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近世、盛岡藩 翻刻された史料 読み方について質問
- 近世の盛岡藩で翻刻された史料について、読み方について質問があります。
- 史料は盛岡藩雑書という家老の執務日誌で、一部分の読み下しに困っています。
- また、盛岡藩の地名である水主町の読み方についても教えていただけると助かります。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 bungetsuです。 >>明之依為方山鷹野 出御 あけて これより なす ほう(または、かた) やま たかの しゅつぎょ 出御(しゅつぎょ)・・・天子など高貴な人のお出ましになることを言います。 ではないかと思います。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>この文章中の「明之依為方山鷹野 出御」の部分だけが読み下せませんでした。 明之依・・・明けて(夜が明けて)これより、なす。 方山鷹野・・鷹狩りの山の方へ。 出御・・・・出かけました。 夜明けとともに、鷹狩りの山へ出かけられました。 ではないでしょうか。 >>盛岡藩の地名で「水主町」というところがあったようですが 「かこ まち」と呼びます。 水主(かこ)は、例えば、千石船の船員のことを指します。 千石船では、頭(かしら)→おやじ(副船頭)→知久(ちく=船での金銭管理や商品の管理掛り)→ママ炊き。 の序列になりますが、これらをひっくるめて「水主(かこ)」と呼びました。 多分、海に近い場所ではありませんか? また、盛岡だけではなく、全国各地にも「水主町」はありました。 いずれも、廻船での取引が行われた町です。
お礼
ご丁寧にお返事ありがとうございますっっ!!!! 誰からもお返事いただけないかもしれないと思い、 とても嬉しく思います。 水主町のこと、わかりました^^ ありがとうございます。 「一、行信公今日愛宕山方へ、明之依為方山御鷹野 出御、 午之刻御 帰、右之為、御祝儀高知之面々御菓子上ル之、 御物数 雉子弐拾六羽」 こちらの文章のことなのですが、 読み下しで、ひらがなでかかきますと、「明之依為方山御鷹野 出御」 の部分以外は 「ひとつ、ゆきのぶこうきょうあたごさんかたへ、(略) うまのこくおかえり、みぎのため、 ごしゅうぎこうちのめんめんおかしこれをのぼる、 おんものかずきじにひゃくろくわ」 となるのですが、このような感じでかくとすれば、どうなりますか? すみません、是非よろしくおねがいします><。
お礼
早急のお返事に大変感謝いたします。 とても参考になりました。 本当にありがとうございました。