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重盛殿が灯籠にこだわった理由とは?
重盛殿が灯籠にこだわった理由とは? 平家物語に次のような記述があります。 平重盛は阿弥陀如来が48の大願を立てたことにちなんで 東山の麓に、四十八間の精舎を建立。 一間に1つづつ灯籠を吊した。 そのため重盛殿は大臣と呼ばれた。 これを読みますと平重盛はよほど灯篭にこだわりのある人だったと思われます。 なぜ平重盛は灯篭にこれほどまでのこだわったのでしょうか。 あなたの推理を聞かせていただけませんか。 よろしくお願いします。 ※必ず理由を添えてくださるようお願い申し上げます。 ※単なる嗜好の問題だというような回答は今回はご遠慮ください。
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チトまじめに。 阿弥陀如来の別名に無量寿仏・無量光仏というお名前があります。 無明の世界をあまねく照らすということです。 その阿弥陀如来が法蔵菩薩であったころにたてられた48の大願にあわせ 重盛内大臣が48間の仏堂をたてられたのですから そこには当然阿弥陀如来の「光」がなければならないということでしょう。 今と違って電気などの照明がなかった時代で しかも今残っている仏像や仏殿のように色あせ剥落した姿でなく 作り立て塗り立ての金、青、朱などに彩られた仏殿と仏像に 灯籠の灯りが映えれば、それはそれは美しいものであったでしょう。 灯籠自体と言うよりその光にこそ重盛大臣は仏の姿を見たのでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます! なるほど、おっしゃるとおりだと思いました。 朝護孫子寺の戒壇めぐりというのをしたことがありますが 真っ暗な中を壁を手でたどって歩いていきます。 目を開けているのかつぶっているのかわからないくらいの闇です。 暫くいくとみほとけがあってほのあかるく照らされていました。 私は無神論者ですがなんとなくありがたい感じがしたことを思い出します。 重盛さんは大変信仰心の厚い人だったそうで 48の燈籠はそういうことをあらわしているのでしょうね。