- 締切済み
禍々しい過去の呪縛
人には多かれ少なかれ禍々しい過去があると思うんですが、私も思い出したくないことがかなりあります。いじめ、虐待、裏切り、エトセトラ 今まで忘れようとか、許そうとかという努力をし、縛られて動けなくなるようなことはなくなりました。ただ、過去は過去なのでふとした瞬間に想起されてしまい、そういった瞬間にしか思い出されない過去達なので、普段の反動からなのか一気にその時の感覚が鮮明に蘇り、憂鬱になり、その時と同じように辛くなります。こういうトリップみたいなことも苦痛なので、葬り去りたいのです。もしくはこういう過去からの呪縛から解き放たれた方がいらっしゃいましたら、体験談を教えて頂きたいです。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yuuji2008
- ベストアンサー率37% (6/16)
それができれば、どんなにいいでしょう。過去の呪縛から解放 される方法があるとすれば、宗教か自己破壊か死か・・・。そんな ところでしょう。 たとえば、宗教なら、キリスト教は博愛の精神を説き、イスラム 教は復讐の精神を説き、仏教は悟りの精神を説きました。 (宗教家のみなさんごめんなさい。わかりやすくするために極端 に書いてしまいました!)そうすることにより、現世で生きる道 を説いています。 自己破壊は、他の回答者も書いていますが、別の人格を作り出す ことです。 そして、最後は死による呪縛からの解放です。 しかし、どれも本当の意味での呪縛からの解放ではないと思い ます。回避であったり、逃避であったりです。過ぎ去った過去 を消すことはできません。 人は辛いことや悲しいことに出会いうちのめされて傷つけられ ながら、またそこから希望をたよりに立ち直っていきます。そ れは、過去を忘れたりすることではなく、過去と向き合い、過去 は過去として受け入れて生きていくのです。そこに、喜びや快楽 などが加わり一つの人格が形成されていくのです。 それだから、人と出会い深く関われば関わるほど、その人の人格 に触れ、その人が背負っている過去の大きさに圧倒され、その人 の生き様に感動を覚えます。 過去の呪縛はもう現実のものではありません。過去の感情があなた の心に記憶されているだけです。それは、その過去を経験したこと により、あなたが享受した貴重な経験です。そのひとつひとつが あなたを人として深みのある人格に形成しているのです。それを 知っていることにより、他人の体験を聞いてその人がその時感じた 様々なことを共有できるのです。 私も思い出したくない過去がいくつもあります。悔しさ、恨み、 悲しみ等など、今も心の様々な引き出しに入っています。時々、 こっそり出てきて私を苦しめます。その感情を忘れないことで、 他人の悔しさ、恨み、悲しみ等が理解でき、そしてやさしくなれ ます。 これは、もう過去の呪縛ではありません。私の人格を形成する ひとつの感情に過ぎません。そのように今は考えています。 これは、あくまで私個人の考え方にすぎません。参考になればと 思い書きました。
- forever520
- ベストアンサー率46% (743/1588)
30代既婚者♂です。 苦しみから目を背けても、その苦しみからは一時的に解放される だけで、いずれ何度もあなたを苦しめるはずです。 そこで、あえてその苦しみを見つめる作業をしてみましょう。 そのときあなたはどんな思いだったのか? どんな事をしてその苦しみから抜け出そうとしていたのか? その時に第三者が関わっていたならば、あなはその人のことをどう思ったか? その人はあなたをどう思っていたのか? 苦しいから思いだしたくないでしょうけど、とことん見つめないと 本当にその苦しみから離脱できないのです。 辛くてもどこかで向き合うしかないのです。あなた自身もいつか解放されたい って思っているはずです。 ただ時間が解決してくれるものではありません。あなた自身の気付きが 起こるかどうかなんです。 何も反省とか、自分を責めたりする必要はありません。 ただただ、その時の思いにどっぷりと浸かるだけでいいのです。 そしてそんな自分も自分なんだと認めてあげるのです。 否定や自己嫌悪に陥ることはありません。 苦しみは自らが作りだしているのだと認めるのです。
- kametaru
- ベストアンサー率14% (339/2313)
わたしのやり方が正しいのかまた質問者さんがそれを出来るのかわかりませんが一応書きます。 どうしようもない状況に追い込まれやった事は現実からの逃避です。 具体的には別の人格を作り上げて苦しみから逃げました。 精神的にも肉体的にもです。 人格が置き換わっている時は痛みとか熱さとか触覚などもそこにはありません。 非常に楽です。 ただしこれを継続しているうちに自分の元の人格と後から出てきた人格と区別ができなくなったのは言うまでもありません。 結果的には解離性同一性障害(いわゆる多重人格症)で病院のお世話になりました。 お勧めは出来ませんが現実逃避としては極めて面白いです。 ちなみにわたしの元々の人格はすでにありません。 残骸が記憶として残っているだけです。 複数の人格は今はありませんが「わたし」は新人格で過去の記憶を引継いでいます。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。 私もそれに類することを行ってきていましたが、具体的に意識したことはありませんでした。どうしようもなくなった時、チャレンジしてみます。 非常に参考になりました。
貴方は、苦難の道を歩んでこられたのですね。どうしても許すことが出来ない過去、貴方の気持ちはよく解ります。いっそのことその原因を作った人達に復讐すれば気が収まるのかもしれません。私も何度、私に理不尽なことをした奴等に復讐しようと思ったか知れません。そのたびに、歯を食いしばって我慢してきました。しかし、私は、そういう過去を自分の力に変えることにしたのです。貴方のいじめや虐待の過去は、「今、それに苦しむ人達の気持ちが理解できる」という心の財産でもある訳です。貴方に子供が出来た時に自分の子供の気持ちが判ってあげられる素晴しい父親になれるでしょう。そして貴方の子供は、立派な大人に成長していくでしょう。また、社会においても、少々の困難では挫けない心も出来上がっているはずです。貴方は、過去の煩わしい記憶が自分の心の財産になっていることに気付いていないだけです。人生というのは、過去に虐待やいじめを受けた人が負けるものではありません。そういう過去を背負った者が、他人に気持ちを理解でき、立派に生きていける世の中なのです。過去の煩わしい経験は、必ず、自分の力となって却ってくることを知っておいて下さい。私もかなりの過去を背負っていますが、今はそれを誇りに感じています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の力ですか・・・それは過去のこと全てを肯定できないと難しいですよね。今の自分に満足することから初めて見ます。
参考になるか解りませんが、私の場合を書きます。 過去を禍々しいものにした相手を棄てた時です。 それが他人だから棄てられたのではなく、私の場合は親兄弟も棄てました。 情にほだされたり他人の非難(それでも親は親等、事情も知らずに言うなって感じですが)にも負けず棄てました。 自分を大事にしなかった(どころか虐げた)相手は棄てて上等だと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 親族もですか・・・その勇気に尊敬です。私も他人は棄ててきましたが、棄てた分もしも会ってしまった時の恐怖感から外出時に帽子なしでは出歩けなくなってしまいました。他人ですらこうなのに・・・そういうことはありませんか?私も回答者様のように強くなりたいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 嫌な過去の中で、それを経験している当時の自分がもがき続けています。他者から被ったものをどうやって認めればいいのか分かりません。。。