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この2文の違いとは?

例文 「難所でさえつまずかない」 「難所でさえつまずきにくい」 このふたつを比べた場合、なぜか私は下(つまずきにくい)の方に、違和感を覚えます。 違和感の正体はなんでしょうか。 また、この2文は、文法的におかしいところがあるでしょうか? よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • qualheart
  • ベストアンサー率41% (1451/3486)
回答No.2

文法的におかしいことはないと思います。 単なる主語に対する先入観ですね。 それぞれ主語が違うという認識をもたずに、先入観からくる同一主語で考えてしまうから違和感があるんだと思います。 「(わたしは)難所でさえつまずかない」 「(わたしは)難所でさえつまずきにくい」 という具合に、同じ主語で文を受け取ってしまっていませんか? これだと何となく違和感がありますよね。 ですが、 「(わたしは)難所でさえつまずかない」 「(わたしのくつは)難所でさえつまずきにくい」 ってそれぞれにあった主語を入れれば文として成り立ってますよね。 違和感があるかどうかは、この見えない主語をいかに想像するかどうかです。 ご参考まで。

ASAYOSHI
質問者

お礼

締め切るのが遅くなり、また、お礼が遅れまして、たいへん申し訳ありません。 ご回答、参考にさせていただきます。 ありがとうございました。

ASAYOSHI
質問者

補足

一応、主語は「この靴は」で考えていました。 ということは、どちらも不自然ではないと考えてよろしいということでしょうか。 ……逆に、「靴は」だと「つまずかない」につながるのがおかしくなるの、かな? 普通に考えれば、人が主語の方が自然ですし。

  • DIooggooID
  • ベストアンサー率27% (1730/6405)
回答No.1

 一般的に、"難所" と言われると、足場の悪いところが頭に浮かぶので、 そこから、 "難所" ==> "つまづく"  という図式になります。  難所でもつまずかない、だから、それ以外のところでは、つまずくはずが ない。 と言う意味を含んでいるセンテンスが、前者だと思います。  (※ つまずかない、という事実。)  これに対して、 [難所でさえつまずきにくい] という表現は、   誰もが足場の悪いところであると思う "難所" であっても、 つまずきにくい。 当然、その他のところが、つまづきにくいのは当然の ことである。  ということを暗に表現していると思います。  このセンテンスから生まれてくる違和感は、"難所" すなわち、危険な 場所 というイメージが一般的であるにもかかわらず、"つまずきにくい" という、正反対の内容が続いていることに起因していると思います。  (※ つまずきにくい、という状況。この状況を 真と受け取るか、    偽と受け取るかで、違和感が生まれるのでは? )  文法的には、問題ないと思います。  こちらの説明にもあるように、 [(で)さえ]  は、必要最小限の条件を 設定するような場合に使われます。 http://www.guidetojapanese.org/even.html

ASAYOSHI
質問者

お礼

締め切るのが遅くなり、また、お礼が遅れまして、たいへん申し訳ありません。 ご回答、参考にさせていただきます。 ありがとうございました。

ASAYOSHI
質問者

補足

主語は「この靴は」で考えていました。 また、つまずきにくい、という状況は、「真」と受け取るとお考えください。