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自意識過剰はどうやったら直りますか?

20代女性です。 私は、昔のトラウマがありそれから今では自意識過剰で人目を気にしてしまいます。 これは一時的なものなのですが、前から人が来るときになんか迫ってきそうな感じがして、思わず下を向いてしまうのです。 何か嫌な苦しい気分にもなって、もし私の立場だったら、皆さんはどう対処しますか?自分自身どう改善しますか? 考え方は気にしない方がいい・病院へいくのが一番ですが、お金に余裕がないので他の方法でお願いします!

みんなの回答

回答No.5

こんな考え方はどうでしょう? 僕が文章を読んで思ったのは、peru0_0さんの体がperu0_0さんを 守ってるんだなぁ~って思いました。 人と会ったときに、相手の目を見て、 相手が自分に危害を加えてくるかどうかを 瞬時に体が判断して、 この人は危険ですよ~って信号を送ってくれる。 (この信号が、peru0_0さんが書かれている、  前から人が迫ってきそうな感じだと思います) そうやって事が起こる前に、危険を回避して、 peru0_0さんを守ってくれていると思います。 これって、原始時代から現代までの間に、 人間が生存するために発展させた能力で、 それをperu0_0さんが使ってらっしゃると思います。 そしてトラウマの出来事が起こっていた最中は、 peru0_0さんを攻撃する人が多かったので、 この能力は、peru0_0さんを守ってくれてました。 そして今は? たとえば、前から人が歩いてきたとしますよね。 その人は、peru0_0さんを攻撃するつもりが全くありせん。 でもその人の目が、かつてperu0_0さんを攻撃してきた人達と ほんの少しでも似てると体が判断したら、 体は瞬時にperu0_0さんに、 危険ですよ~って信号を送ってきます。 相手はまったくperu0_0さんを攻撃するつもりもないし、 そもそもperu0_0さんを知らなかったとしても、 体が危険ですよ~っ信号を送ってきてしまう。 そんな状態じゃないでしょうか? 自意識過剰と書いてしまうと、なにか病気のような感覚に なってしまいますが、 多分、体がperu0_0さんを守ろうとしているんだと思いますよ。 攻撃してくる人がいた頃には、あなたを守ってくれた能力が、 攻撃してくる人がいなくなると、今度はあなたを悩ます能力に なってしまってる。 今の状況はそんな感じじゃないでしょうか? せっかく体はperu0_0さんを守ろうとしているんだから、 自意識過剰とか言わずに、 前から人が来るときになんか迫ってきそうな感じがして、 思わず下を向いてしまいそうになったら、 体に向かって、「ありがとう、私を守ってくれて」と 声をかけてあげて感謝の気持ちで体を満たした後、 「今はもう大丈夫です」と声をかけてみてはどうでしょう? これならお金もかかりませんし。 体と対話するのは変だと思うかもしれません。 でもせっかく守ってくれている体に対して、 あんたが私を困らせてるのよ!って思うよりは、 守ってくれていることに感謝して、 今は必要ないよと伝えることができたら、 体も反応してくれると思います。 だって体は、peru0_0さんと29年一緒に生きて、 痛みや辛さを全て受け止めてきたんですから。 そんな体に感謝を気持ちを伝えるだけでも、 何か良い事がありそうですよ。

noname#119994
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、トラウマになってから私の心が体までもが傷ついてきたと思います。私は、真面目に物事をまっすぐに見てしまうタイプなので、思い込みも激しいです。 だから真面目すぎるのもどうかと自分で思いますね・・情けないところもあります。きっと今でも、昔のトラウマと重ねて見ているでしょうね。そう感じています。 トラウマはなかなか消せません(泣)何が一番自分にとっての解決法になるか、たくさんの回答を待ちたいと思います。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.4

私も昔、「自分は自意識過剰気味かな」と少し悩んでいた人間です。程度は軽かったのかも知れませんが。 でも最近は「他意識過剰」な人のほうが問題じゃない?と思うまでになりました。 私が、自分の「自意識過剰気味」から少し立ち直れたと思ったのは、やはり「自分に自信を持てたこと」が大きいのかなと思います。 でも、いきなり「自信を持って!」と言われても難しいのかなと思いますので、最近、私が少し実践している「心の持ち方」というのがあるので、よければ試してみてください。 それは、例えば「自分が「この人は許せない」と思う人が目の前に居る」というようなときに、「その人は、目の前には居ない、どこか「遠いところ(何処でも、ご自分のお好きなところを思い浮かべてください、といっても、なるべく具体的な「遠いところ」のほうが、いいかもしれないですね・・・例えば「旅行先の~」など)」に居る」というふうに思い込むことです。(私は、自分が怒ってしまいそうになったら、それをコントロールするために、そういうことをしようと努めています) そして、その人が何か言っても(その人は「遠いところ」に居るのですから)、無視してしまうのです。すると、やはり(その人は「遠いところ」に居るのですから、)私が(その場で)怒ってみても仕方なくなりますよね。 こう言っておいて、なんですが、・・・私は、自分でも「これが最善の方法」とは思えません(笑)。 ・・・本来は、(仰る通り)然るべきカウンセラーのもとで、セラピーを受けられるのが、最も良いのだろうと思いますが、もし、そんな方法でも何かのお役に立つことがあれば、幸いです。

