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躾と虐待の境界線ってどこですか?(長文です)

非常に難しい質問なのは承知なのですが、基本的には躾と虐待の境界線って何処でしょうか? 私は小さい頃受けた事が躾なのか虐待なのか今でもよく自問自答しています。母は躾と教育にどっちかというと厳しい方で、世間体もよく気にします。ちなみに鬱病でもあります(自分もその気があります)。で、詰まる所は本当に心苦しいのですが、自分が被害妄想なのか妥当な感情を持っているのか心の整理が付くことが出来るの要に私の受けたことが躾なのかを判断していただきたいのです。 1)幼稚園か小学校頃の話ですが、数学かなんかの宿題での不出来で先生が私を学校に送ってきた母にそれを指摘したら、私の腕を掴んで私を地面にたたきつけ始めました。クラスと先生の前にもかかわらずに突然始めたので恐怖で床に這いずり回って逃げようとしたのですが逃げることが出来ず母の気が済むまで続いて(小さい頃の話なので正確にどのぐらい時間続いたのかわかりません、考えてるよりずっと短時間かもしれません)、終わった後にクラス中からの同情の眼差しが一番きつかった気がします。 2)小学生ぐらいの話ですが、クリスマスツリーに飾るガラスのオーナメントを弄ってて壊してしまったら家を出てけといわれました。当たり前ですけど真冬です。ドアを叩いて開けてと騒いでもうんともすんともしなかったので本気だと思いアパートから出ました。行く当ても無く裸足でしばらくパジャマで歩いてるのが可笑しかったのでしょう、知らない人がどうしたの?って聞いて家から追い出されたって答えたら変な顔して考え込んで、寒いから早く帰った方がいいよって言われました。今でもあの微妙な空気は何気におぼえています。大分昔なのでまたまた記憶があいまいですみませんが、なんだかこのままだと母が悪者になる気がして戻りました。ピンポーンとならしてみましたが返事が無かったのでドアの横で座りました。しばらくしたら上の階から降りてきた住人が私をみてよってきてどうしたの?って聞くと私が答える前に途端にドアが開いて私を引っ張り入れました。それからの記憶があいまいなのですが、母に不振な目で一瞬にらまれたのは覚えています。 3)またまた小学生の頃ですが、数学のクイズかなんかで80点代をとったら「あんたはなんでこんなに馬鹿なの!?」って言われて辞書類を何冊か投げ続けられました。「辞書に殴られれて頭が良くならないかしら」と吐き捨てられました。なんとか頭部とかを腕で守ったのですが腕の痣はしばらくのこりました 4)これはちょっと微妙なのですが、小学生の頃に親友が居たのですが、どうも母は親友の母が嫌いだったようなのでいつも友達の家族の事を悪く言っていました。基本的に私にその親友と遊ばせてくれずにクラスの他の親しい子を指定されてこの子と仲良くしなさいと言われました。今から考えると理由がその子の方が成績が優秀だったからのようです。この辺りから本格的に母の事が分からなくなりました。 5)これが一番トラウマになってると思います。小学生の頃だったのですが、友達の家に遊びに行ってその親御さんに送られてから帰ってきたら母が夕日で暗くなったリビングで買い物袋を置いて座っていたのです。私が帰ってきたのを見ると大根を持ち出して「この大根あんたの為に盗んできたのよ?」と意味不明な事を言い始めて、そのうち「アンタさえ居なければ」「アンタが全部私の不幸の原因」と言われて私は怖くなってどこか、押入れかなんかに身を隠しました。わざわざ私を探し回ることはしなかったようなのですが、夕飯ちかくに出てくるとまるでなにも無かったように普通でした。誤ってくれるようなことはありませんでした。 と、直接的な事は主に小学生の頃まででしたね(他に包丁やら首吊りようの縄騒動などありましたが)。ちなみに基本的には叱られている間はずっと許しを請うています。その後いつごろか定かではないのですが、母は鬱病と診断されて薬を服用するようになってから大分落ち着きました。鬱病だからって頭では分かっているのですが、心の何処かでは母が恐ろしくて仕方がありません。これ以上長く書くのも気が引けるので皆さんの意見をどうか聞かせてください。

