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テレビアニメや、ドラマで使われている、日本語は正しいのか?
最近、どんどん日本語が変わってきて、 間違った日本語が使われることも多くなってしまいましたが、 となると、テレビアニメやドラマなどで使われている日本語も、 間違っている可能性はあるのでしょうか? それは人物の特徴などで、意図的に日本語を間違えさせていることではなく、 監督なども気づかぬ間に、うっかり間違えてしまっていたということがあるかどうかです。 僕はありそうな気がしますが、実際はどうなのでしょうか? 回答よろしくお願いします――m(__)m
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質問者が選んだベストアンサー
たくさんありますが、その中でもダントツの頻度で耳にするのが 「とんでもございません」です。 「とんでもない」の「ない」は、ある・ないの「ない」とは違うので、「ございません」にするのは間違いです。 「見ない」の「ない」を「ございません」に替えて「みございません」って言わないですよね。 同じ位おかしいのに・・・。
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- COZY_OKWEB
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そもそも、アニメもドラマも日本語の教育を目的としたものではありません。 したがって、そこで使われる日本語が正しいものであるという保証は一切ありませんし、正しい日本語を使うという意識を、作り手は明確に持っていないでしょう。 ただ、作り手も万人に与える影響は大きいとは無意識に感じているのでしょうから、多少は気を遣っているとは思います。 バラエティやニュースなどで、字幕が出ることがあります。 こちらの方は、結構、正しい言葉に関して意識があるようで、ら抜き言葉などはほとんど修正されていると感じています。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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そういう慨嘆と批判はいつの時代にもあったと存じます。 とても急激に変化をしていく時、期間というのもあります。 まぁ、ご質問の仰せのように、単にケァレス・ミスもありますし、生活と状況、環境が変わり、従来の言語と言語生活では間に合わないこともでてくるのでしょう。 そういうことや前述のケァレス・ミス、そして無知からの表現については、私も周りの方々に注意されたりしてきて、多少言葉に関心を持つ人になっているのかもしれません。 老人や先輩には注意されましたね。それはありがたいことでした。 ことばの分析もするようにもなりました。 それでも社会全般の言葉や、生活の変化をおし止める事は無理ですね。 間違いもたくさんあり、そしてそれが通用するようになります。 私の、そして質問者の文章をみて、江戸期や明治期の方が顰蹙しないとも限りません。 そのような表現や文章をなす、心情や生活を批判するかも知れません。 そういうことを考えると、果たして人間の本質とは歴史とともに変化だけしてきているのだろうか?進歩ってないのだろうか? と考えます。 そうやって、大河は海に入るまで、だんだんいろんなものを呑み込みながら流れていくのでしょう。 批判しても押しとどめることはできませんが、批判しないで流されていく事はなお、批判の対象だと存じます。 気にしながら、そしてまた、新たな現象に驚くくらいに暢気に為りながら、いきませんか。そんなことは私もできそうもないのですが。
- lyrics
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こんにちは。No.5、6です。 > テレビアニメやドラマなどで使われている日本語も、 > 間違っている可能性はあるのでしょうか? ご参考までに、ドラマに関しての実例をいくつか引用しておきます(番組名は伏せておきます)。 『勘違い敬語の事典』より ○「奥様大丈夫ですか。ずい分‘おやつれになられた’ようですけど」(推理サスペンス) 【二重敬語】やつれる⇒「お/ご~になる」(尊敬)+「助動詞れる/られる」(尊敬) ○探偵を呼びつけた人物が、目の前に現れた探偵に向けて 「突然の‘お招きで’不審に思うだろうが、~」(推理サスペンス) 正しくは、「お呼びして」(お/ご~する)(謙譲)。「お招きで」というのは呼ばれた側の表現になりますね。 ○「署長、‘ご苦労様’です」(推理サスペンス/刑事ものなど多数) 目上の人には「お疲れ様」が一般的とされています。 ○金策に困った工場主が取引銀行の課長に向かって 「…というような事情です。是非とも‘お力になって’いただきたいと思います」 「力を貸す」「助力する」をあらわす『力になる』に“あなたへの”をあらわす尊称「お」がついて「お力になる」となりますが、これは「あなたに力を貸す」という謙譲表現で、「お~になる」の尊敬表現ではないということですね。 ○「先生の本、‘読まさせて’いただいております」(推理サスペンス) 【さ入れ言葉】正しくは「読ませて」となりますね。 これらの例の場合は番組製作者などが気づいていない可能性が高いですね。 まあどんなにチェックを入念にしたとしてもミスは付きものですからね。日本語は難しいですね^^;
