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玄賓僧都の歌とその意味について
- 奈良の京、玄賓僧都が詠んだ歌には、帝から授けられた位に満足していないことを表現している可能性があります。
- また、その歌には、汚れのない山水の中で暮らすことを望んでいる様子も伺えます。
- この後のくだりで善珠が返事をしなかった理由は不明ですが、善珠の態度を通じて玄賓僧都が何かを感じ取っていた可能性があります。
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素人ですが、許由「 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E7%94%B1 」の故事を連想させますね。 都から遠く離れた国の山水(景色)も水も清らかで、人の思いや手がはいっていません。 殷賑なる おおぎみのみよ、この地では水もなかなか清まなく(すまなく)、住みにくいものであります。 くらいにうけとりましたが。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.1 補足(善珠が訪れた際になかなか返事をしなかったのは、・・・) ◇krya1998の投稿:玄賓僧都という言い方ですが、ご本人はそんなもの欲しくないよ、って隠棲してしまったのでしょう。 そんなことのために仏法の勉学や精進などはしていないよ。 帝(みかど)がなんだ、そんなものいばったり、つつかれたりしていて、所詮は此の世のつまらぬことで齷齪している、やがて死んでいくだけのものだ。そんな比較の世界や、ヒエラルキーの上下なんか問題ではありゃしない。ということでしょう。 ばかばかしい。それが真情でしょう。 私は大学の図書館に46年ほどいて、12年ほど前に退きましたが、どんなお仕事や作業も、お給料を毎日考えていませんでした。 そういう人もいましたが、それは気持ちは違う人ですね。 専攻は図書館学ではなかったが、図書館学の偉い曹洞宗の先生を尊敬し、みんなと一緒になにかにつけ、駆けつけました。 先生曰く、“私をつきあいずらいという人が多い。人間は清濁合わせることが大事だ、とう忠告してくれる人がしょっちゅういる。ばかばかしい。人間にとって自分である事、そして清いということが何よりも大事なのだ。魚などは住まなくていい。そんなものに住んでもらっては困る。” だから玄賓僧都のお人柄でしょうね。 善珠は普通の人、お使者でしょうか、忠告者でしょうか。 ばかばかしくて話したくない、そんな人には通じないということではないでしょうか。 面倒くさい。どう説明したらいいのかわからない。 判らない人には判らない。ことばを出すのが、もうかったるい、億劫だ。 ということでしょう。 しばらく哲学のカテに顔を出していましたが、知的な操作や知的遊戯も空しく、ナンセンスだと、つくずく思う。 そんなこともあるのではないでしょうか。偉い学識インテリの善珠さんにはお分かりいただけない。わたしゃ、ばか者の奇人ですからという思いでしょう。おもしろい故事、逸話ですね。 寒山なんかが連想されてきますね。
お礼
どうもありがとうございます。 もし、お手数でなければ、 昔、奈良の京、興福寺の僧にて、玄賓僧都という人おはしけり。 から、 「いたくよき振舞好む人は、またわびしき目にも遭へば、思ひも知り給ふべしとて、遅く開くるぞかし」 とぞいらへごち給ひける。 までを直訳するとどうなるか教えていただけるとうれしいです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.1 念のための補足 帝・堯、陶唐氏は帝・嚳の子為りとして、その治世は空気のように自然で、善政ということです。 しかしとても難しいお立場であられたようです。 ですので許由はむしろ、そういう立場になることを避けたのだという解釈もあります。 しかしこれまでの一般的理解では、許由の野心のなさ無欲ということの故事・逸話となっています。
お礼
「住まぬまされり」の「住まぬ」は水が清まぬに掛けられているのでしょうか。 ほしくない位を授けられるようなところには住みにくいというようなことを言いたいのですね。 ありがとうございます。 >またこの後に続くくだりで善珠が訪れた際になかなか返事をしなかったのは、なぜなのでしょうか? こちらの方はなぜなのでしょう?