みんなの回答

  • focena55
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.9

つらい子供時代を送られたのですね。 私も言い出したら止まらないくらい いろんな思いが母にあります。 今56歳です。 今頃になってやっと母の呪縛から抜け出せました。 あなたの質問からずれてしまうかもしれませんが 今私が思ってることをちょっと書いてみたいと思います。 母が私にしたことは決して忘れられなくて 友達にも聞いてもらったりしました。でもそんなことをしても自分はちっとも幸せな気持ちになりませんでした。 「もっとも手の合わせにくい人に手を合わす人になるように。 手を合わすとは、黙ってありがたく受け取る「これでよかった」ということ。」 これはある仏教の本に書いてありました。 母がしたことを 今、どうのこうのと思ったところで 何の意味もない。だったら そういうことをせざるを得なかった母をありがたく受け取ろうと思いました。ありがたくです。 努力が要ります。でも 過去のいやなことを思い出したとき そのままの母をありがたく受け取ろう と自分にはっぱをかけるんです。そして今のあることを感謝するんです。誰に対してかはわからないままね。 生きてて幸せなんだって思うんです。 そうしているとだんだん自分にとって過去というものが力をおよぼさなくなります。と 最近は感じられるようになりました。 母の存在はこどもにとってとても大きいものです。56にもなってと自分にあきれながら ずるずる母の呪縛にひきずられていました。やっと なんとなくってとこですが 今のわたし。

  • obnji035
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.8

お母様が貴方にしてきた事は躾ではないと感じました。かといって、虐待でもないとかと思います。 人前でもそういう事をしてしまうって、多分、感情のコントロールがうまく出来ないのだと思います。貴方を傷つけるたびにお母様はすごく後悔されていたと思います。 でもそれ以上に貴方は心に大きな傷を負ってしまった。とても辛かったことと思います。 お母様は鬱と診断されたのですよね。納得は出来ないかと思いますが(いつから症状があったのかわかりませんが)いままでの行動や言動はそのせいだったのかもしれません。 今、お母様にどの様な感情をお持ちですか? 少しでも優しい感情をお持ちでしたらお母様が貴方にしてきた躾はまちがっていなかったのかもしれませんね。 長文失礼いたしました。 専門家でもないのに気を悪くされたらごめんなさい。

  • hika1982
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.7

お母さんは躾のつもりだったのでしょう。ただ、鬱病であったために過剰になってしまった、それが結果あたなにトラウマ、PTSDとして残ってしまった、躾か虐待かは親と子供では感じ方が違いますので線引きは難しい、けれど実際あなたにとってはトラウマになってしまったということが重要です。 これからあなた自身がお母さんとどのように付き合っていくかはあくまであなた自身の精神状態を第一に模索していってください。もし頼れる人(友達、カウンセラーなど)が居れば相談していきたいですね。 長い割にアドバイスになってないような文面で申し訳ないです。 最後に一つ、あなたの状態は医学的な被害妄想(統合失調)では絶対にありません。 今後もしあなたご自身が精神科を受診するようなことが会った場合、無能な医者に統失と診断されて向精神病薬を飲まされることだけは避けてください。それこそ本当に妄想が出て来ておかしくなっちゃいますから。 参考URLはご自身の精神を第一に考えた上でのアドバイスになるかなと思って貼ってみた物です。 (的外れや既読なら流してください)

参考URL:
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/PTSD_therapy.htm
noname#194289
noname#194289
回答No.6

大切なことは程度というより一貫性があるかどうか、つまり価値観が定まっていての行為であることが受ける子供に理解できることが重要だと思います。軽い体罰でも気分次第で乱用すると受ける側には戸惑いしか与えないことになると思います。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.5

>躾と虐待の境界線ってどこですか?(長文です)の境界線ってどこですか?(長文です)                   ↓ 個々の家庭や親子関係、お子さんの年齢で異なるとは思いますが、私が思います境界線は・・・ そこに、愛情や信頼関係、共に悩み直そうとする意識の有無だと思います。     躾        :    虐待 ◇相手の為を思っての行為 :自分の見栄や世間体や不満解消の為の行為 ◇身体に傷や危害を加えない:身体に直接危害を加える ◇両方が辛く悲しい思い  :加害者と被害者に明確に分かれる ◇他人の目があっても必用 :人に見られず知られたくない ◇必用な時にだけ     :自分の気分や都合で、また繰り返される  ◇主に口頭注意      :主に体罰であり、稀には道具を使う<バット・ベルト・ものさし・タバコの火>

