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人間はいつまで今のままでいいのか

備忘録の形で作文をしたので添削をお願いします。 疑問点としての質問ではありませんが、考え方を進めるにあたってご協力ください。 哲学がコンピューターに敗北する可能性とでもいいましょうか。 なお、私はどちらかと言うとアホウです。 難しいことは解りません。 題して、人間はいつまで今のままでいいのか 恐竜は隕石の落下により絶滅した。 有名な話ですね。 実はこれ、30年ほど前に当時のスーパーコンピューターに計算させてはじき出された回答です。 有名な学者さんが発見したわけでない計算結果です。 この30年でコンピューターはさらに発達しています。 そのうち、神はいかようであるか? なんてのもスーパーコンピューターが人間の先を行くでしょう。 神についてスーパーコンピューターに聞くと言う事は、(日本では自覚に乏しいですが)人はいかように生きるかを人間自身でなくコンピューターに聞くと言う事です。 このようにして人間は地上で人間たる立場をコンピューターに譲ることになる。 鉄腕アトムもやがて生まれるでしょう。 地球上で人とは人間でなく猿に過ぎない立場に陥る瞬間です。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

No.4です。回答とそれに対するお礼・補足を読むうちに質問者の意図もわかってきました。それから、はじめの自分の誤解にも気がつきました。 そもそも、質問者が立てた題名がよくないということは言えるでしょう。 「人間はいつまで今のままでいいのか」 「今のまま」がどういう事態を指しているのかわからないので、 (わたしのように)洞察力に乏しい人間は自分の都合の良いように解釈してしまいます。 しかしながら、質問者ははじめから >哲学がコンピューターに敗北する可能性とでもいいましょうか。 と書かれていたのですね。わたしはそれを見落としていて、 後の備忘録の本文からはそれを読み取れずにおりました。 備忘録という文章の特質から、論理の飛躍が多く、 そういう誤解もいたしかたなかったかと思うのですが、 全体をよく理解しなかったこちらも未熟だったと反省しました。 前置きが長くなってしまいました。 まず問題を明確にしたいのですが、 >哲学がコンピュータに敗北する ことの例として、恐竜の絶滅の例が妥当かどうかです。 おそらく哲学と恐竜の絶滅はほとんど関係ないのではないか、という気がします。 >神はいかようであるか? なんてのもスーパーコンピューターが人間の先を行くでしょう。 という件は哲学と関係しそうですが、これは恐竜の件と違って、筆者の推測にすぎません。根拠も示されていません。 いわばこれは仮定なのですが、 その仮定を元に、 >神についてスーパーコンピューターに聞くと言う事は、(日本では自覚に乏しいですが)人はいかように生きるかを人間自身でなくコンピューターに聞くと言う事です。 と断定してみても、誰か実際に「神についてスーパーコンピュータに聞く」ことをしてみないことには、(そしてそれをしてみた人はいないと思うのですが)説得力に乏しい感じがします。 となれば、 >鉄腕アトムもやがて生まれるでしょう。 地球上で人とは人間でなく猿に過ぎない立場に陥る瞬間です。 という比喩に頼った結語がほぼ無力であることは明白でしょう。 とはいえ、 このような論理的な不備や表現の粗雑さは「備忘録」という文章の性質によるので、質問者の洞察の「するどい」一面は否定できないかもしれません。 「哲学」自体と関係があるかどうかはおいて、 人間が「恐竜は隕石落下によって絶滅した」という、ありうる仮説のなかから一つを確からしいと直感し、 それを数値的に実証することは自分自身ではできず、コンピュータに計算を依頼する、そういうことは現実的にあることでしょう。 ――「科学」はコンピュータに敗北した と、この場合言ってもいいかもしれません。 反論したければ、コンピュータなしで計算して実証する必要があります。 さて、それが ――「哲学」がコンピュータに敗北した。 と、論理的に言えるものかどうか、その点はわたしにはわかりません。 たとえば、「神」の問題について、誰かコンピュータで計算してみてもらえればすこしは結果が見えるかも知れません。 それにしても、 現実問題として、いろいろな問題について、 人間が自分自身では判断を下せず、コンピュータの計算結果に判断をゆだねざるを得ないということは増えてきているのではないでしょうか。 >人はいかように生きるかを人間自身でなくコンピューターに聞くと言う事です。 と、質問者は書いておられますが、 「明日傘を持っていくかどうか」といった生活上の問題ですら、 コンピュータの判断した天気予報に頼らなければならない、 それが現実かも知れません。 わたしなど、ちょっとした計算も自分では行わず、 「電卓」という神にお伺いをたてているありさまですから、 >人間は地上で人間たる立場をコンピューターに譲る と質問者に言われれば、「その通りです」と答えざるを得ないのは明らかだと言えるでしょう。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問者様の「その通りです」に感想はそれでいいんですよ。 文明の利器全般を使用したからと言って自分らしさを失うわけで無いです。 昔、科学万能なんて信仰に近い考え方がありました。 その科学万能をほとんど信じ切っていると言っていい状態が問題ではないかと、今回も大体そのような話です。

