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十八年度開成高校入試問題(国語)の大問一の文(佐野洋子「私はそうは思わない」より)が理解できません。
十八年度の開成高校入試問題(国語)の大問一(佐野洋子「私はそうは思わない」より引用)の文章が全体的に難解です。他の年度の問題の文章はすっきりと理解できるのですが、この文章はとても難しく感じます。 特に理解できなかった文は、本文から引用すると 「私は何かに話しかけたかった。私はキリスト教徒でも仏教徒でもイスラム教徒でもないのに神を呼んだ。どこの宗派でもない神はぞうりをはいて天から舞い降り、もう誰でもよく誰でもない神は見たこともない中年の男だったりしてかぎりなく寛大に私を受け入れ私は眠った。」 「血縁ばかりでない叔母の祖父の妹の息子が写真と違うお嫁さんが結婚式の夜つのかくしをとって、花婿は一か月ふてくされて寝てばかりいたけど今の奥さんはその人で「あなた、秀雄さんは奥さんの悪口ばかり言うけど、もう四十年よ、子供が五人も居てさ」と叔母は煙草をふかし未成年の私に煙草を吸えとそそのかした。」 の二つです。一つ目の文における「神(中年の男)」とは一体文章中の誰なのか、「寛大に私を受け入れ」とは具体的に誰が何をしたのか、二つ目の文では結局誰が何をしたのか(主語と動詞が結びつきません)をそれぞれ教えてください。 また、これらの文の内容やこの文章を通して作者(佐野洋子)の伝えたかった主張が読み取れないのは学力の問題でしょうか。 回答よろしくお願いします。
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http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480031532/ この本でしょうか。 手に取る機会があれば引用なさった部分の前後を読んで見たいと思いますが(目次で見当を付けると「もしかして夫婦ってこんなじゃないか」の章かな?)、とりあえず引用部分だけから考えてみます。 あ、そうそう、引用の最初と最後のカギ括弧は質問者様がお付けになったものと判断してよろしいでしょうか。 まず、一つ目ですが、「私」がどのような状況に置かれているかの説明はどのようになっているのでしょうか。また、「神」は空想の産物と考えてよい話でしょうか。それとも、現実として神が現れてもおかしくない設定の話なのでしょうか。 ともかく、引用部分だけから考えてみます。 「私」は「キリスト教徒でも仏教徒でもイスラム教徒でもない」のですから、こんな顔つきでこんな衣装というような、特定の神のイメージというものは持っていないはずです。 だから、おそらく周囲には話し相手がいなかった「私」が、話し相手として神の出現を望んだとき、現れた神は、(「私」の顔見知りではなく、見たこともない、草履を履いた中年の男というありふれた姿で現れたのでしょう。 そして、その神は「寛大に私を受け入れ」て、私の(延々と続く、そしておそらく第三者としては結局は他愛もない内容の)話を最後まで聞いてくれ、心に鬱積していた思いを語り尽くすことができた「私」は、気持ちがすっきりして、眠ることができた、ということではないかと思います。 二つ目は、最初の「血縁ばかりでない」が直後の「叔母」にかかるかどうかが気になるところです。 引用部分の至るまでに、血縁の人についての結婚に関する話があって、たとえば「このようなことは血縁の人に限ったことではない」という意味なのか、それとも「私」にとっての「叔母」は単に血縁だというだけでなく、他のかかわりがあるということなのか。 筆者の文章は、あまり読点を入れずに文を長く続けるスタイルのようですので、はっきりしません。 判断の手がかりになるような(あるいは上記以外の解釈をすべきであると考えられるような)部分はありませんか。 ともかう、この叔母が、当時まだ未成年だった私に「煙草を吸えとそそのかした」というのは間違いないと考えられます。 また、その時の叔母は、「あなた、秀雄さんは(略)五人も居てさ」と私に話しかけながら、煙草をふかしていたと考えられます。 「あなた」は、「私」に対する叔母の呼びかけでしょう。 「秀雄さん」は「叔母の祖父の妹の息子」ではないでしょうか。(だとすると、叔母の血縁の人ということになりますが、結構遠い関係といえます。) この秀雄さんは、見合い写真を見て相手を気に入り、相手とは直接会わないままに結婚式に至った。(昔はけっこうあったことだと思います。) 式が終わり、夜、お嫁さんが「つのかくし」を取ると、その顔は写真とは似ても似つかぬ××××な顔であった。 