- ベストアンサー
国民の税金で買う無罪?(アンマン事件)
毎日新聞の記者が、ヨルダン国王の恩赦で釈放されるだろうと予測されています。 過失であったにせよ、人ひとりの命を奪い、数人の負傷者を出した責任は、国籍を問わずに等しくあるべきで、日本がヨルダンに多額の援助をしているからと、国王自らの恩赦などは与えず、現地で罪を償うべきだと感じます。 また、社員が「勤務中」に殺人を犯してしまったにも拘らず、現段階で懲戒解雇にしない毎日新聞社の対応も、新聞社という社会的立場にありながらお粗末だとも思えます。 (ちなみにわたしは、毎日新聞社と記者に対し、何ら個人的感情はありません) 記者はヨルダンで釈放された後に帰国した場合、もう償う罪は無くなるということでしょうか? 帰国後の彼の日本国内での扱いは、一般人と全く同じでしょうか? また、皆さんは今回のなりゆきについてどう思われますか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私は、過失の罪に刑事罰を与えるべきではないと主張をもっています。 今回の場合はかなり重度の過失ではありますが、それでも未必の故意などとは確実に一線を画すものであり、やはり刑事罰はそぐいません。 なぜなら、刑事罰というものはそもそも、見せしめと復讐のために存在するものです。 しかし過失に見せしめは意味がありませんし、復讐もヨルダン側が納得するならやはり必要ないからです。 ただし、これはもちろん、完全な意味で民事責任を全うした場合にのみあてはまる話です。 現地司法が、賠償慰謝料すべてにおいて十分と認める補償を行なわなければ当然、懲役なり強制労働なりで罰せねばなりません。 今回の場合は、個人はもちろん会社側も賠償に応じるとしていますので、民事責任は全うされると思われ、よって刑事罰が免除されることにはほぼ不満を感じませんでした。 また、懲戒についてですが、私は懲戒の時期を「刑が確定」した時点に統一すべきだとの主張をもっています。 これは公務員などでは法で規定されているごく正当な基準です。 なぜなら、容疑の段階で会社側が自由に解雇できるのであれば、冤罪の時はどうなるのでしょうか? 場合によっては会社側が罪をでっち上げてリストラを実施することすら考えられます。 実際に、セクハラでの解雇なんてかなりの数が会社側の陰湿な解雇技術だという説もあるくらいです。 今回の場合はまだ罪が確定していませんので、解雇しない毎日新聞社の判断は当然だと考えます。 また、社としての損害賠償を認めている立場上、安易に解雇すると、ヨルダン側に誠意を疑われる可能性があり、その面からも同じ結論となります。
その他の回答 (3)
- KAMOCHA
- ベストアンサー率44% (84/190)
一つだけ補足させていただきます。 >「見せしめ」は少なからず抑止力にはなる まさに、だからこそ私は、過失に刑事罰がそぐわないと主張しています。 例えば貴方が皿洗いのバイトをしていたとしましょう。一皿いくらで賃金がもらえます。 大量に洗っていれば人間ですから何枚かはミスで割ってしまいます。 皿を割るとペナルティが課せられます。 このペナルティが例えば百叩きだったら、貴方はおそらく異常なほど慎重に皿を扱い、皿洗いのペースを激減させるでしょう。 逆にノーペナであれば、貴方は無茶な快速で皿を洗い、大量の皿を割るでしょう。 では貴方にもっとも合理的な仕事をさせる適切なペナルティとは何でしょうか。 それが「弁償」と考えます。 相当額弁償であれば、貴方はもっとも経済的な慎重さで皿を洗い、結果として雇用者は最大の利益を得ます。 いうまでもないことですが、特に高価な皿を洗う場合などの特殊例は下の調整を行えばよいだけであり、全体としての結論を左右しません。 この時雇用者がもし「たとえ経済的効率が悪くともより皿を割らない方がよい」と思えば、例えば罵倒や叱責というペナルティを加算し、逆なら弁償額の一部を負担してやればよいわけです。 具体例としては、公務員には特別なモラルが求められているため、些細なミスに重大なペナルティが与えられます。 そのため公務員はミスを起こしそうなことは極力避け、チェックを繰り返してひたすらに無謬であろうとします。 その結果、公務の効率は低下し、費用対効果が悪くなります。 公務員の仕事能率が悪いのはそのためなのです。 その代わり、民間に比べてミスの発生率は低いといえます。 これを社会一般にあてはめると、過剰な刑罰で市民を縛ると、民の活力が失われ、進取の姿勢がみられなくなります。 かといって等価弁償すら免除するとモラルハザードが発生し無法地帯となります。 よって、過失には刑事罰を与えるべきではなく、全体としての効率性を保った上での過失には民事罰のみを与え、その発生を過剰に抑えてはならないと考えます。 適切な量の過失は、むしろ推奨されるべきなのです。 なお蛇足ながら、ここでいう過失はあくまで「効率性を保った上での過失」に限られ、明らかにその個人の無能や無知を原因として発生した「故意的過失(例えば飲酒運転)」は含まれません。 それはあくまで刑事罰によって抑止されるべきものです。
お礼