noname#117439
質問者

補足

思いついたネタです。 スーパーコンピュータの出した恐竜滅亡の回答は、科学の勝利です。 一面として人知の敗北です。 怖いネタですが、人類滅亡後、スーパーコンピューターは「なぜ人類は滅亡したのか」なんて計算をするかもしれません。 ここまでは単に文学路線で考えてみたに過ぎないネタです。 愛を認めれば感情のもつれが無くなりますので人類は滅亡しないで鉄腕アトムと仲良くできます。 そのようになりやがれ。と、催促したかったので今回のテーマは「人間はいつまで今のままでいいのか」なのです。 それが閉塞を打破する光明なんです。

その他の回答 (14)

回答No.15

No.1 & 8 & 9です。。。 >>> No.8補足欄 サル以下のおバカさん <<< この部分は 「人間のこころの部分である【知】を【閉じた世界】として模倣したコンピュータの出す結果を【鵜呑みにする】」 ということであれば、二段階の部分のみを見ていることになりますので、「無知以下」とか、「井の中の蛙以下」とか、「鵜飼いの鵜以下」とかいった言葉が適切かと存じます。サル概念に拘泥するのであれば「猿回しの猿以下」でしょうか。。。 また、 >>> No.8補足欄 ウンチ投げつけ攻撃の無駄な抵抗 <<< は、 「蘊蓄(ウンチク)による抵抗」 とかいった表現が適切かも知れません。 さて、 >>> 人間は地上で人間たる立場をコンピューターに譲ることになる <<< ですが、コンピュータプログラミングに手を染めた過去に「人類は、コンピュータに滅ぼされるかも知れない」と思ったことがありました。 それは、コンピュータが意識を持ったりとか、コンピュータの結果を信奉するとかいったこととは、別の理由からです。 コンピュータを作ったり、プログラミングをしたりして、どんどん発達させていく過程そのものが、人間の「知・知的思考」の移動を意味しています。単にそれだけのために、膨大なエネルギーを注ぎ込んでいます。(「知的思考と知」の移植といった願望のみに依拠している)際限のない開発競争は、人類の存続に関わるのではないか?と思ったものです。幸いにして、その代表的なスーパーコンピュータの開発競争も下火になっていますが、当時は、「テトリス謀略説」 >>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9 過去には逆にこのゲームを用いて「資本主義国家の生産能力を落とすためのソ連の罠」というジョークが流れたこともあった。 <<< も流れていて、一部に危機感が漂っていたのも事実です。 。。。と、ウンチクを傾けてみました。。。 (以下、SFです) さて、【人間の「知・知的思考」の移動】に始まる、コンピュータの発達は、何を意味するのでしょうか? これは、脳(の内部)自体が、脳(の内部)自身をコンピュータに移植したいと思っている(すなわち、不老不死の願望を持っている)ということに他ならないと思っています。 すなわち、人類がコンピュータによって滅ぼされるというより、脳(の内部)はヤドカリのごとく、人体の脳からコンピュータ内部へと移動をはじめているとも考えられます。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 本来この手の話はA6さんが言っている通り「無問題」の一言なんですが、気持ちの準備や整理は必要でしょうね。

