。私はつい最近自分が顔色ばかりを気にしていたと気づいたばかりで、今まで苦しいけれどもなぜなのか意識していませんでした。 難しく怖いですが、自分を出しても人は離れないということを心に止めてやってみようと思います。

回答No.6

人の顔色を見ながら生きてきた者です。 私は現在カウンセリングを受けております。 そこで、治療している中で、育った環境がすごく関係ある事が判明しました。長年そういう環境で育ってきたら、なかなか自分を変えるのは難しいですよね。 でも、いい人を演じていくにはすごく疲れますよね。 嫌われるのではないかという事が怖いと思ってる限りは前に進めませんよ。 嫌われたら嫌われたでいいではないですか。世の中いろんな人がいるので、どう受けとめられるかわかりません。合う合わないがあって当たり前です。いい人を演じていると自分で思っていても、人によっては「この人嫌な人だな」「腹黒そう」とか思われてるかもしれませんよ。 そう考えたらきりがありません。自分がつぶれてしまいます。 怖がってばかりでは前に進めないので、勇気をだして一回でもいいので、本当の自分をだしてみて下さい。 少しずつでもいいので、自分に自信がもてるようにしていく努力が必要です。 少なくても、親友といえる友人がいるだけでもいいと考えてはどうでしょう。 我が道を行くでいいではないですか。世の中そんな人多いですよ。完璧な人なんか存在しません。 そう考えるだけでもいいと思いますが。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も子供時代になにかトラウマがあったようで、今カウンセリングに通っています。ただカウンセラーは聞くのが専門でアドバイスはそんなに頂けませんので、こちらで質問させて頂きました。 人に嫌われる怖さというのは私にとって猛烈なストレスで、自分の意見を言うのが本当に怖いです。しかし出さなければいけませんよね。覚悟を決めなければならない時期なのかもしれませんね。

  • love99
  • ベストアンサー率39% (50/126)
回答No.5

みんなと親密になるいうことはできませんよね。そう考えると、親密な人をつくる為には、どこかで自分の意見とは違う敵となる人をつくることが絶対に避けられないこととなります。今までの逆をやってみる、ということで、「まずは敵となってしまってもかまわないから、自分の要望や意見を冷静に言ってみる。」という心構えはどうでしょう?自分の要望を相手に思い切ってあずけてみるのです。あくまでもひとつの意見ですが参考になれば・・・

参考URL:
http://www4.plala.or.jp/k-k/mokuji08.html
noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 >、「まずは敵となってしまってもかまわないから、自分の要望や意見を冷静に言ってみる。」という心構えはどうでしょう まさにそこなのでしょうね。私は誰一人として嫌われるのが怖くて仕方ありません。八方美人は報われることがないとはわかるのですが、子供の頃からの強制力から逃れられていないようです。難しいですね。

回答No.4

>私のような人が他にいたとしても、私はその人のことを最低な人間だと思うでしょう。 最低のsuudaradattaと申します。 Syo-yaさんがいつも的確なアドバイスをされております。 私もACの自助グループには随分通いました。hayaさんにも、お勧めしたいです。 そこに集まる人間は自称ACであります。 友達になる必要はありません。場を盛り上げる必要もなければ、適度な愛想笑いも一切必要ありません。 ただ一つ、hayaさんのおそらく不得意であろう「ありのまま」の自分に本当の事を語らせるのです。 hayaさんのお父様は、お母様は、「ありのまま」のhayaさんを愛しましたか?○○ができたら愛してあげる、条件付のご褒美のような愛情ではありませんでしたか? 勉強ができなくても、体育ができなくても、お遊戯が下手くそでも、着替えがのろまでも、折り紙がぐちゃぐちゃになっても、クラスのリーダーになれなくても、それでも「ありのまま」のhayaさんがかわいくてかわいくて仕方がない、そんな愛され方をしましたか? 細心の注意を払っていながら、好かれない。特に嫌われてもいない代わりに、好かれない。匂いがないのです。人間の匂いが、ないのです。5人に嫌われたけど、2人に好かれた、そんな、匂いがないのです。人の目、気になりますよね。人の評価、もっと気になりますよね。 人から必要とされなくたっていい、あなたは、ただ輝くだけでいいんです。自らが、ただ輝けばいいんですよ。 人間の命って消耗品、一回ポッキリの使い捨て、どうせ死ねます。 アナタもワタシも。好かれても、嫌われても。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 私の親は良い親だとは思いますし私も過保護気味に育てられた記憶がありますが、家庭は少し特殊な環境でしたので、私は愛情を受けるために子供ながらに何かを志していたような気がします。 難しいですね。ACのグループというのも調べてみようと思います。