noname#119994
質問者

お礼

ありがとうございます。 その言われているのがわからないのですが、自分とは関係ないから無視するってことですよね? 確かに道を歩いていて、通りすがりの人は知らない人です。 「自信をもって」といわれたこともありますが、すぐには立ち直れません(泣) なかなか難しいですが、くよくよせずに胸を張って歩くのが私の目標です。 逆に普通に何にも気にせず歩いてる人がうらやましいです・・私にはトラウマがあったので。

noname#132831
noname#132831
回答No.3

 そうだったんですか、補足コメントありがとうございます。  他人の容姿や行動に過剰な興味を示し、批判をしたり意地悪を言ったりするタイプの人間が、一部に存在することは事実です。ただ、そういう人間は実はとても臆病なのです。他人と自分を比べ、優劣をつけることでしか自分の存在価値を認められない哀しい人なのです。そしてほとんどの健全な人たちは、あなたが気にしている事柄について、実は物足りないほど、まったく気にかけてもいません。もし周りが気にかけているとしたら、それはあなたの容姿そのものではなく、過剰な自意識によって引き起こされている、あなたの行動のぎこちなさかもしれません。  「見下される」こともあるかもしれません。「なぜあの人は見くだすような態度をとるのか判らない」と嘆いていても問題は解決しません。その答えは簡単で、現に見くだしているからです。私たちが「他人の行動が理解できない」というときは、たいていの場合、「悔しさ」という感情が入り交じっています。「理解できない」のではなく、「判ってはいるが、悔しいから認めたくない」のです。他人の理解できない言動に腹が立ったとき、どう気持ちの整理をすればよいのでしょうか。気にすればするほど、相手がそんな自分の気持ちなどたいして気にもかけていないことに腹が立ち、ますます執着を強めてしまいます。気にすまいと必死で自分に言い聞かせても、そうして自分の心を抑えつけることがまたストレスとなります。  どんなに嫌な性格の人も、本当は、できることなら皆に好かれて楽しく毎日を過ごしたいと思っているに決まっています。しかし、それができないのです。「私だったらこうするのに、なぜあの人はそうしないのか」と責めるのは、自分も実際にその人と同じ境遇に生まれ、同じ人生を歩んだ上でなければなりません。そんなことは不可能です。自分はその人ではないし、その人は自分ではないのです。  嫌な性格の人、意地悪な人にみずから執着してはいけません。あなたにそういう態度をとるようなら、他の人にも嫌われているはずです。その人も、本当は誰からも好かれたいと願っているはずです、ただ、その方法がわからない、悲しい人間なのです。自分も、すべての人から受け入れられているわけではありません。人それぞれに考え方は違うのですから、自分の好みに合わない人がいても、何の不思議もありません。 他人に傷つけられたときは、自分も同じようにほかの人を傷つけたことはないだろうかと思い返してみれば、腹立ちはおさまります。  好き嫌いをはっきりさせることは、決してわがままではありません。自分の素直な感情を抑圧することのほうが、よっぽど精神によくないことです。  気の弱い人は、歯に衣着せぬ物言いをする人に対して、「自分はこんなにもビクビクと他人のご機嫌をうかがって生きているのに、どうしてあなたは、言いたいことをはっきり言うことが許されると思うのか」という怒りを感じます。しかし、その鬱屈した不満さえも口に出すことはできず、せいぜい不機嫌を顔に表したり、無視をしたりするという対抗手段しかとることができず、そんなふがいない自分がますます嫌になってしまいます。違う考え方をもった他人に対して、私たちにできることは、「その人とどう付き合うか」という態度を決めることだけです。

参考URL:
http://www.ykren02.com/chap-b_07.html
noname#119994
質問者

お礼

再度回答ありがとうございました! 正直今はストレスがたまっていると思います。10代からのこの苦しみや心の傷跡は、なかなか消えないものです・・。 でも音楽を聴いたり、料理したりと趣味があるので、少しずつ落ち着いてる感じですね。人間は心が不安定で、つい嫌なことを思い巡らしてしまいますが、音楽など色んな癒しとなるものがありますし、また一つ山を乗り越えないといけないなと思いました。 参考になりました、ありがとうございました。また色んな方の意見を参考にしたいです!