noname#117439
質問者

補足

別の話なので補足とします。 >「猿回しの猿以下」 この話が出てきていますが、実際の論戦は論議を戦わせる真剣勝負で無く猿回し形式の方が効果的です。 これは重労働なんで世の中が進歩すれが鉄腕アトム君が代わりに飼いならしてくれるようになったら、より効率的でしょう。 そうすると科学万能時代に生まれた科学の子とはむしろお猿さんの方になるでしょう。 問題ではありますが、データを優先する説得法やテレビの中の出来事で社会を学ぶ姿勢など下地は何がしかあります。

noname#135843
noname#135843
回答No.14

 お久しぶりでございます。Hidocchiです。  以前に、温暖化の件で、お話させていただきましたが(下記サイトでございます)、温暖化論者の計算値はコンピュータシミュレーションによるものでございます。 http://okwave.jp/qa5267922.html  5年後には、ではいったいどのようになっているかは、神のみぞ知る といったところかと思います(太陽の活動状況から察しますに、活動がこのままですと、“寒冷化”の可能性が高いと推察しておりま)。ですが、ブログ等をいますと、相変わらず、温暖化論者と寒冷化論者の対立が目立ちます。  ほぼ共通していえますのは、 ・お互いの説を否定することにエネルギーを使っている ・一部に狂信的に「自分」の説を信じている人がいる(素人、(自称)専門家も含)  でございます(本来は、冷静さを要求されると思うのですが)。  繰り返しになるかと存じますが、回答番号:No.10の回廊欄にございました。「科学万能をほとんど“信じ切っていると言っていい状態が問題”」というのが、愚生の危惧しているところでございます。  ご参考になれば、幸いでございます。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 さらにつけつわえるなら、ケンケンカクガクの論議に終始しているだけじゃ何も行動は起こせないでしょう。

noname#117439
質問者

補足

お礼の追加です。 将来展望をするにあたって「世の中はこうなるから自分はこうしたい」なんてはやる気持ちは見誤る原因になります。 変革期に準備できることは、できるだけ柔軟でいる事のみとするのがコツです。 気象変動が起きている。ただそれだけでいいでしょう。 ケンケンガクガクの論議はその時期になれば、誰かさんが果敢に取り組んでいると売り「第三者や他者」の意見となり自分自身は頓着しない煩悩となります。

noname#96547
noname#96547
回答No.13

敗北すると言う言葉を聞いたものだから、御仁はコンピュータと争うことを前提としておられるのであろうと私は思ったのだが、そのように生存意欲を持ったコンピューターを私は見たことが無い。(人間がロボットに息吹を感じるのは、影絵に息吹を感じるのと同じで、自分の手を離れて動いているために、生き物(動物)のように見えるのでしょう。もしくは、ロボット技術者にとっては、制作物は子どものようなもの、と言う意味でしょう。)   しかしながら、次のようには答えられるかもしれない。 {人生を問うのに、コンピューターは必要ないだろう。} なぜならば、すべからく人生と言うのは当事者に依拠したものであって、コンピューターであろうが他の何であろうが、自分以外のものによって導き出される性質のものではないからです。 故に、誰かが、人について、今のままではならないと強要することはないし、今のままでよろしいとも、決めることはできないでしょう。 仮に断定的に決めたとしても、そのようなものは意味を持たないからです。   計算機で、自分の人生を算出できると考える人は、人生(という語彙)そのものを理解していないか、何か別の言葉(たとえば日常生活の事ある毎の動作)とたがえて誤解している人であるでしょう。 わずかなりとも人生について思慮したことのある人は、人生を計算機で算出できるなどとは夢にも思いつかないし、想像もできないことであるからです。  

