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カフカの本
カフカの断食芸人という作品があり、その内容は大まかに言って40日間断食する人の話 であるようですが、これは実話ですか、それともフィクションでしょうか。
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いつだったか、私の質問に六道についてのお考えを寄せてくださった方と似ていますけど違いますか? ご質問を哲学カテゴリに移動されるつもりとのこと、その前に書き留めます。 芸人が実在したかどうかを問うのなら、 近代ヨーロッパのすべての見世物がそうであるように、当然ながら紛い物を演じ魅せる芸のひとつとして実在したものです。 当時の断食観については、イスラム教のほうではなく、東洋の驚異と神秘としてとらえられた仏教思想の影響があります。 カフカの作品としてフィクションかと問うのなら、作家の抱える問題の体現として、フィクションと告発のはざまにあります。 カフカのもつ問題である、芸術の自己欺瞞、天上と地上の帰属のダブルバインド、他者の認識に依拠する実存の苦しみ、 といった事項は、カフカをどんなに素直に読んだとしても胸の内のどこかで注意深く嗅ぎ取りうるはずです。 一種のばかばかしさと映るような虚無的な味わいを醸しています。 存在がかんたんではない、二極のどちらにも片づけられない、 また、存在は何なのか、個なのか、社会相互的なものか、運命なのか、といった曖昧な止揚状態を捨て置いて 単純に肉を離れて霊性の修行を積むようなシステムは既存のいずれの宗教にもないように思います。 さまざまな行で肉体を極限まで苦しめるのは 生に向かってより覚醒した意識を持つためであって、死に向かうためではないのと、 木食行に土中入定というような即身仏の意義は、個人的な問題ではないという点が、 注意すべきといえばすべきところでしょうか。 そして、カフカの描くように、 見物人に見られることのなかにやはり即身仏の意味もあったりと、ここが難しさといえば難しさでしょう。 こういうことをふまえて考えるに、実話とする位相も必要だし、フィクションとする位相も必要です。
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補足質問に対してです。 不食 ブレサリアン に関して、携帯でメニュー検索しての事。 人それぞれなんで、自分に良い事だと思うならば追求し、駄目と思うならば考えないのが先決だと思いますよ。 メニューの目次から判断すると、 「食を断ち、霊性を鍛え上げ、宇宙の力を得る」との教義で、カルト系宗教に由来するみたいです。 東洋医学の一つとして考える医療従事者も、中には、いらっしゃるようです。 私個人としては、論外で、危険な臭いを感じます。 中東近辺の教義に有る「断食」とは、別ですよ。
お礼
人は、自分で運命をつくり、自分が望んだ世界へ行きます。分かりますね?。
補足
論外 ですか、うーん、非常に現実的な見解です。肉体に生きる自然寄りの女性ならでは ですね。現代の栄養学に毒されてしまっているかの印象を受けます。 もう少し詳しく調べると考えが変わってくるかもしれません。 私に関して言えば、とりあえず段階というものが在りますから、徐々に進んでいくことにします。 経験と普遍意識による考察、判断には限界があると思いますが。
ウィキペディアの解説によると、19世紀後半~20世紀前半にそういう芸人達がいたことは事実と書かれています。 本当かどうか私は知らないのですが。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E9%A3%9F%E8%8A%B8%E4%BA%BA ただ、カフカという作家はbakanskyさんがおっしゃっているように、基本的にフィクションを書く小説家です。 自分ではあまり読んでいませんけれども・・・・・ 現実世界のことを下敷きにしているとは思いますが、彼の作品そのものはフィクションです。 >小説自体はノンフィクションということですね。 いえ、「フィクション」です。 ラマダンは日の出ているうちに飲食しない習慣です。 というか正確には月の名前なんだとか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3 日の出の前に少し食べて、日中は飲食を避け、日が落ちたら何か食べるみたいです。 ラマダン明けには皆で集まって盛大に宴会をやるみたいですね。 たまにテレビでやってますね。
お礼
どーも
補足
>小説自体はノンフィクションということですね。 いえ、「フィクション」です。 ああ、そうか間違えました。 「小説自体はフィクションということですね。」に訂正します。 <ブレサリアン><不食>についてすでに何か知っていたら それに対しての見解も聞きたいと思います。 この質問は10日に締める予定です。
No.2です。 補足質問に対してと、お礼ありがとう。今度「哲学」でご質問するとされていますが、一言入れます。これでご質問するか、判断して下さい。 現代で、有名な話は中東で行われている「ラマダン」分かりますよね?。どこの宗教上の教義か。 実際的には、日の高い内は飲み食いを控える事だそうです。
お礼
どーも
補足
実際にできるかどうかは別として、今はせいぜい肉を食べないくらいだし、段階としてはまだ早いかもしれませんね。 「ブレサリアン」「不食」についてすでに何か知っていたら それに対しての見解も聞きたいと思います。 この質問は10日に締める予定です。
その作品は知りませんが「断食40日間」は宗教上、有る事です。 カフカは、宗教的意味合いの作品も書いていますよね。 それと今に通じる作品として「変身」は<引き籠もり>の話ですし。 そんな感じに、想像力に溢れた作家だと思います。
お礼
どうも。
補足
実際にできるのですか、すごいですね。今度哲学カテでそれについて質問してみようかと思います。
- bakansky
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私の知る限りではフィクションです。 そもそもカフカはノンフィクション・ライターではありません。彼の作品で事実に基づいているように思える作品など、皆無に近いと思います。
お礼
どうも。
補足
小説自体はノンフィクションということですね。
お礼
回答ありがとうございます。 回答文そのものはなかなか難しく、しかし言わんとしている事は大体把握できたと思います。今度哲学カテで何か質問すると思いますので、その際は宜しくお願いします。 それにしても、Q&Aサイトでなく、 複数の人が同じ立場で話し合うような問題提起、提議、議論サイトがあると良いと思います...
補足
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5086033.html No.16で 極楽や天上界が落ちるというのは斬新なお考えと思います。 と書かれましたが、そうではなく、その「天上界」にいる人そのものが また落ちるのでは... と言うことを「言いたかったのではないか」ということでご理解ください。 本題ですが、私が苦行をするという印象を受けたのかもしれませんが、過程と結果は一体(一対)であり、どちらも重要だということはわかっていますので、苦しみや悲壮感が伴うようでしたら、やりませんよ。ご心配なく。 それよりも、世の中には喜んで、微食(少食)、あるいは完全に食を絶つ人もいるようです。そして、その後も生きているということのようですが... 私が基本的に菜食をしているのは、自分が殺していない家畜を食べれば、「必然的に」内的葛藤、内的矛盾が生じるだろう と思っているからです。それから、自分で〆ていない動物を食べるのは、「卑怯」でもあるでしょう。自分で殺して、それを食べるなら何も問題はないと思われます。 精神的に活発になると思います、ぜひ試してみてください。もちろん、危機感、悲壮感を伴って行うなら、良い結果にはならないと思いますが。 しかし、哲学カテでこの質問は、おそらくしないと思います。当分は。