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貨幣数量説、一物一価の法則

◆自分の理論の間違っている部分を修正下さい。 一定期間内の財Aの取引総額は(財の価格P)×(財の取引量T)であらわされます。今世界に財Aしか存在していないとすれば、その取引総額は別の側面から(貨幣量M)×(貨幣の流通速度V)であらわすことが可能です。よって以下の恒等式が成り立ちます。 M×V=P×T Vが変化せず、MとTの変化によってPが決定されるという説を「貨幣数量説」と呼びます。ここでVが変化しないという仮定は経験則からきており、たとえばかつてATMが発明されたとき人々の現金保有需要が減少したためVが大きく上昇したこともありますが、それは稀な現象です。 ここで上の恒等式を日本経済について応用させると、Mを日本円、Tを国民総生産Yと考えると、以下のような恒等式を作ることが可能です。 M×V=P×Y ここでP×Yは名目GDPをあらわします。 Vは固定されているので、日本銀行は市中の日本円の量を調節することで、名目GDPを操作することが可能になります。 ここで少し話は変わりますが、ある財の価格は世界のどの場所でも同じ値段で販売されているはずだという考えがあります。これはたとえば違う値段で販売されていたとしても、裁定業社(価格の違いを利用して利益を上げようとする会社)がすぐに安いほうの財を買い高いほうの財を売るという行為を行うことで、その違いが消えてしまうという理論に基づいています。この説は「一物一価の法則」と呼ばれています。この法則の中には、為替レートは一物一価が成り立つように調節されるはずだという意味も内包されています。 「貨幣数量説」と「一物一価の法則」が同時に整理するとき、日本銀行は市中の日本円の量を調節することで日本円の為替レートを調節することが可能になります。市中の日本円の量を増やせば日本国内の物価が高くなります。日本の物価が高くなると一物一価が成立するように日本円が多通貨に対して安くなります。 以上

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回答No.3

『「貨幣数量説」と「一物一価」が同時に整理するとき』とあるのは、「同時に成立するとき」の誤記のように読めますね。それを前提にするならば、貨幣数量説と一物一価が成立している状況は完全競争市場の前提がほぼ成り立っていることになります。すると二国間の価格差は需要と供給によって瞬時に調整されるので、為替は自動調整されます。したがって、日本銀行の金融調節などは逆に無意味ですね。「新古典派経済学が金融政策は無意味である」と言っているのは正にこのことです。したがって質問者様の説は誤りです。 しかし、そもそも『「貨幣数量説」と「一物一価」が同時に成立するとき』ということ自体が、経済学で論争となっている大問題ですので、実証的に検証すべき対象です。貨幣と物価の明瞭な関係は石油ショック時の日本や南米のインフレなどの極端な場合以外はあまり成り立っているとはいえません。また一物一価の法則は為替の世界ではPPP(購買力平価)を指しますが、これが実際に成り立っていないのは明らかです。為替レート決定理論は、アブソープションアプローチ(貯蓄投資差額で説明)、フローアプローチ(輸出入関数の所得・価格弾性値で説明)、アセットアプローチ(資本収支と金利差で説明)などに大別され、それぞれにまたバリエーションがたくさんあります。したがってそもそもの前提自体が誤りといえるかもしれません。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.2

貨幣数量説について。 MV = PT ですが、これが常に成り立つか、といえば、現実的には答えはNOです。 閉鎖経済では貨幣の流通速度が一定であれば(すなわち短期的には)成り立つものの、開放経済においては成り立ちません。理由は、海外との取引があるからです。 一物一価の法則について。 話の前半部分は(輸送コストなどを無視すれば)正しい。 ところが後半は、誤りです。 > 為替レートは一物一価が成り立つように調節されるはずだという意味も内包されています。 これは内包されていません。 確かに日本円をNYでドルに換えようがロンドンでドルに換えようが、手数料の違い程度で手にすることのできる額は同じでしょう。この意味で一物一価が成り立っていますし、一物一価の法則はこの意味を内包しているに過ぎません。 > 「貨幣数量説」と「一物一価の法則」が同時に整理するとき、日本銀行 > は市中の日本円の量を調節することで日本円の為替レートを調節するこ > とが可能になります。市中の日本円の量を増やせば日本国内の物価が高] > くなります。日本の物価が高くなると一物一価が成立するように日本円 > が多通貨に対して安くなります。 これは経常収支に関しては大間違いとは言えませんが、為替レートの決定要因の大部分は資本収支にあります。その部分に言及がないのはかなりまずいですね。 因みに#1の方の回答の図は、ケネーの経済表やマルクス経済学のそれによく似ています。古典派初期の経済学の理解に非常に近いようです。 残念ながら投資(工場建設など)をはじめとした企業活動や政府などといった重要なファクターが全く入っていない点、利子などの金融関係がまるまる抜け落ちている点など、かなり問題が多いものとなっています。 また、付加価値が労働力からのみとなっている点から労働価値説のように判断できますが、労働価値説は完全な誤りです。

  • tuotua
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

あなたは真剣に将来の経済学を考える同志です。 まず、わたしの考えた経済理論を説明させてもらいます。 貨幣経済   ーーーーーーー付加価値ーーーーーーーー  ↑                         ↓  ↑     -----------    ↓  ↑    ↓   ↓     ↑    ↑   ↓ 労働力=人件費 利潤  資本金 売上 =商品  ↑    ↓   ↓     ↑   ↑    ↓ 労働 = 給料  配当  投資  生活費=消費        ↓   ↓    ↑    ↑        -----------             お金の円環 この図を書くのに、大学で四年間かけたんだ。 消費がエンジンになってる。 誰か普及して。役に立つと嬉しい。 スタートは労働。それに合わせて、貨幣の循環が回転する。 企業の人件費の公表を義務化するべし。 それにより、利潤だけでなく給与への社会への貢献度がわかる。 です。わたしの理論は無断で利用していただいて結構です。 あなたへの解答としては、わたしには欠点は見つけれませんでした。 その理論を世の中の役に立ててください。