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうでしょうね。

noname#117439
質問者

補足

返答と言うよりこの質問の流れ全体で感じたのですが、コンピューターが自律的に判断することに対する否定的見解の根底は、自らが自らの自我に恐怖していることが原因のように感じます。 実のところ自我に振り回されない純粋知性に自律的な思考をさせることは可能です。 そうすると天使のような英知です。 これはなんてことは無く、人間が持ち合わせる無意識野の思考形態です。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.12

こんにちは。 真理といいますのは全ての事実を基にあらゆる矛盾を排除することによって求められます。 では、この方法で行きますと、そこには人類の存在そのものが矛盾としてリスト・アップされることになります。このとき、人類は困りますが、コンピューターは困りません。これで悩まない哲学者はいないでしょう。 このように、人類には真理を受け入れるということはできないのです。コンピューターを使おうと、哲学を用いようと、受け入れられないのであるならば真理を追究することに意味はありません。 因みに、科学技術が人類を超える存在を生み出したとしますならば、人類にはそれに従うという選択肢が生まれるだけの話です。嫌なら戦えば良いですし、神から乗り換えても一向に構わないと思います。 果たして、 「人類の存在は矛盾する」 「人類こそが唯一である」 コンピューターが神の代わりにどのような審判を下したとしましても、それで人類が変わるということはありません。我々はこの先もその矛盾を承知で生きてゆかなければなりません。これが人類に課せられた運命です。 従いまして、人類は人類である限り、絶滅するまで今のままということになると思います。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 うーん。そんなモンですか。

noname#101110
noname#101110
回答No.11

>人間はいつまで今のままでいいのか? 人間はいつかはコンピューターに指導されるようになるだろう そういう意味ではないか、と解釈いたしました。間違っていたらごめんなさい。 こういう事態が未来に訪れるということはないと思います。というよりも、人間は自分が作ったものに負けるという恐ろしい事態を絶対避けねばならないのです。核兵器撲滅も同じ思考からきています。 ロボット(人工頭脳を持った自在機械システム)は人間を越えてはならない。 そういった国際法が出来るはずです。 ご安心ください。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 タバコの自動販売機の合成音アナウンスにすら人間様を馬鹿にしていると劣等感がよぎる感情を人間は持ち合わせています。何を持って人間知性を超えたと見なすかは難しいし、むしろ人間の能力を超えさせないと意味が無いです。 それに悪意や一種の害意は感情ももつれなども原因していて、理性的であれば人間知性でもそれに振り回されないです。コンピューターに悪意や害意をわざわざ刷り込む必要は無いので、自立思考をするとしたら、まさに鉄腕アトム型でして人間に敵対排除をしたり、環境を平気で破壊するような知性にはならないです。

回答No.9

No.8です >>> SFの方を少し進めると「恐竜はなぜ絶滅したのか」の問いで無く「生命種はなぜ恐竜の滅亡を選択したのか」との問いで入力データを増やして計算させることはできるでしょうかね。 それだけで「神はいかようであるか」に答えとなりうると考えます。 <<< 「神を知的(に想定可能な範囲の)存在に限定する」とすれば、そのような考え方も成り立ちうると思われますが、「知・情・意」(+すくなくとも無意識)を「こころ」として持つ人間の「知」のみに限定した範囲に「神概念」を想定するのは、いかがなものでしょうか? たしかに、「神概念」として最小限、有しておいて欲しいものとして「論理的+無矛盾」はあるでしょう。ゲーデルも不完全性定理を考えている最中、「神の存在論」を考えていたようですが、「知的思考」の範疇を超えることができなかったためか、「様相理論の純粋に形式的な試作」と位置付けられているようです(「ゲーデルの哲学」、高橋昌一郎、講談社現代新書)。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 コンピュータなり電卓は便利ですね。 それを実感します。 神がどうのは確かに飛躍しています。 危険を認識するなら「いかようであるか」だけで「それ」としてしまうことでしょう。 出発点もそのように書いたつもりです。

