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これらの薔薇たちは今日、我が家の裏庭から摘み採ってきたものです。
これらの薔薇たちは今日、我が家の裏庭から摘み採ってきたものです。 明日、庭師はバラが全て刈る予定です。 そのため、新しいバラが来年の春まで待ってます。 上記の日本語は自然かどうか自信がありませんので、 添削していただけたら、ありがたいんです。
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(1)これらの薔薇は今日、我が家の裏庭から摘み採ってきたものです。(「たち」は花に必要ないので取りました) (2)明日、庭師がバラを全て刈る予定です。(バラが > 目的語ですから「バラを」にしました) (3)そのため、新しいバラは来年の春までありません。 そのため、私は、新しいバラの咲く、来年の春を待っています。(などいろいろありそうですね)
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はじめまして。 ご質問の文章の雰囲気に惹かれるものがあって、回答を書いていたのですが 、残念なことに投稿ボタンを押したら既に締め切られた後でした。 文章を推敲するのに時間が掛かり過ぎてしまった様です。 既に締め切られた後ですが、何らかの参考になればと思い、投稿させていた だきました。 追加投稿なので、もしかするとレイアウトがずれて読みにくいかもしれません が、ご一読いただけると嬉しいです。 >これらの薔薇たちは今日、我が家の裏庭から摘み採ってきたものです。 この中に、ちょっと気になった表現があります。 「摘み採る」なのですが、「つみとる」を我が家のパソコンで変換すると、「摘み 取る」となり、ネットの辞書検索では『大辞泉』『大辞林』共に「摘(み)取る」 となりました。 そこで、注意点を以下にまとめてみました。 【摘(み)取る】 読みは、「つみとる」と「つまみとる」のどちらもある。 1)つみとる ・植物の実や芽を、指先でつまんで取る。「新茶を―・る」 ・(好ましくないものが)大きく育つ前に取り除く。「悪の芽を―・る」 2)つまみとる 指先などでつまんでとる。「雑草を―・る」 よって、「摘み取る」と表記すると「つまみとる」と読まれかねないので、薔薇 などの観賞用に大切に育てられた物に使う場合には適さないと思いました。 しかし「摘取る」と表記し、「つみとる」と読ませた場合でも、《(好ましくない ものが)大きく育つ前に取り除く》と良くないイメージもあります。 となると、原文の「摘み採る」の表現の方が良い印象があり、このままで良い と思いました。何故なら、「採る」には《必要な物を入れて集める》という意 味があるからです。 ただし、「つみとる」の音韻から、先ほど挙げたようなマイナスイメージも湧 くので、私個人の好みですが、もう少し軽く、 ●「これらの薔薇たちは今日、我が家の裏庭から摘んできたものです。」 と表現するのが良いと思います。 >明日、庭師はバラが全て刈る予定です。 ●「明日、庭師が、その薔薇を全て刈る予定です。」 とするのが良いと思います。 「庭師は」としても間違いではありませんが、「?は」とすると自分とは無関係 で余所余所しいニュアンスもあり、薔薇を刈り取る仕事については誰が何時 やるのか はっきり決まっているので、「庭師が」としたほうが、現実味があっ て良いと思います。 「バラが」を「その薔薇を」としたのは、文章の始まりに「これらの薔薇たち」と あったので、そのまま表記を「薔薇」と漢字で統一した方が良いと思ったのと 、「その」という言葉で対象をより明確にすることによって、薔薇に対する愛 情がにじみ出ると感じたからです。 また「薔薇を」の「を」ですが、用法は以下の『大辞泉』からの引用文をお読み 下さい。 【を】[格助]名詞、名詞に準じる語に付く。 1 動作・作用の目標・対象を表す。「家―建てる」「寒いの―がまんする」 「水―飲みたい」 * [格助]とあるのは、格助詞のことです。 格助詞とは、体言(自立語の中で活用がなく、主語となることのできるもの) または体言に準ずるものに付いて、それが文中で他の語とどんな関係にある かを示す助詞のことです。 「が」「の」「を」「に」「へ」「と」「より」「から」「で」などがあります。 >そのため、新しいバラが来年の春まで待ってます。 このままだと薔薇が主語になっているようで、薔薇が春を待ちわびているよ うに捉えることも出来ます。 文章の解釈が良く分からなかったのですが、質問者さんが、来春、自宅のお 庭に薔薇が咲き乱れることを待ち望んでいらっしゃるという意味に私は解釈 しました。 ですので、このように原文を直すと良いと思いました。 ●「すっかり寂しくなったので、(私は)新たに薔薇を植える来春を待ち侘びて います。」 または、 ●「すっかり寂しくなったので、(私は)新たに薔薇を迎える来春を待ち焦がれ ています。」 ここで言う「すっかり寂しくなった」とは、薔薇がなくなった庭の様子であり 、質問者さんのお気持ちを私が推察した表現でもあります。 また、後の文章には敢えて「迎える」と言う表現を使いました。 原文の出だしに「これらの薔薇たち」とあったので、この擬人法的な表現をそ のまま生かしたいと考えたからです。 そして、「待ち焦がれる」としたほうが、薔薇や春に対する愛情やトキメキが 伝わってくるように思えるからです。 原文から手直しした文章は、以下の通りです。 《これらの薔薇たちは今日、我が家の裏庭から摘んできたものです。 明日、庭師が、その薔薇を全て刈る予定です。 すっかり寂しくなったので、新たに薔薇を迎える来春を今も待ち焦がれて います。》
お礼
ご回答をありがとうございます。 勉強になりました。