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親になるのが嫌になった
私は今22歳です。この年になって思ったことがあります。 大きな挫折を味わって、精神的にぼろぼろになった時期がありました。 両親は明るくふるまって、いつもと変わりなかったですが、内心とてもがっかりしたと思います。 それ以上に心配したと思います。 そのことを思うとこの先結婚して子供を… となったとき、親になるのが嫌になりました。 昔は、絶対子供を産もうと思っていました。二人か三人。 なのに今は子供のことを心配したり、不安に思ったりするのが嫌です。 面倒になったと言うわけではありません。 私はペットの犬を溺愛してます。 同じように自分の子供を溺愛するだろうと確信しています。 だからこそ、子供の苦しみは自分が苦しむより辛いと思いますし、 受験や試合などの度に、本人よりも自分が緊張してしまうと思います。 そういうのが嫌なのです。 もちろん子供を持つことによってそれ以上の喜びや感動が生まれるのでしょうが、 どうしても過去の挫折した自分をどんな気持ちで両親は見ていたのだろう?と考えてしまいます。 病気にならないだろうか。 交通事故に合わないだろうか。 いじめられていないだろうか。 仕事はうまくいってるのだろうか。 いくつになっても親は子供を心配するものでしょう。 うまく言えないのですが、自分より大切な子供がが苦しむ姿は見たくない。 だったらいっそ子供なんて産まなければいい。 そう思ってしまいます。 この考えはおかしいでしょうか?
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- babaorange
- ベストアンサー率24% (446/1842)
ペットと子どもは違います。 うちも犬が居ますが、ペットが可愛いさの一つに「物を言わない」という 事があると思います。飼い主を健気に待ち続けて、帰宅すれば尻尾を 振って飛びついてきてくれる。でも子どもはそんな可愛いもんじゃ ないんですよね。夜泣きはするわ「あれいや・これいや」あげくに 「おかーさんは嫌い」年頃になれば、ロクに親と顔も合わせず 出てくる言葉は「だるい」「うざい」(笑)帰宅したって「おかえり」の 一言もないのが普通です。ですから、そこは大丈夫。 親というのは「なるもの」ではなく「なっていくもの」なんですよね。 「子どもに作り上げられていく物」だと思います。それに生まれてすぐ >病気にならないだろうか。 >交通事故に合わないだろうか。 >いじめられていないだろうか。 >仕事はうまくいってるのだろうか。 これだけのことは押し寄せてきません。頭だけで「子育て」を考えると そうなってしまうんでしょうが、実際はまず「おっぱいをちゃんと飲むかな」 「夜はよく寝てくれるかな」そんなことからのスタートです。いきなり受験や いじめの悩みは、逆に持ちたくても持てないのです。 これから恋愛をして、結婚したいと思う相手が出てくれば「この人の 子どもを持ちたい。子どもを育てたい」という気持ちになるかも知れません。 今すぐに結論を出さなくても何も問題は無いのですから、取りあえず それは横に置いておいて、日々充実できる楽しみを見つけられてはいかが ですか?私も大きな娘が二人いますが、苦労した事なんてあんまり覚えて いません。受験や、友人関係で苦しむ姿も見てきましたが、それはあくまで 「子どもの人生」なわけで、それを観て親が子ども以上に苦しむのは 子どもと自分の人生をごっちゃにしている危険性があります。親は 自分の経験を生かして子どもにアドバイスをし、後はそれを子ども自身がが どうやって学び、クリアしていくか、です。 子どもが熱で苦しんでいる横で「ああ。苦しそうだ。私まで辛くなる」 と思うのではなく、どうすれば今の状態を少しでも楽にしてあげられる だろうか、と考えることです。痛みや悲しみを理解するのは大事ですが それに同化してはいけません。その部分だけでも考えを変えていくと 少し力が抜けると思います。受験でも同じです。努力の先にある希望を 語って聞かせるのが親の仕事です。 うちの父は息子(私の兄)を去年亡くしました。中年なのに無職で本当に 苦労を掛けて、しかも親より先に亡くなるという親不孝の権化みたいな 人でしたが、それでも父は「また息子に生まれてきてくれ」と言いました。 とにかく、答えを急いで出す必要はありません。正解なんてどこにも ないのですから。質問者様がこの先質問者様らしく生きて、愛する人に 出会ったとき、心に浮かんだ気持ちを大切にするのが一番です。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