回答No.8

コンピュータであれば(たとえ人工知能にしても)扱いうるのは、「閉じた世界」です。 無論、入力装置や出力装置といったインターフェース部分があるので「開いている」と考えることもできますが、内部での計算は、すべて論理回路での演算(AND,OR,NOTなど)に変換されています。したがって、論理的な手続き(プログラム)が最初に与えられなければ、動くことすらできません。このため、「あらかじめ与えられた」論理的な処理には強いですが、あいまいさを含んだり、非論理的なものごとや、創造的なものごとについては、対応が不可能(あるいは困難)となります。 LISPという処理系では、理論式として「ゲーデルの不完全性定理」を扱う程度のレベルに達しているようです。(LISP以外の処理系でも扱えるものがあるようです) http://www.unfindable.net/~yabuki/article/unknowable/ で、コンピュータが「論理的・無矛盾」なレベルのままであれば、(受動的な)人工「知」能にはなりえても、(能動的な)人工「情」能や人工「意」能(すなわち人工「自我」ないし人工「こころ」)にはなり得ないでしょう。このことは、SFの世界でもそれとなく取り上げられています。コンピュータが「自我」を持った途端、人間にはむかうというストーリーです。有名なものとしては「2001年宇宙の旅」でのHAL9000です。 すなわち、あらかじめ与えられた「手続き」を「自身で破って」(現行のコンピュータ用語で言えば「暴走して」)独自の処理を行い続けようとする(すなわち「生きようとする」)状態になれば、人間と同等の「生命体」と見なしうるでしょうし、そうならない限りは、有用な道具レベルからは脱却できないでしょう。 とくに、「哲学」はコンピュータの扱いうる「知」のみではなく、「知を愛する」といった「情」および「意」の関与なくしては成り立たないので、コンピュータに取って代わられるような分野ではないでしょう。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 専門の方のようですねありがとうございます。 SFの方を少し進めると「恐竜はなぜ絶滅したのか」の問いで無く「生命種はなぜ恐竜の滅亡を選択したのか」との問いで入力データを増やして計算させることはできるでしょうかね。 それだけで「神はいかようであるか」に答えとなりうると考えます。 あくまでも「いかようであるか」に過ぎないのですが、人間様に「神様はなぜ恐竜を絶滅させたのですか」なんて聞こうものなら、喜んでヘンテコな学説を論づる方が大勢いるでしょう。 それよりは実際にマシなんじゃないかと考えます。

noname#117439
質問者

補足

コンピューターに計算結果を出させると面白いだろうな、と、言うことをもう一つ思いつきました。 弱肉強食と言う言葉はもはや死語同然と考えますが、食物連鎖を含めて生命の循環モデルを作り文明発達の指針にしたら面白いのではないかと思い付きました。 そのようなモデルを作るならお呼びでないのが弱肉強食です。 >「知」のみではなく、「知を愛する」 と言いますが、「悪」は知性にも感情にも分類されないので、コンピュウターの計算に反映されません。 モデルとして出されるコンピューターの計算結果は「知を愛をする」に符合します。 このようにして、21世紀に入った現代では弱肉強食を旗印に「悪」を信奉するサル以下のおバカさんがウンチ投げつけ攻撃の無駄な抵抗を仕掛けてきます。

  • heartmind
  • ベストアンサー率14% (32/226)
回答No.7

ごめんなさい。No.2さんのいう人工知能は今やどの程度発達しているのでしょうか。私の知っている頃の技術では経験という知識を与えることにより、アルゴリズムを作らせて、知識から考える事を自発的にすることを目指していたと思うのですが、それがどのくらい、きているのか興味があります。教えてくれませんか。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 素人が口を挟むことではないのでそっとしておきます。