あると思います。 正しい日本語という解釈自体が、曖昧になってしまっているようにも思います。 ある学者さんは、古くから伝わる用法を重んじ「正しい日本語」とし、「日本語が壊れていく」と嘆きます。 かと思えば、 ある学者さんは、「どんな時代も言葉は変化してきた。若者の言葉や、世間に浸透している始めとは異なる解釈も、この変化の一端に過ぎない。寧ろ興味深い。」と歓迎的。 さて、どちらが正しいのか、誰にも決めようがないようです。 ただ、一語一語、響き、ビジョン、造形、波動、それらの総合的な個性が、確かに変化する、もしくは、守られることによって、表現は新しい何かを得てきたのだと、わたしは、思います。
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No.5です。すみません。訂正いたします。 > 【姑息】[あやまって]その場しのぎ。一時逃れ。 ↓ 【姑息】[あやまって]卑怯。卑劣。[正]その場しのぎ。一時逃れ。 失礼いたしました。
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こんにちは。 > 最近、どんどん日本語が変わってきて、 > 間違った日本語が使われることも多くなってしまいましたが、 > となると、テレビアニメやドラマなどで使われている日本語も、 > 間違っている可能性はあるのでしょうか? > > それは人物の特徴などで、意図的に日本語を間違えさせていることではなく、 > 監督なども気づかぬ間に、うっかり間違えてしまっていたということがあるかどうかです。 言葉や表現に細心の注意を払っているはずのアナウンサーなどでも間違えることがあるのですから、テレビアニメやドラマなどでもその可能性は十分にあると思います。 ご質問は、多くの人が使うようになっていても、今現在の時点では誤っていると見なされている言葉についてどうなのかということですよね。 この判断は難しいところですが、一応国語辞典への採用のされ方がその拠り所となるのではないかと思います。 たとえば「確信犯」。[俗]わるいことと分かっていながら、罪を犯すこと(人) これなどは、すでに認められていると言っていいのではないかと思います。 アニメでの言い回しの誤用は今すぐには思いつきませんが、言葉の誤用では「卑怯」の意味で「姑息」が使われているのを見たことがあります。 【姑息】[あやまって]その場しのぎ。一時逃れ。 「卑怯」の意味で多くの人が使っていますが、ほとんどの辞書では「誤り」とされていることから、ご質問への回答としましては、これを挙げてもいいのではないかという気がいたします。 発話者の言わんとしている意味は理解はできますし会話も成り立ちますが、本来の正しい意味から(現在でも)外れている用法というご質問には、一例として上の答えがかなっているように思います。 よく見ていれば、おそらく他にも発見できるだろうと思います。 最後に、漫画などで実際に使われていたという記述を見つけましたので、少しだけですが添付しておきます。 「味わう」の誤用 (ことば) http://zerodama.seesaa.net/article/100174692.html 誤用の多い表現リスト http://egf.or.tp/another/goyou.html 小説、漫画などで誤用の多い表現を集めてみようと思います。 「姑息」誤用について考える http://archtype.exblog.jp/806869/
- boke-chan
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何をもって間違っていると言うのか不明ですが、 流行の日本語はありますが、間違った日本語は無いと思います。 仮に第三者に意味が通じなくても間違っていません。 →方言やギャル語(死語?)は仲間内で通じるから。 仮に仲間内にさえ通じない言葉も間違っていません。 →フランス語が仲間内に通じないから間違っている、 とは言えないから。 仮に自分の意思を伝えられない言葉も間違ってはいません。 →言葉が不自由な人が話す言葉は、 言葉では伝えられないけど間違ってはいないから。 質問の、監督も自分の経験知識で言葉を選ぶでしょうから、 視聴者には、間違ってると思われる言葉も入るとは思いますし、 校正でひっかからない場合もあると思います。 そういえば、某総理みたいに漢字の読み間違いの場合などは、 日本語が間違っていると言えるでしょう・・・か? 間違っていても、皆に意味が通じれば良いとも思いますけどね。
- debukuro
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マアそういうことはありますね でも言葉は時代につれて変化するものです今正しいとされていても過去には間違いであった言葉もたくさんあります 日本語になってしまった外国語もあります 意味が通じればとやかく言うこと無いでしょう 全然という否定語と大丈夫という肯定語は本来つながらないのに今では国会でさえ平気で使っていますね 正しい日本語とはいつの時代のものかという問題が起こってきます 現在のものが正しいのです 正しい日本語を決めるために国語審議会があるのです そして正しい日本語を出来るだけ実情に合わせるようにしているのです そんなことはどうでもいいだろうという人もいますが法文になると語解釈を防止するために大変重要なことなのです
人間がしている作業ですから、 うっかり間違えることが絶対にない、とは言いきれません。 よって答えは「うっかり間違えることはある」となります。
- FA9men
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間違っていようが何だろうが時代のニーズにあってればそれで良いんじゃないのか? 昔の言葉が正しいなら平安時代の言葉を使用するのが正しいと言えるのか? 時代は変わり言葉も変わって行くもの