• ベストアンサー

こんな生き方、もう散々です。

私は22歳の学生です。 13歳の頃、寝てる最中にてんかんの発作を起こし、その後精神科に診療にいきました。 初診で即、閉鎖病棟に入院。そして病院を数回転院し、小児専門の精神科の閉鎖病棟に入りました。 てんかん発作の原因で、数種類の精神疾患を負いました。 病室は個室、監視カメラに鉄格子、何も持ち込めず、環境が悪すぎるので親の見舞いも禁止。 筋肉注射もぶすぶす、肩やお尻に。薬も40~50錠。 体調が多少良くなったら、病院から学校に。 そんな生活が辛く、病院から逃亡して一人暮らしをして学校に通いました。16歳の時くらいでした。 逃げたから、薬も飲まない生活をしました。 薬を飲まない生活でしたから、薬による気だるさはなく、自由にできました。 ただ、命にかかわるような、突発的な行動にも出たりしました。 ICUには7回ほど入りました。 それを繰り返し、18に学校入学、休学→19に復学、20に休学→現在復学して、通っています。 病院を逃げだして、治療を負えないままでしたので、問題行動が多かったです。 なので、休学復学を繰り返してる間に、原点に戻るべきかな?や、どうせ社会でこれじゃやっていけないだろう?と感じ、また一度環境が悪い入院生活に入り、投薬も続けました。 そして、今現在、病院に学校帰りに通いながら、薬を飲みつつ生活しています。 簡潔にかきましたが、もの凄く辛い生活を今までしてきました。 死にたいとかはないですが、むしろただ生かされているだけなような気がします。 薬のせいで、学校に通えても、自分で作業をする課題を出したりするのが正直きついです。 なんのために生きてるのか・・・自分の身体は何なのか・・・ もう闘病生活に飽き飽きしてきました。前みたいに、薬を飲まないで思い切って、生活したいと思ってしまいます。 物凄い苦労して生活して、一生懸命努力してきたのに・・・なんで、なんでこういう結果しかでないんだって思います。 課題も思いっきりちゃんと期限に出したい。 こんな生かされてるような体なら、薬を飲まないで覚醒した状態でやりきりたいです。 死にたい願望はないです。ただ、一生懸命やりたいです。 一生懸命やって、それで死んでしまうならいいです。 自分のふがいない心境や、身体的状況がいやでたまらないです。 気持ちがあっても、それを遮られたり、努力が皆無になることも多かったです。 記憶も闘病生活のせいで、入院期間の間は失ってしまいましたし・・・ 学校の在学年数も今年で最後です。 次に、お医者様に診てもらうのは一週間後くらいです。 今現在、もう病気を治そうと思わず、身体ぼろぼろでもやりきりたい思いでいます。 どうしても悔しいからです。 思いっきりやって、我慢せず悔いのない生活をしたいです。 今そう思います。 わかりにくい文章かつ長文であるかもしれませんが、どうかご意見を下さい。 宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#163132
noname#163132
回答No.1