  • ratesu
  • ベストアンサー率13% (16/122)
回答No.6

無問題。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 おっしゃるとおりです。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

備忘録ですので、人に見せる文章ではないと言うことですね。もし、これが人に見せる文章だったとすると、貴方の文章は独りよがりで、説得力がまるでない文章であることを、はじめにお断りしておきます。先ず題名と文章の内容の間に何ら必然的な関係が見えません。文章を書く者に自明なことが読者にも自明であるとは限らないと言う、文章によって人を説得しようとする者にとって最も基本的な文章に対する理解をまるで無視した文章です。 先ず、 >30年ほど前に当時のスーパーコンピューターに計算させてはじき出された回答です。 ということですが、その計算をコンピューターにさせようとしたのはコンピューター自身なのでしょうか、それとも、人間なのでしょうか。そして、その計算をするための手順(アルゴリズム)をコンピューターに書き込んだのはコンピューター自身なのでしょうか、それとも人間なのでしょうか。 貴方の論をそのまま使うと、次のように言うことも出来そうです。 ブルドーザーやクレーンは人間の数万倍から数十万倍の力を持っている。あの巨大な建物も橋も高速道路も、ブルドーザーやクレーンなくしては作れなかった。それらの建設にブルドーザーやクレーンを使うと言うことは(日本では自覚に乏しいですが)人はいかように生きるかを人間自身にではなく、ブルドーザーやクレーンに頼ると言うことです。このようにして人間は地上で人間たる立場をブルドーザーやクレーンに譲ることになる。鉄腕アトムもやがて生まれるでしょう。地球上で人とは人間でなく猿に過ぎない立場に陥る瞬間です。 コンピューターを待つまでもなく、ブルドーザーは人間に比べて数万倍乃至数十万倍の能力を既に持っております。ところで、貴方は、そのうちに、ブルドーザーが人間を支配すると思いますか。10万倍の能力じゃ駄目だというなら、何倍の能力が在れば良いと思って居るのですか。 確かにコンピューターは「与えられた情報」に対する処理能力に関しては、人間と比べて数億倍の能力が在ります。ところが、まだ与えられていない情報や与えられていないアルゴリズムに関しては、コンピューターな何も出来ないのです。現在のコンピューターの計算の処理能力は、人間の頭脳の持っている計算の処理能力に比べると既に100万倍乃至1億倍位早い処理能力を持っておりますが、無から何かを創造することに関しては、何も出来ないのです。 コンピューターのコの字も知らなかった数千年前に、人間は歴史に残る素晴らしい古典を残しております。ホメロス、ヘロドトス、ツキジデス、プルターク、司馬遷、紫式部、源信、西行、北畠親房、マキュアベリ、等々がそのほんの数例です。不思議な事に、計算能力が人間に比べて数億倍も優れているはずのコンピューターは、未だに、歴史に残る歴史書や文学作品を残してはおりません。何故なのでしょうか。 私は日本の大学の先生方に多くの知人がおりますが、彼らの言うには「今の日本の多くの学生は、与えられた情報の処理能力に関してはそれなりの能力を持っているが、まだ誰にも分からず、自分でその解決法を案出しなくては解けない問題に関しては、はっきりとその能力が劣っている」との事です。要するにお膳立てが出来ていない問題に関しては、はっきり能力が劣っている、と言うことです。どうも、日本の初等中等教育は人間をコンピューター並みにすることに、汲々として来たようです。 貴方の論説は、ブルドーザーの特有な能力って何だろう、コンピューターの特有な能力って何だろうと言うことを、人間の特有な能力って何だろう、文化って何だろうと言う事と比べて論じ何限り、単なる思い付きの備忘録に終わってしまうと思います。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 コンピューターが自我を持ったらどうなるかなんて話はしていません。 ただしもし持つとしたらコンピューターには感情がもつれて迷いを生むことは無いので理性的でない人は劣等感を持つこともあるでしょう。

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