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なぜ左右(サユウ)はこの並びなのでしょう?
- 左右の並びにおいて、右が後に来る理由について疑問を持っています。
- また、左右についての言葉の歴史や海外との違いについても知りたいです。
- なぜ右に出る者はいないのに左右では右が後に来るのか、左右の並び方には何か由来があるのでしょうか。
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中国には、右が良く左が悪いという考えもありました。(参考サイト:文化と左右) それで『左遷』(左にうつる→地位が下がる。)・『右に出るものがいない』(一番右→最高)という言葉があるのです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E5%8F%B3 先ほど『考えも』と書いたのは、場所や時代によって「右が劣り左が勝る」という考えもあったからです。 そちらの考えを日本が取り入れたため、『さゆう』と読み左が右より格上であるようになったのです。 後に西洋文化を真似る際に、「右が上」という形式も入ってきます。 お内裏様とお雛様の並びにそれが現われているそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E7%A5%AD%E3%82%8A そういえば『みぎひだり』とも言いますね。 どうもこのお話はすっきりとはいかないようです。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.4 人類は右利きが多い様ですが、(原則、右利きですね) 使い慣れた右を使う事が心理的に怠慢、驕り、自己主張や常識にとらわれ(怠慢やおごりではないと存じます、通常はインドでも右で受け、与え、そして敬礼します。左は失礼です。) 日常的な些細な意識の差が、人格=記憶の意味にじみに影響を与え続け、大きな差になると思えますし。(左右どちらを使うかが日常意識と関係あるかどうかは私は感じません。日常意識は些細ではなく、基本意識がにじんでおり、とてつもない大きな基盤で人と世界を支配している原理となっているとと存じます。) 北面武士、南面して天下を治む。磁石が南北に向く。 アサヒコムの記事で読みましたが、動物の群れは自然と北を後ろにし、南に頭を向けて、草を食む(はむ)、とかの事です。 東西南北のことでこのサイトで質問したとき、南にいるか、南に向くかの違いがあるし。とかのご回答をした方がおられます。 しかしそれは決まっています。 この地上界で生き、存在し、子孫を増やし、支配していくのは北にいて、南に向く。北は意識が来るところです。 だから北から南面して、王者は支配する。人体も東西南北が明確です。 北に位置して左は上位の東です。左大臣はそういう位置が本来です。 それを下のものがみれば、右大臣です。 それだけの差です。 東は聖書でもたの聖典でも叡智、賢者のくる、光が射してくるところですから。 多くの人はこのことを混同しております。 ご回答にもその辺を区別認識している方は多くはないと存じます。 南と西についてはここで説明することを避けます。 左右とは南にいて北を向いているか、北にいて南を向いているかの問題でもある。 という一つの見かたを説明しました。 ご理解なさるか、受け入れるかはご本人の感受性や古典の読み方の問題でしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 思ったことを断言してるかのような引用にされてるのがひっかかりますが、 仰ってくださってる事はとても参考になりました。 動物の意識や南北の視点。ありがとうございました。
- Ishiwara
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ずっと昔は「左大臣」が「右大臣」より上位でした。 いつの時代からか「右に出るものはいない」「左遷された」のように立場が逆転したようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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左右問題として多くの人が気にしている事の一つであり、また文章内ではなく、単語内の語の並びの問題でもあります。 http://okwave.jp/qa/q2933222.html でも類似というか同一の質問があります。探せば更に多くの質問やURLサイトがあると存じます。 一つは、言葉の出し方で、中国と日本では言いやすさが異なると存じます。中国にはその言葉を出す上での平仄や幾つかの決まりが自然にあるようで、これは人間が規定したり決めたりしたものではなく、言語という生命的な存在の生態からの自然法則のようです。 ですから、私は日本人の、例えば乃木将軍の漢詩など、好むのですが、中国の人にはうたい難いそうです。 中国語のそういう自然の決まりを研究している人もいます。 漢文などの専門の人でしょう。 ちなみに私は、50年ほど前10年ほど本格的にハタ(ハサ)ヨガをやり、今は40年ほどラージャ・ヨガの精進と理論勉強していますが、やはり左から始めます。 インドの誠実な方が、左で敬礼したり何かと左でする人がいるので、同じインドの方が、本来右でやらなければいけないのにどうしてか、といったら、“右は(何かで)遣ってしまったので、右でするのは失礼だからです”と答えたそうです。 太極拳も足の運び(踏み出し)は左からですね。 ある権威に聞いたら、左に重心を最初におくのを避けているのだと思う、としか答えられませんでした。 狂言方和泉流野村万蔵さんと少人数でお話を伺ったとき、舞台には絶対に左から踏み入れる。右で入れたらこっぴどくしかられる。 袴も左からはく。右からはいたらすごくしかられる。 どうしてか、とおじいさんに聞いたら、“そうなっとる”としか教えてくれなかった。 今もどうしてかわからない。 というものです。 私たちの行(主として生き方の修行ですか)は、ハタ(ハサ)よりも難しくはないが、やはり左が最初です。 これを崩す事は許されない。数千年そうして伝わってきています。
お礼
大変興味深い話をありがとうございます。 何となくですが。 人類は右利きが多い様ですが、 使い慣れた右を使う事が心理的に怠慢、驕り、自己主張や常識にとらわれ 多様性が有る人の社会で他者への否定感情へ繋がり乱れが起きる とか、有るのかなぁと思えました。 日常的な些細な意識の差が、人格=記憶の意味にじみに影響を与え続け、 大きな差になると思えますし。 ご回答ありがとうございました。
- Tacosan
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参考になるかも.
お礼
発音ですか・・。 確かに数字の昇り下りの発音差に発音は関係あると思えますね。 「貧富」と「損益」は、人間が 損害の記憶は色濃く残し、利益の記憶は忘れやすい構造なので 無意識の優先度としては極自然な事と思われます。 確かにウサは別段発音し難い訳ではないと思えますが、 確かにサユウの方が発音しやすいのは解りますし。 帯剣時代の左通行、中国の文化・・ 右に出る=出る釘を嫌う社会で目立たず和を保つ心理が ウサではなくサユウを馴染ませたのでしょうか。 興味深い情報をありがとうございました。
奈良や京都に朝廷があった頃は、奈良や京都の御所から南を向けば左が東だから、左大臣が上位だったのです。 が、幕府が鎌倉や江戸に行った為、悔しくて捻くれて右を重んじるように仕向けたんです。 要するに、どうでもいいことを屁理屈で纏めたかったのです。 朝廷即ち天皇家は、庶民のためにはチットモなってくれてないんですよ。 律令は庶民を奴隷にする法律だったのです。 私は共産主義者じゃないですが、天皇制も、害あって益無しと考えています。
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 左右 右左にはこういう歴史が有るのですね。 サユウ と みぎひだり ならば発音コストでさゆうを選ぶかもしれませんが みぎひだり を ウサ と言わないのは同音異義語が多い日本語から見て やはりそれだけじゃ辻褄が合わない気もしますし。 確かにすっきりしないですね・・。ありがとうございました。