…理屈じゃないんじゃないかな?。 私はそう思うよ。 それを言ってるとね、もう、何もかもが嫌になるし、出来なくなってしまうところがあると思う。 頭(感情)での判断は、時に身体の判断、本能の判断に劣ることがあるものだよ。 それを出来ることならばつかんでいただきたい。 こんな話がある。 ちょっとキツイ話かもしれないけど、成人だから敢えて話すね?。 昔、二次大戦の頃、当時のナチスがユダヤ人を迫害し、殺傷していたのは知ってるよね?。 有名なのはアウシュビッツだけど、列車にぎゅうぎゅうづめにして運ばれていくんだ。 その中ではいろいろな人が、いろいろな「こと」をする…自分の状況を打開するために「もがく」んだけど、中には「性の営み」を行う人もいたそうだ。 …これはもう「考え」の範疇を逸した「訴求の想い」と言ってもいいだろう。 わかると思うけどさ「未来への希望」なんだよ…本当に悲しい話だけど、人はそうやって「最後の絆」を繋ごうとするんだ。 戦時中の話だから、そのまま日常に当てはめることは出来ないけど、人間は「そういった」ところで「真実」を作り上げていくんじゃないかな?。 まずは未来を予想して恐れたり、悲しがるのじゃなくて「現在の自分」を精一杯に生きることだよ。 幸いにして我々は誰かに生命の危機を押し付けられるような時代には生まれていない。 「だからこそ!」生きることに逃げ腰であっていいはず無いんだ。 …我々の命は、いろいろな人たちによって、今地上に存在しているってこと。 「営み」を経て、生まれ出た命だってことだよ。 私が言ってる意味は、きっと後になれば実感できると思う。 今はとにかく、生まれだしてくれた両親に恥じないように、自分を精一杯に生きて行って下さい。
お礼
>…理屈じゃないんじゃないかな?。 私はそう思うよ。 わたしもそう思います。 結局、頭でいろいろ考えても、実際なるようになってしまうものですよね。 今わたしがここでウダウダ言っててもいざ子供が産まれれば 周りの人たちも巻き込んで試行錯誤しながら、苦労しながら、 それでも面白おかしく子育てするのだろうし。 理屈じゃない 結局これがすべてかなぁ、と思いました。 ありがとうございました。
- beatleman
- ベストアンサー率47% (18/38)
僕も 若い頃は 同じように考えたこともありました。 その時に おやじに それを話したら…… 「まだ お前が子どもだからだ~~大人になれば分かる」と言ってくれましたが、 本当にそうでした。 今は 二人の子どもがいて それは 充実していますよ。 結論は 10年後でも 全然 良いではないですか?
お礼
同じように考えた人がいたことにホッとしました。 私は、両親にこういう話はできません。 ですけど、想像はできます。 おそらく私の両親を含めて多くの親がbeatlemanさんのお父様のように言うのではないかなと思います。 そして私も将来子供を持った時beatlemanさんのように思うと思います。 ただ、今のこの考えを越えて、子供を産む覚悟ができるようになるか分かりません。 もう少し年を重ねれば自然と覚悟も決まるものなのでしょうか? ご意見有難うございました。
- abs_usact
- ベストアンサー率14% (26/176)
子供を作るのは、一人で出来る訳ではありません。必ずパートナーが存在します。 質問者さんの考えも考え方の一つだと思います。パートナーの人もその考え方に理解し合えは、その考え方もありだと思います。
お礼
そうですね。 パートナーの意見、それは重要ですね。 今までそういう話をしたことありませんし、する必要も感じませんでした。 もし、話し合う必要が生じたとき、独り善がりにならないようにしたいと思いました。 ご意見ありがとうございました。
お礼
>ペットと子どもは違います。 もちろん全然違います。ただ親バカになる要素がある、ということを言いたかったのです。 >子どもはそんな可愛いもんじゃないんですよね。 それはbabaorangeさんの場合ですよね。 私は4人兄弟ですが、家族は全員めちゃくちゃ仲がいいので両親に暴言吐くことはなかったです。 反抗期もほぼないようなものだったので兄や弟の態度を見ていて男の子の反抗期は荒れるって聞くのに こんなものかと拍子抜けした覚えがあります。 お兄様をなくされた時babaorangeさんはどう思われましたか? 私もいつもそばにいて当たり前だった大切な家族を突然喪ったことがあります。 私はこんなに悲しい喪失感を味わうなら出会わなければよかったのにと思いました。 15年分の思い出があって、大好きでたまらなかったのに 出会わなければよかったと思ったんです。 5年たった今でもその気持ちは変わりません。 このことは私の挫折とは何の関係もないのですが、 >だったらいっそ子供なんて産まなければいい そう思ってしまう原因の一つかもしれません。 babaorangeさんの言葉は胸に響きます。 焦らず、自分の気持ちに正直に自分らしい答えを出したいと思いました。