精一杯、力の限り生きていらっしゃる…そんな印象を受けます。 強い情熱を持っているのに、体が付いて行かないことに苦しんでいらっしゃる。 てんかんも本当に色々あるのですね。 薬も単剤で症状が抑えられ、少し人より眠気が強いぐらいで、一見すると日常生活に特に支障も制限もなく、健常者と一緒に生活を送る事が出来るケースもあれば、いつ起こるとも分からない発作と後遺症に悩まされる日々を送っていらっしゃる人もいる。 程度が軽くとも、一般の健常者と同じに見えたとしても、やはり、てんかん発作を起こしたことがある人は、人知れず苦しんでいらっしゃるものですよね。 てんかんを患うと、人には上手く説明できないような、様々な後遺症が出ることがありますからね。 脳にトラブルが起きているのだから、体調だけではなく、学習面や対人関係でも影響が出ることがありますからね。 てんかんは、脳の病気だから、外から見ても分からないから、苦しみもその人その人の胸の内にある…。 あからさまに病気には見えないから楽な面もあるけれど、見えないから、身内からでさえ理解が得られずに苦しいこともある。 もう、人に話すのは止めようかと思っていましたが、身内にてんかんの後遺症で苦しんでいる子がいます。 楽天家のように見えるので、苦しんでいるようには見えませんが、本当は傷ついて悩んでいると思います。 病気の後遺症で てんかんになり、現在は脳波も安定して投薬治療を中止してはおりますが、学習面や生活面で障害が残っていると思います。 病気の後遺症で側頭葉に傷が出来、てんかんになってしまったのです。 障害と言い切るのには、医者にも難しい範囲であったと思います。 もっと、重篤な方も中にはいらっしゃるので、本人と家族の努力次第で乗り越えられると思ってくださっていたので、一度は心配ないと仰ってくださったのだと思います。 でも、現実に、教えることの難しさをひしひしと感じることがあります。 特に、読み書きといった言語の分野や、状況判断の能力に問題を感じています。 唯の怠けとは、やはり違うのです。 怠けているから、ものぐさだから、覚えることが出来ないのとはまた違うのです。 得意なことと苦手なことと、あまりにはっきりと開きがあるので、端から見れば怠け者の気まぐれ屋にも見えかねませんし、元々そんなところもあったのかもしれませんが、側に付いてみていると、やはり単に気力が続かないとか、怠け癖では説明が付かないことも多いのです。 病気になった年齢が幼かったので、本当に てんかんの所為なのか、本来の性格や能力故なのか、叱るべきなのか、我慢強く出来るまで気長に粘り続けるべきなのか、本当に悩んだ時期がありました。 私はあまりにも気にしすぎてヒステリックになり、子供を追いつめてしまい、自分自身にも嫌気が差してしまったこともありました。 もともと、あの子が重い病気になって後遺症が残ってしまったのは、自分の不注意の所為なのに。 本気で自分の所為だと思うのなら、もう過去には戻れないから、振り返るよりも日々どうやって過ごしていけば、あの子にとって一番いいのか しっかり考えなくては行けないのに、順当に行けば、私よりもあの子の方が ずっと長く大変な道のりを行かなくてはならないのに、もともと大した人間ではなかったけれど、どうしてこうも逃げ腰でずるい人間になってしまったのだろうと、深く考えることを放棄してしまったのだろうと思い悩むことがあります。 思うだけで行動が伴わないのなら、考えている振りをしているだけで、抜け殻のようです。 私も、貴方になんと声を掛けたらいいのか分からないけれど、たくさん辛い思いをして、多くの時を犠牲にして、頑張って来られたのですね。 こんなに力強い文章をお書きになれるのは、本当に苦労を放棄せずに頑張って来られたからなのですね。 薬に頼らずに生きられるなら、そういう気持ち、分かる気がします。 てんかんの薬を飲んでいると、だるくなりやすく、体が付いていかないので、やる気が削がれてしまうんですよね。 友達付き合いにまで影響が出ることもありますよね。 けれど、薬を切ってしまっては、発作が起こってしまいませんか? てんかんは、発作を繰り返す度に重くなってしまうと、以前、子供の主治医から聞いたことがあります。 症状が重いのなら、尚更、薬を切るのは難しいのではないかと思います。 比較は出来ないのかもしれませんが、うちの子供がまだ小学校の低学年だった頃、同じ学年に先天性のてんかんのお子さんがいらっしゃる方がいて、投薬が効かずに悩んでいらっしゃったのですが、静岡にある大きなてんかんの専門病院に通うようになってから、良い薬が見つかり、お子さんの症状も安定し、そこから交友関係も広がって、心理的に楽になったと仰っていました。 うちの場合は、当時住んでいた県内の県立こども病院で投薬していただいたテグレトールで発作を抑えることが出来たので、そのときは話を深く聞くことはありませんでしたが、今、ふと思い出して検索しましたが、「国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター」が日本で一番大きく有名だといくつか記事も載っていたので、そのとき話に出ていたのは、そこに間違いないと思います。 直リンクは避けますが、「国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター」で検索してみてください。ホームページが載っています。 既にご存じでしたら無駄な情報ではあるかもしれませんが、もしまだこちらを受診したことがないのでしたら、ご検討なさっては如何でしょうか。 今の主治医にも相談なさってはどうですか? 失礼だなどということはないと思いますよ。自分自身の体と人生なのですから。 実際に静岡まで通うのは無理だとしても、そちらで相談なされば、生活圏内でも通える良い病院を紹介していただけるかもしれませんよ。

その他の回答 (1)

  • haisen
  • ベストアンサー率16% (4/24)
回答No.2

現在、うつ病で通院しながら仕事をしております。(もちろん薬を飲んで病気と年単位に渡る闘いをしております) 自分の力で意味のある人生を送りたい、でも幼い頃に襲われた不幸が原因で自分の力を出し切れない悔しさ、本当に今までの闘病生活さぞ辛かったでしょうね。 私は上司のパワハラ(職員の面前で罵倒される、目の前で客相手に「あいつはバカだ」と言われる、意味のない長時間労働)で胃潰瘍とともに発病してしまい、 本当に心をボロボロにされ、ついにはうつ病の最終行動まで起こしてしまいました。(当然入院させられましたし、本格復帰まで1年以上かかりました。 また胃潰瘍も胃炎に変化しましたが未だ完治しておりません。)それとともに、何事もなければ掴めるはずだった、そしてあげられるはずだった幸せ、さらに ともに背負うはずだった苦労やともに得ることができた充実すらも失ってしまった・・・ 今となっては悔しいですがもう取り返すことができません。 でも、あなたには「生きたい」願望がある、私が一時期失っていた宝物があるではないですか。そして、22歳という私がもう得ることのできない大切な宝物が あるではないですか。そして何より、掴めることができる未知の幸せ、喜びがあるではないですか。私はあなたがすごく羨ましいです。 これから社会の荒波にあなたも向かっていくのですから今まで以上の様々な苦悩、挫折などを味わっていくと思います。 でも、あなたには「これから」があります。どうか自分の心に正直に、決して無理をせず、時には休む勇気を持って充実した、そして今までの苦労が報われる将来を 送られることを願ってやみません。

関連するQ&A