回答No.4

おそらく、非常にきついことをいいます。 一般的にいえば、まず、虐待かどうかという のは、少なくとも、誰の立場で見るかという ことは必要で、これなくして、「虐待である・ しつけである」と線を引くことはできません。 そしてもうひとつ、虐待かどうかという区別 をつけるこよりも、現に、あなたが、どうい う影響を受けたかのほうが、遙かに大切です。 つまり、何かの基準を以て、「これは、しつ けの範疇です」と判断したとしても、あなた が現に傷ついているということに対して、な んの意味もないのです。 だから、もしも、「親として」とか、「社会 的に」とか理由付けができたとしても、あな たが、いま、どう感じているのかを素直に感 じてください。 そして、多くの場合、このような質問が出て くる背景に、どこかで、「虐待されたという のは自分の思い過ごしで、本当は、愛されて いた(故に、しつけとしてこういう行為を受 けていた)と信じていたい」という心理が働 いているようです。 体に傷を受けた場合、相手の意図がどうあっ ても、それは暴行であり、傷を受けた体は 痛みます。放置すれば、死に至る場合もあ ります。 心に傷を受けた場合、相手の意図がどうあっ ても、それは虐待であり、傷を受けた心は 痛みます。 放置していてはいけません。 もしも、誰かのことを考えて、共倒れになっ てしまうかもしれない場合、状況によって は、「自分のことだけを考える」のは、 必ずしも悪ではありません。

  • nemuchu
  • ベストアンサー率52% (1828/3483)
回答No.3

1、3=手やお尻を軽く叩く程度の体罰なら「しつけ」の範囲として認める事もできますが、それ以上の体罰は、ただの暴力、虐待です。  子は、成人男女よりも弱いんです。「軽く」叩いたつもりでも相当なショックですよ。  大人の力で頭なんか狙ったら、当たり所が悪ければ死にます。 2=食事を与えない、家を追い出す等はネグレクトという育児放棄の虐待です。 5=自分の責任において妊娠し産んだ子に対して「アンタさえいなければ・・・」等否定的な言葉を投げかけるのは、精神的虐待。  親の都合で産むんです。子が親に頼んで自分を産んで貰う家族は有得ません。 4は、「非常識な親」程度かなぁ。 ちなみに。 最も簡単な「躾」と「虐待」の線引きは、 「子が、それを『非常な恐怖』として覚えているかどうか?」です。 質問主さんがそれらの事を思い出して悩み、お母様の事が恐ろしくおもうなら、それらは虐待だったんですよ。 鬱病だったから仕方ない。なんて言われたとしてても、自分が怖かった事実、身体に受けた痛みや辛さ、心のトラウマは変わりませんからね。 最初から「仕方なかった」と、無理に抑え込むのではなくて、 一度「怖かったんだ。辛かったんだ。」と、吐き出してしまうのがいいとおもいます。 婦人相談所の電話相談や、カウンセリングはいかがですか? そうやって、辛かった事を全部吐き出して、「そうだね。辛かったね。苦労して大変だったね」と同意してもらう事が、 質問主さんの心情の整理になり、質問主さんとお母様の「今後」の関係づくりの第一歩になるのでは?とおもいます。

  • pasocom
  • ベストアンサー率41% (3584/8637)
回答No.2

私は#1回答者様とは全く違う意見です。 すなわち「供の躾に体罰は必要ではない」ということです。 この一線こそが質問者様への回答にもなるでしょう。つまりいかなる理由があっても「暴力行為」は=「虐待」です。 #1回答者さまは「程度ものと思います。」などと簡単に言っていますが、その「程度」とは一体どの程度だというのでしょう。それがはっきりわかれば何の苦労もありません。 私は、自分の子どもに腹が立ったことがあっても、手を出したらダメだ、と自制して来ました。10才になる今まで子どもを殴ったことはありません。ですがそのせいで子どものしつけができていないなどとは思いません。こどもは素直でやさしいいい子に成長しました。 あなたのようつらい思いをする子どもはいりません。そんな必要は無いのです。問題は「程度問題」ではないのです。ここをはっきり申し上げたい!!。 子どもに手を出しても何も解決しない。!!。

回答No.1

私は子供の躾に体罰は必要だと考えています。しかし、その体罰も子供のためにするのであって、自分の憂さ晴らしのためにするのなら虐待です。普通の親御さんでも、かっとなって子供を殴ったというのもたまにあるかも知れませんが、程度ものと思います。「アンタさえ居なければ」はもう教育じゃないでしょう。お母さんは自分のことしか考えられないぐらい、鬱に悩まされていたのでしょう。

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