KAMOCHAさん、再度のご回答をありがとうございました。 こういう角度での視点もあるんですね。大変勉強になりました! おまけに、お役人の「役人根性」の根底にあるものが何なのかもわかり、重ねて感謝です! またいつか、別の問題でご教示下さいね。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>毎日新聞の記者が、ヨルダン国王の恩赦で釈放される >だろうと予測されています。 >過失であったにせよ、人ひとりの命を奪い、数人の負傷者 >を出した責任は、国籍を問わずに等しくあるべきで、 >日本がヨルダンに多額の援助をしているからと、国王 >自らの恩赦などは与えず、現地で罪を償うべきだと感じます。 私も個人的にはそう思うのですが、これはもう個人の事情 や司法判断の段階を越え政治レベルの問題になっています ので、妥当な判断かと思われます。 おそらくヨルダン国内の国民感情もありますので、司法の 段階では有罪とし、刑が確定したところで国王が恩赦の手続き をするものと思います。 >また、社員が「勤務中」に殺人を犯してしまったにも拘らず、 >現段階で懲戒解雇にしない毎日新聞社の対応も、新聞社 >という社会的立場にありながらお粗末だとも思えます。 まったくもって同感です。 記者の処遇をどうするかについては、毎日新聞社が社会の 木鐸であるかどうかの試金石となるでしょう。 個人的には、記者の自主退職で決着が着きそうな気がします が、本人がまったく反省していなければ、そうすることも ないでしょうね。
お礼
cse_ri2さん、ご回答をありがとうございました。 また、お礼が遅くなり、失礼を致しました。 その後現地で記者の裁判が行われ、報道されていますね。 何だか、もう判決内容が、有罪だけれど実質無罪とわかってしまっていて、かなり醒めた目で見てしまいます。 ちなみに、ヨルダンで一般階級のヨルダン人が同じ罪をおかした場合、どのような罰を課されるのでしょうか? このサイトで、質問してみることにします。
- boss715
- ベストアンサー率50% (301/600)
>記者はヨルダンで釈放された後に帰国した場合、もう償う罪は無くなるということでしょうか? 償う罪がなくなるというのは、服役と言う意味では、ヨルダンでの罪ですので、日本に帰ってから服役しなければいけなくなることはありません。 >帰国後の彼の日本国内での扱いは、一般人と全く同じでしょうか? 確実に違う点は、記者にパスポートがおりなくなる、または海外に出ることが出来なくなることは、十分に考えられることです。 私も彼は罪を償うべきだと思います。でも罪を償うって言うのは、服役だけであるとは思えません。記者は、明確な意図を持って殺人を犯したわけではないと考えられるので、一般人として人を殺してしまった、という拭い去ることができない、心の痛みを持ちつづけるのも償いの中に入れても良いのではないでしょうか。また、彼は日本はおろか、世界中に報道され、知る人が彼を見れば好奇の目にさらされることになるでしょう。それに耐えていかなければいけないと言うことも償いの中に入るのではないでしょうか。 >社員が「勤務中」に殺人を犯してしまったにも拘らず、現段階で懲戒解雇にしない毎日新聞社の対応も、新聞社という社会的立場にありながらお粗末だとも思えます。 そうですね、一般的には懲戒解雇にすると思います。でも懲戒解雇に彼をすることを私は何ら有意義なことだと思いません。それよりも、記者はもちろん会社がどういった形で被害者に対して責任を取るかのほうが重要だと思っています。
お礼
boss715さん、お礼が遅くなりましたが、ご回答をありがとうございました。 boss715さんのおっしゃるように、心の痛みは償いの中に入れるべきものだと思います。ただ、わたしは最近特に報道関係者(テレビも新聞も雑誌も)に奢りを感じて居ります。曽我ひとみさんの朝日新聞社事件もそうですし、このサイトでも出てきた事がありますが、雪印事件の際も目に余る発言がありました。一説によると、今回事件を起こした記者も、尊大な態度の人物であったとも聞きます(真偽の程はわかりませんが)。 交通事故で人を殺めてしまった場合、故意でなくても法律で罰せられますよね?今回の事故は、交通事故で言えば、交通規則を守った安全運転での不運な結果ではなく、スピード違反や酒気帯び運転であったと思うのです。 「10km程度のオーバーだったら大丈夫だと思った」 「ビールをコップ1杯だけだったら大丈夫だと思った」 「バクダンはもう爆発しないと思っていた」 例え本人が深い罪の意識から半狂乱になっていたとしても、やはり罪は罪だと思うのです。酷い言い方をすれば、言葉では何とでも言えるのです。 だから、法律があり、刑罰があるのだと思います。 法律の下では万人が平等であってほしいと思うのです。
お礼
KAMOCHAさん、ご回答をありがとうございました。 また、お礼が遅くなり、失礼を致しました。 >刑事罰というものはそもそも、見せしめと復讐のために存在するものです。 しかし過失に見せしめは意味がありません・・・ うーん、そうですか。言葉が適当ではないかもしれませんが(他にぴったりくる表現がありません)、「見せしめ」は少なからず抑止力にはなるのではないかなぁ・・・と感じるのですが。 > また、懲戒についてですが、私は懲戒の時期を「刑が確定」した時点に統一すべきだとの主張をもっています。 実は、わたしも同じようにも考えました。 けれど、ここまで事件の内容が明らかで、記者の犯した罪もあきらかなのですから、迅速な対応も必要なのではないかと感じたのです。 >また、社としての損害賠償を認めている立場上、安易に解雇すると、ヨルダン側に誠意を疑われる可能性があり、その面からも同じ結論となります。 これは、考えつきませんでした。 やはり、いろいろな角度から物事を見る事は大切ですね。大変勉強になりました。 ありがとうございます。