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日本がブログ大国である理由
日本はブログ大国だそうですが、どのような理由が考えられますか。国民性からきたものでしょうか。国民性であるとするとそれはどのような国民性と考えますか。
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もし、インターネットでなかったら、自己のアイデンティティを公表して、その責任で持って発言するというスタイル(昔の新聞の投書のような)になりますから、曖昧さをよりどころとした発言はないです。それは凛と張り詰めたものです。精神の高揚と緊張が確かにあります。ブログにはそういう緊張感がなく、精神のただの放逸に過ぎないと思う。いわば落書きとたいして変わらないレヴェル。 他の回答者の方も言っていらっしゃいますが、渋谷原宿ファッションの若者も結局は「匿名性」によりかかり、責任を取らない発言行動に熱を上げているのです。そして結局は、集団の中の個でいることに価値観を感じ、それを実践する。実に日本的であり、精神的な、人格転機な存在を拒絶するような姿勢ですよね。 質問者さんがおっしゃるように、この圧力のかかった曖昧な事を強いられるような社会がよいはずがない。
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- eranchan
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No.3です。 >>日本では公明正大に言えない ということは、見えないところで様々な圧力がかかっているということですね、自由にものが言えない雰囲気があると。 圧力がかかっているとは、私は一言も書いてはいません。 別に圧力はかかってないと思いますよ。 日本は最大限に表現の自由の保証された民主主義だと思います。 私が言いたいのは、日本人の価値観のことです。 稲作文化ですから、「村八分」や「出る杭は打たれる」といった考え方が日本にはあります。 「詫び、寂び」「慎ましさ」「謙譲の美」なども日本の独特の文化ですよね。 いかに他者との違い、個性を主張するかという米国とはそこが違うのです。 つまり圧力がかかっているのではなくて、日本人は公明正大に自己を主張することを好まないのです。 >>日本は主張しないことに美徳があります は渋谷や原宿の町を歩いていても同じことを感じるのですか。 この点については時代は変わってきたのではないかと思いますがどうでしょうか。 変わってはいません。 むしろ、さらに日本人独特の価値観は顕著になっているように思います。 昨今の若者の「~みたいなー」「~っぽい」「てゆうかー」のような曖昧な表現、半疑問形の言葉使い。 これらははっきりと言いきらないことで、責任の所在を曖昧にしているわけですよね。 日本人は「個」を特定されることを嫌いますから。 (上にも書きましたが、稲作文化特有の考え方です) 渋谷や原宿の街の中で若者は自己主張するようになったかもしれませんが、周りと同じファッションに身をくるんで周りと同じようなことを言うようにはなったかもしれませんね。 匿名であるネット社会で言いたい放題するのと、要は同じだと思います。 >ブログ大国日本はちっとも自慢になる話ではないということですか。 何を持って自慢話か否かを言ってるのか、わかりかねますが・・・・・。
お礼
どのような理由にしろ、公明正大にものが言えない、自由にものが言えない状況をあなたはどのように考えるのですか。 この点について私の考えは明白です。 どのような理由にしろ、公明正大にものが言えない、自由にものが言えない社会はダメな社会です。おおかたの人間はそう考えるはずです。 もしも必ずしもそうとは言えないとか言い出すとなるとこれはどこかにゴマカシがあります。 曖昧な表現、半疑問形の言葉使いを使ってゴマカソーとする、そのような社会をあなたは美しいと思いますか。 あるいは都合が悪くなるとダンマリを決めるなどの類を美しいと思いますか。 このような状態にある社会は間違っても自慢にはならないでしょう。 最後のところにある >ブログ大国日本はちっとも自慢になる話ではない... はそういう意味です。
- eranchan
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米国との比較で言うなら、やはり国民性かな?と思います。 ブログの一番の特徴は、「匿名性」ですよね。 なんでも主張する米国、なんでも言ったもん勝ちの米国では、匿名で主張することのメリットはさほどありません。 逆に日本では公明正大に言えないことを、ブログという場所で発散させているのです。 米国との比較だけでなくても、特に日本は主張しないことに美徳がありますから、その捌け口としてブログが盛り上がるのだと思います。
お礼
>日本では公明正大に言えない ということは、見えないところで様々な圧力がかかっているということですね、自由にものが言えない雰囲気があると。 従ってその捌け口として匿名性を活かすブログが大ブレークしたのだと、こういうことですか。確かに一理も二理もある意見だと思います。 どのような圧力がかかっているというのか具体的に言ってもらえませんか、このブログ上で。 また >日本は主張しないことに美徳があります は渋谷や原宿の町を歩いていても同じことを感じるのですか。 この点については時代は変わってきたのではないかと思いますがどうでしょうか。 そうすると結局、ブログ大国日本はちっとも自慢になる話ではないということですか。No.2さんの考えとは大分違うなー。
- wbfmm793
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むかしの話になりますが 日本は日記など書物に残すのが好きですよね。 軍記物などなどありますし。 それに本と言う文化が大変浸透しています。 それゆえに物を書くと言う文化が広まったと私は考えています。 どうか参考までに。
お礼
なるほど日本人は日記好きだということですか。 それほど悪い趣味ではないと考えてよさそうですね。 私はブログ大国日本は、自慢すべきことなのかそれとも警戒すべきことなのか考えていたのですが、日記好きが高じてブログ大国日本が生まれたというのであれば、これは悪くない話だと考えたいです。 実際どうなのかはあと10年程たたないと分かりませんが、とりあえずはブログ大国日本おおいに盛り上げてみようと思います。
国民性というより単純にインターネットの普及率と文字を書くのに必要な識字率、この両方が極めて高いからです。
お礼
インターネットの普及率であればアメリカの方が日本より上だし、そもそもブログの原理や仕組みはアメリカのIT産業の発案ですが、アメリカではブログはそれほど活発ではないらしい。またアメリカ人も字の読み書きが出来ないほど馬鹿ではないはずなので、理由は別にあると思います。
お礼
この質問を投げたのは以下について考えてみたいと思ったからです 1.ブログ技術はアメリカで生まれたが、アメリカではなく日本で成長しブログ大国日本となったのはどうしてか 2.ブログ大国日本は良いことなのか、警戒すべきことなのか、この点を日本社会はどのように受止めているのか、また海外ではどのように考えられているのか 最初この質問を投じるとき「社会学」が適当だろうと考えたのですが、ここには「社会学」はないので、まあ人間心理の問題も半分あると考え渋々「心理学」に投じたわけです。 途中、渋谷原宿ファッションとギャル弁(「~みたいなー」「~っぽい」「てゆうかー」...etc)の話が出てきて意外な関連性に気付き面白いなと感じたのですが、それはさておき本質問の主題である上記1、2についてNo.5さんの考えをまとめてもらえませんか。