noname#6248
noname#6248
回答No.2

30代半ばですか… 一般的な(という名の私の偏見)では、他人の顔色を見るのではなく、自分の都合で行動し始める頃の年齢かなぁなどと思ってしまいます… 公共の場で『へん!どうせここにいる奴らとは』という考えがあってかは知りませんが、実に図太い人の多い事… 他人は判っていても教えない…これが世の中の摂理だったりするので、結果 『注意されない=私は優れている』なんて思ってしまうんでしょうね… 『自分はこんなんでいいのだろうか』そう思う事ってすっごく大事だと思います。 人の顔色を伺う… 人はどう思っていてどうして欲しいかが判る人間…つまりは思いやりのある人間でもあると思うんです。 なんか機嫌悪そうだから近づかない、怖そうだから視線を合わすまい… という事は安全に繋がりますよね?…私にはこれがやや欠けているのです…『好奇心』が先走ってしまうので… 本当に性格や考え方の修正は難しいですよね…頭じゃ判ってる… でもどうすれば良いかわからない。 結果ついつい、いつも通りの生活をしてしまう… 『過ぎたるは及ばざるが如し』ではないですが、 政治家を見ると実に両極端だと思いません? 『能無し!止めてしまえ!』から、『何もそこまでしなくても…』に変わりました。 ちょうど良いところで止めてくれるのが一番ですがそれが一番難しい 上手く変わる方法…私なりにあみ出したのは2パターンです。 ・(-1)を掛ける方法  一旦『なりたくない自分』にあえて下げずむんですね。  身をもって経験をする事で、『二度とこんなに落ちぶれたくないぞ!』という気持ちになる事が第一段階  ここでマイナス1の掛け算をするんです。  『逆をする事』って結構簡単なんです。批判するのは簡単ですし、自分の欲求と逆の事をすれば良いわけですからね。 この場合ならば…  『現状では他人の顔色を伺ってしまう』わけです。  希望は『他人の顔色をあまり伺わなくても良くなりたい』です。  一気に変化させてしまうと、『傍若無人で爪弾きですし』『伺わなくて良くなる方法が良くわからない』という訳ですね。  『現状では他人の顔色を伺ってしまう』というのなら『他人の顔色を思いっきり伺ってしまう』わけです。  これならば何とかなりそうですよね?そうしていくうちに『顔色を気にする事』の意味が解ってくるし  めんどくさくもなってきます。そこで一気に性格を反対へ引っ張るんですね。  理想的な性格になると思いませんか?『顔色を気にする事の重要さ』を理解していれば、  どの程度まで顔色を気にしなくても良いかが判るはずです。『しすぎていた』これが明確に判りますよね? ・(1/∞)を足す方法  これは、他力本願なパターンです。  自分のだめな性格を持っていない人をまず探す所から始めます。  そして、その人を真似たり、親しくなって染まっていく形になります。  ですが、猿真似では駄目なんですね。残念ながら理想的なその人をすぐ真似ると嫌われますし、  付け焼刃的に変わってもすぐに元に戻ってしまうんです。  急激なダイエットはリバウンドしてしまいますよね?それと同じで、急に無理なことをやるとストレスになり  その性格が直っても、ストレス発散の為に違う性格が悪くなってしまう。  そこで、本当にわからないくらい、悟られないくらいにして毎日少しだけ変わる この場合ならば…  この人の性格いいなぁと思っている有名人を良く見るようにするんです。  直したい性格の持ち主ならば他が良くなくても問題ありません。その性格はどこから生まれているのか  どうしてそうなのかを毎日見て考えるんです。  私生活においても、理想的な人と付き合うんですね。恋愛で無くて良いです。友達レベルで良い。  こうなのかな?こうすれば良いのかな?という所が見えてくるはずですから、そしたら少しずつ削るんですね。  一気に削ってしまうと、『やりすぎた!』にどうしてもなってしまいますから徐々に徐々に、変わっていくんですね。  相手に悟られないぐらいに毎日少しずつ修正をかける。本当にひと擦りでいいんです。  時間はかかりますがこれも良い方法かなぁと思います。  私の性格が変わったのは彼女のおかげなんです。以前は実にとげとげしく自分本位でしたからね…  実におおらかな彼女と3年…そりゃ変わりますよね。まぁ時に感情的になる事もありますが、徐々に徐々に変わっていってるなぁと感じます。 この2つを駆使してぜひなりたい自分になってみてください。 『自分をさらけ出せない』というのも上のように変えれば委員です。 私も昔は自分をさらけ出す事ができなかったです。 でも今は平気で暴露する…意識改革なんですかね… 『痩せなきゃねぇ…』に対して無理なダイエットをするからどんどん険しい表情になる。 『食べれば良いではないか!』としてしまうんです。 一時流行ったフードファイト。太っている人は少なかったと思いません? たくさん食べて、それでも痩せる人がいるんですね。 消化器系の知識を持ってすれば、食べても痩せるんです。逆に何も知らなければ小食でも太るんです… 私はそれを実践していますので、好きなだけ食べても体系をキープしています。 ただ、正月太りが残っているので少しは削ろうと思うので今日から痩せるためのレシピで自炊ですが…

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 あえて自分をさげすむことは、今の自分にはできないかもしれません。取りあえず今は私の中で最低ですのでこれ以下となると生きる気力が無くなります。 理想人を真似をするのは出来るかもしれませんが、私は自分が嫌い(=自分に厳しすぎる)のと同時に他人にも厳しく、知り合いにも理想人はなかなかいません。だからこそ今孤独になってしまっているのですが。

  • sarube
  • ベストアンサー率19% (145/734)
回答No.1

こんにちは。 私も、少なからず似たようなところがあり、悩んできましたので、お気持ち解る気がします。  私も,子供の頃から人の顔色をうかがいながら生きてきたように思います。  でも、今はそうではなくありのままの自分で、生きています。   私が、そのことで悩みはじめたのは20代前半で、、、とにかく、人と付き合うことにかなりのエネルギーを使っていました。       それから、あるカウンセラーの方に相談して、私はかわれたように思います。                 まず、ありのままの自分でも人は受け止めてくれるんだという自信がついてからは、人付き合い が苦痛でなくなりました。  嫌なものは嫌。 ダメなものはダメ。とはっきり言えるようになった事も、大きなメリットになりました。   一日の出来事、自分が相手に言った言葉、その時の相手の態度や言葉など、日記のように書き留めてみてはいかがでしょうか??   人は案外、自分が気にしているほど、考えてはいないものです。         まずは、自分を好きになって、ありのままの自分をうけいれましょう。    必ず、前にすすめますよ。 (・。-☆   

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 実は私もカウンセリングを受けているのですが、少しは良くなっているものの、まだ改善とまでは行かない日々です。日記などで自分を好きになれればいいのですが。

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