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なぜ人は自慢をするのか(自らを含めて)
なぜ人は自慢をしてしまうのでしょうか。私の中では、自慢をされてその人の印象が上がったなどということは一度もありません。自慢をしてもなんのメリットもない、むしろ印象が悪くなる、ということがわかっていても、自分も知らず知らずのうちに自慢をしてしまうことがあります。あとになって、あ~やらしい感じだっな~と反省します。 人間が自慢をしてしまう理由を人生論、脳科学的観点、なんでも結構なので教えてください。何か生存の上で役立つことでもあるんでしょ~か?w
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自己肯定して、自分の存在価値を自分自身で確認したいからだと思います。 裏を返すと、真の意味で自分の価値を肯定できないからかもしれません。 幼少時より自我が形成される過程で、親や周囲からきちんと正当に存在を認められて育った人は、あえて自慢をして確認をしなくても、きちんと自己肯定できているので、その必要もありません。 とはいえ、多くの人はそこまで強い自己肯定の自信もなく、よくある程度の不安の中に生きているのだと思います。 そうした不安を解消する日々の行為としての自慢は、精神的なバランスをとるのに必要なことかもしれません。 ただし、周囲が迷惑するほどの自慢をする人がいたら、その背景には何か大きな理由や過去の経験があるのかもしれません。 自己愛性人格障害、なんてのもあります。
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相手より物品で優位に立とうと言う男性が、自慢ばかりしていましたよ。 私は女性です。 何インチのTVがあると言ったり←それより遥かに大きいのを持っていると言うと凹んでました。 あるときは、皮のジャケットを5万程度で買ったと。。。 私は25万のを着てますけど、というとまた凹んで。。。 精神的に豊かじゃないのかなって思いますね。 モチロン私から見た彼の評価は、最低です。 物で優位に立つなんて、いい年(49歳)してって、底が浅い感じですね。
それしか思いつかないからでは? 本当は面白いジョークとか、八ッ場ダムに対する持論を展開できればいいのにと思っているのだが、そんなユーモアも己の意見も持ち合わせていない。話術もない。 が、間を持たせるためになにか言わなければならない、という切羽詰った状況になったとき、仕方なく一番よく知っている自分自身のことを言わざるをえなくなるのではないでしょうか。 何かいい方法ないですかね。
- booter
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心理学のカテゴリーに質問した方が深い回答が得られるでしょう。 私からの回答としては、 自己実現理論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96 承認の欲求 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める欲求 を満たす為に自慢すると考えています。 つまり社会的に承認されていないから、自己アピールをしていると。 または、セルフ・アイデンティティの確立、自分自身の土台固めをする為に自慢をするとも考えています。 持っている人は自慢せず、持たない人は自慢するのが世の常です。
- hyuuma8579
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本来、「誇り」として位置づけられる行為や中味としての人格を、正しく評価してくれる人を失ってしまったことによって、しかたなしに自画自賛するしかなくなったことが考えられます。 人が人を正しく評価できない背景は、まず人の心がわからなくなったことがあげられます。 人を知ることのその本質は、人格即ち心を知ることにほかならないからです。 同じ自慢でも子供を見れば大人の自慢話とは別次元であることがわかります。 たとえば、子供が運動会で1等賞になった時、「お父さん、僕1等賞取ったよ」という時の自慢には、自画自賛はありません。 では何があるかといえば、「お父さん、僕1等賞取ったけど、その僕を生んでくれたのが、お父さんお母さんだよ。お父さんが育ててくれた僕が1等賞取ったんだからね」と、自己の所在の根拠たるお父さんやあるいは父母を誇りに思う気持が根底にあるのです。 人は何かを誇りたいのです。特に自分の存在意義にとって密接な関係のある自己を生み出した存在者(=親)を。 誰かを誇ることは喜びの共有ともいえるのです。 自分だけが単独で喜ぶこと以上に、誰かとともに喜ぶことが、人生を大きくしてくれるのだと思います。人は誰かを誇りたいのです。 ところが、大人が子供のその言動を単なる自慢話だと判断していたら、ここでずれが発生するのです。子供の気高き誇りが、下世話な自慢話に認識されてしまう・・・このような人のことを正しく評価できない人というのです。子供の純粋な気持ち一つさえわからない人が、ましてや大勢の人との付き合いから成り立つ大人社会では、全然ダメでしょう。この社会はデタラメな人間同士の集合体で、中味まで知ってちゃんと誉めてくれる人は皆無に等しいのです。 自分で空しいとわかっていても自我自賛してしまうのです。 それだけ世の中にはできた人や正しく評価してくれる人即ち愛のある人が少なくなったのです。
認めてほしいけど認めてもらえないから自分で言うんじゃない? 黙っていたらわかんないから。