それで、花婿の秀雄さんは、落胆と裏切られた思いとで、ふてくされて最初の1ヶ月は寝てばかりいた。 しかし、人間は顔がすべてではありません。やがてお嫁さんと打ち解け、離婚することもなく(=「今の奥さんはその人」)、もう40年も連れ添って、二人の間には子供も5人いる。 こういう話ではないかと想像します。 入試問題ということなので、まず一つ目は、登場人物である「私」(この文章は随筆と考えていいですか? だとしたら筆者本人)の心情を問うような設問の手がかりになる可能性がありますね。 たしかに難解な表現ですが、「私」には適切な話相手が居なかった。しかし(どのような形で現れたにしても、神という)話相手を得ることができて、満足して眠ることができた、という「私」の心の動きの説明になっていると思います。 二つ目に関しては、結婚のきっかけが偽りの見合い写真であった夫婦が、結局はそれなりに幸せな人生を送ったというエピソードが、たとえば私(筆者)の結婚観に影響を与えたとかいうことはないのでしょうか。 あるいは、そう言う話をしながら未成年の私に煙草を勧めるいう行為が、叔母の人となりを物語ることになっていて、「叔母の人柄の説明として最も適当なものを選んで、記号で答えなさい」という問題の手がかりになったりはしていないのでしょうか。
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ここで引用された部分は、佐野洋子著『私はそうは思わない』に収められたエッセイのひとつ、「こんぐらがったまま、墓の中まで」の最初のほうに出てきます。 問題にはこの「こんぐらがったまま、墓の中まで」の全文が掲載されているのでしょうか? もしそうなら、終わりのほうには主張がはっきり書かれているので、読み取れないということはなさそうです。 この二つの部分もふくめ、前半で何を書いたのかというと、筆者の実際の経験を書いているのです。つまり主張そのものではなく、主張したい意見を持つに至るまでの実体験を描写しているのです。 問題文などで、どこから「主張を読み取る」ことを求められたのでしょうか。そうである場合は問題を見ないとどう回答したらいいかわかりません。 一つ目の文における「神(中年の男)」とは……のほうは、1番目の方の回答に付け加えると、文章中の誰か実在の人をここで神にたとえたのだとは読めません。何教の神でもないごくあいまいな神さまにすがったという、日本人的な心境でしょう。 二つ目の文は、わざと明確に書きかえると、次のようにも書けます。 血縁ばかりでなくて、叔母の大叔母の息子(秀雄)などは、結婚式の夜、お嫁さんがつのかくしをとったら写真と違う人だった。それで花婿である彼は一か月ふてくされて寝てばかりいたけれど、今の奥さんがその「写真と違うお嫁さん」なのだ。叔母は私に「あなた、秀雄さんは奥さんの悪口ばかり言うけど、もう四十年も連れ添っているのよ、子供が五人も居てさ(嫌いなだけではそうはゆくまい)」と言い、煙草をふかし(以下略) ここでは話し言葉に多くあらわれる省略が多く不完全な文を聞き手の側でおぎなって理解する力も必要といえるでしょう。
- OKWave_com
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確かに、高尚過ぎてw私にも理解できません。 たぶん、peter81さんの学力の問題ではないと思いますので、ご心配なさらずに。。。 全体の文章を読んでいないので、的確かどうかわかりませんが、少なくともこの二つの文を通じて作者が何かを伝えたかったということはないように思えます。 どんなジャンルの文章であれ、伝えたいことは、簡潔に誰にでもわかりやすいように書くというのが基本中の基本だと思います。 一つ目の文の「神」は神で、どこの宗派でもなく、ぞうりをはいて天から舞い降りた中年の男で、寛大に私を受け入れてくれた神ではないでしょうか。 また、「寛大に私を受け入れ」とは、私が寝入るまで、私がとにかく石でもハエでも良いから、何かに対して話しかけたかったことを最後まで否定せずに聞いてくれたということではないでしょうか? 二つ目の文は、叔母が写真と違う、夜つのかくしをとったお嫁さんのなれの果てで、一か月ふてくされて寝てばかりいた花婿が秀雄さんということではないでしょうか? この中で未成年の私は、叔母が「あなた」と声をかけてきた相手ということではないのでしょうか? ま、とにかく、この二つの文の中には作者の伝えたかった主張というのは含まれていないと思います。 (私もまた学力の問題があって、読み取れていないのでしょうか?^^;)