noname#132831
noname#132831
回答No.2

 こんばんわ。また、この質問ですね^^。  ヒント; 1)もっと他の悩みを抱えていたら、きっと気にしなくなると思います。長い時間を使って考えている事柄は、重要なものに感じてしまうだけで、本当は重要ではないのかも知れません。水の入ったコップに墨汁をたらせば、水はにごってしまいます。しかし、バケツのような大きな容器に移し替えて、大量に水を注ぎ足せば、ほとんど透明になります。嫌なことは、誰にでも起こるのです。ただ、明るい人は、全体の容量が大きいので、嫌なことの割合が小さく、気にならないというだけのことかも知れません。 2)こんな自分を見て、他人は笑うだろう、馬鹿にするだろうと(あなたが)思ってるってことですよね。一種の人間不信でしょう。人をからかうことは、誰にでもあります。「馬鹿にされた」と受け取るか、「親しみの表現」と受け取るかの違いで、天と地ほどの差があります。 3)他人は他人、自分は自分。他人が私のことをどう評価するかは、その人の自由です。根底にある感情幻想、「人は他人の感情をコントロールできる」「あの人の感情の責任は自分にある」「私の感情の責任は相手にある」。でも、実際は「人は他人に感情をコントロールされない」「自分の感情は自分でコントロールできる」「私の感情の責任は私だけにある」「あの人の感情の責任は私にはない」というのが正解です。家庭環境によって、誤った感情幻想を持つに至る人が多いのです。 4)自分の値打ちは自分で決める。「学歴が高い」「容姿が美しい」「金持ちである」などの、条件つきの自信などというものは、はかなく、虚しいものです。逆にいえば、「それを失えば、自分は価値がない」ということになってしまいます。自信をもつということに、特別な根拠などいらないのです。「他人が変わらなければ、自分も変われない」と思っているから、そこで成長がとまってしまうのです。まず、心のとらわれをはっきりと自覚し、そこから解放されなくてはいけません。 5)「嫌な性格の人のせいで、自分はいつも不機嫌にさせられている」という人は、自ら嫌な人に執着してしまっているのです。他人を変えようとしてはいけません。嫌いな人は、どこにでも存在します。地の果てまで逃げても、のがれることはできません。私たちにできることは、「その人に合った付き合い方をする」ということだけです。「絶対に自分の意見を譲らない人」には、反論しないことです。「愚痴や悪口ばかり言っている人」は、適当にあしらっておけばよいのです。「自慢ばかりする人」は、調子よくおだてていい気にさせておきましょう。そして何より、付き合う必要のない人とは付き合わなければよいのです。相手に合わせた付き合い方をするということは、自分を押し殺して他人に迎合するということではありません。自分の意志で、自分のために、自分を変えるのです。「自分はこうしたいのに、なかなかできない」と、自分のことで悩むのは、大いに結構です。悩みがなければ、成長もありません。しかし、「他人にこんなことをされた」というのは、自分の問題ではなく、他人の問題です。他人の問題をいくら気にしても、自分のためにはなりません。他人を変えようとしてはいけません。 6)不当な侮蔑に対して、適切に対処することが出来れば、「言い返そうと思えば言い返せる」という自信ができて、あんまり気にならなくなるのではと思います。自分で自分をうまくかばってやれなかった、そんな経験が自信をなくさせます。言いたいことを消化しましょう。とはいえ、受け入れてくれるかどうかは相手の決めることです。自分の気持ちを言えたことで満足すべきです。他人が聞き入れてくれたかどうかではなく、言いたいことが言えたかどうか、「自分中心」に反省すればよいのです。  おまじない;「自分は自分、他人は他人」        「誰にも不機嫌にさせられない」        「自分の値打ちは自分で決める」

noname#119994
質問者

補足

ご丁寧な回答ありがとうございます。 私の昔あったトラウマについて詳しく述べたいので、率直な意見をお聞かせください。 私は、高校2年に事情があって中退しました。(いじめに似たようなものです) それからは、アルバイトをするようになったのですが、まだ10代の頃だったので平日に外へ出ると、ジロジロ見られていたんです。 特におっちゃんやおばちゃんに。 ある日、店でお持ち帰りの餃子を頼むと店員さんに変な目で見られたのを今でも覚えています。理由はわかります、こんな時間に学校は?っていう目で見られたんですよね。あの頃はほんとに苦しくて辛かったです!! 今は29歳なのですが、童顔で身長が150cmということもあり、学生さんによく間違われてました。その通るときにチラッと視線が敏感に感じる人の目が苦しくてトラウマとなって残っているんです。 今は、昔よりも落ち着きましたが一時的に人目を気にしてしまう時があるのです。だから余計に疲れますね。 長文でごめんなさい。この話を聞いてどう思われたか率直な意見をお願いします。

回答No.1

文面から自意識過剰とトラウマとの関係はつかめませんが、 わたしの父親をみるかぎり、第3者に無視してもらうのが一番いいかもしれません。歩行中に下を向かずに目を少し左右に反らしたり、椅子に鎮座しているときに目を上下左右動かす訓練をしてみてはどうでしょうか? あと就寝前に目を上下左右動かすなどしてみては? まだお若いので生体内の変化に富んだ時期でもあるかと思われます。 時間とともに減少していくでしょう。

noname#119994
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、やはり一点に集中してて目がとても疲れていたので、目を反らして他のものを見るようにしてみます。ほんとにしんどいですが、人目に負けず頑張ります。

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