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子供を持つ親御さんに聞きたい!障害についての悩みと解決策
- 子供の知覚障害について、親の心配と子供の自己肯定感の維持について悩んでいます。子供の難聴が原因でコミュニケーションが難しく、親は疑問や不安を抱えていますが、子供は自分を疑いたくありません。親に対して自己を信じさせる方法を求めています。
- 親と子供の関係における知覚障害の影響に悩んでいます。子供は難聴のためにコミュニケーションの遅れやコンプレックスを抱いており、親は心配から多くの指摘やアドバイスをしてしまいます。子供の自己肯定感を守るために、どのように対応すれば良いかアドバイスを求めています。
- 知覚障害を抱える子供を持つ親としての悩みについて相談です。子供は難聴によるコミュニケーションの困難や自己肯定感の低さを感じており、親は心配から指摘やアドバイスをしてしまいます。しかし、子供は自分自身を信じたいと思っています。親子関係を健全に保つために、どのようなアプローチが効果的かお教えください。
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No.2です。 私が聴覚障害児教育を目指したのは、手話の魅力にハマったからです。 手話を学んでいるうちに、福祉にも興味が出てきて、教育の分野に進みたいと思っていましたので、聾学校の教師を目指すようになりました。 >どうしたら共存(?)出来るのでしょう。現代の競争社会は生きづらいです。 難しい問題ですね。私も多くの難聴者・ろう者とお付き合いして来ましたが、やはり皆さんそれぞれに悩みはお持ちのようです。 ただ、いくつか感じたことを書いていきますね。 まず基本的なこととして、聴覚障害と知的障害は関連がないということ。両方の障害があるというのは、よほど重度な別の障害を起因とする場合くらいで、私の経験では見たことはありません。聴覚の障害によって、言葉の発達や学習面に問題が生じ、その結果知識不足や考え方に少し歪みが感じられるくらいでした。 若い世代に関して言えば、教育の進歩に従い、そういった歪みや知識不足はほとんど見られないです。 ただし、難聴者とろう者を見ていると、ある程度聞こえる難聴者の方がかえって社会生活に苦労している印象を受けます。 ろう者はまったく聞こえませんから、すっぱりと開き直って、とても前向きで積極的な感じがします。一方、難聴者はある程度聞こえるがゆえに、健聴者に合わせようとし過ぎて苦労している感じでしょうか。 聞こえに問題があるのなら、もう仕方がないじゃないか、という開き直りがなかなか出来ずに悩み、困っている気がします。 ハゲなのにカツラをかぶっている部長がいると、周りの人は気を使いますよね。いっそのことオープンにしてくれれば、周りも気楽に接することが出来るのに。本人もオープンにしてしまえば、くよくよすることもなくなるでしょうに。 オープンにしてしまったのがろう者、カツラをいつも気にかけているのが難聴者、そんな印象を受けます。それが生きづらさにつながっていませんか? >私は障害があるので皆と同じように社会についていこうとしても無理なんですね。 みんなと同じことをする必要はありません。 例えば私のことでいえば、周りのみんなが子育てをしているからって、私たち夫婦には子供が授からないんですから、焦ってもどうしようもありません。 あなたはあなたのペースで、あなたに出来る最善のことをすればいいだけ。あなたにはあなたの役割があるんです。 出来なくてもやろうと努力する事は素晴らしいこと。 結果として出来なくても、あなたががんばったことはちゃんと見ている人は見ていてくれます。 一生懸命がんばっていけばいくほど、あなたをちゃんと評価してくれる人が増えてきますよ。 マイナスの言葉に負けないでくださいね。
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- taka1963
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No.4です。うーん、質問の本論に関しては、もう何か加えるつもりも無いのでどうしようかと思ったのですが、umanomimi2さんも触れておられるので、本題からずれてしまいますが、私が障碍と言う言葉に注意を払った理由を少しだけ付け加えさせて頂きます。 障碍を持っている者にとってその呼び名をどんなに変えてみようが実際の何かが変わるものではありませんし、『障害』が差別的とか言うことも思っていません。 言葉に気を使う理由は、私の前回の説明の一番最後の以下の部分にあります。 『自閉症と言うのもこの障碍の特徴を全く誤解させる名前です。最近は発達障害(これも障碍とすべきですが)という言葉が用いられることが多いです。』 まあ、正しくは広汎性発達障害というのですが、それはさて置き、『自閉症』と聞いたとき、貴方はどのような症状を思い浮かべるでしょう? 私の子供は多動で非常に活発で、色々な事に興味を示します。外出した時は、片時も気を抜くことはできません。うっかり目を離すとたちまちどこに行ってしまうか分かりませんから。行方不明になって、警察に保護されたこともあります。勝手に入った店屋の遊具で遊んでいて店員が警察に連絡してくれたのですが、道路に飛び出したり、川で溺れていないか(水が大好き)と、大変でした。 それでもうちの子の場合は、様子を見ていれば何か障碍があるとすぐ分かりますが、同じ自閉症でもアスペルガー症候群ともなると会話などに殆ど問題ありませんし、学校での成績もむしろ優秀だったりします。 しかし、言葉の裏の意図を読み解くのが苦手だったり、一つの作業から次の作業に切り替えるのが苦手だったり、時間感覚が希薄で期限までに何かを終えるのが苦手だったりして、一般の人達の間で上手く立ち回ることができません。結果、イジメにあったり、社会人として仕事に付くことができなかったりと、障碍があると理解されない分非常に苦労される場合があります。 おっと、少し横道にそれたかもしれません。自閉症の説明をしたかった訳ではありませんから。 どうでしょう?『自閉』から想像するイメージとはかなり違うのではありませんか? 私が出来るだけ誤解の無い言葉を使った方がいいと感じたのは、自己の経験を踏まえて以下の2つの理由からです。 まず、名前と実際の障碍の乖離が大きいと周囲の人の適切な理解や、サポートを妨げる場合がある。 そして、こちらがもっと大事なのですが、親がわが子の障碍を理解することの妨げとなる。 2つ目を補足しますと、(アスペルガーなどの場合)周囲から見ていておかしいなと思っても、その子の親が、これは『自閉』ではない、或いは、障『害』ではないと言った判断をすることが多々あります。その事で、結果的にその子への適切なサポートの機会を失くしたり、周囲の無理解からイジメにあったりして本人が苦しむことになります。 つまり、言葉に気を使っているのは、障碍者本人への気遣いではなく、周りの人の適切な理解のためなのです。勿論、これは私個人の見解ですが。 言葉の使い方に関して、議論しようとは思っていませんが、多少私の意図するところを理解していただけると幸いです。
お礼
>言葉に気を使っているのは、障碍者本人への気遣いではなく、周りの人の適切な理解のため 私もそう思います。 前回のは、障害者の立場からの意見でした。 「広汎性発達障害」と「自閉症」では名称そのものが変わっているので中身も違うものなのかなと思いますね。 「風邪」と言えば咳が出て熱が出ると言った症状ですが、 もし「風邪」が「電話」という名称だったとしても、症状は変わらず咳が出て熱が出る。 こう思うとやっぱり症状を理解するのに名前は重要ではないと私は思ってます。 実際に漢字から起こるイメージだけで事の判断をする人はよっぽど何も考えてない浅はかな人のような気がします。 taka1963さんから聞いて自閉症の方ってそういう面を持っているんだと思いましたが、それは「自閉症」の名前から来るイメージと違っていた訳じゃなくて、「自閉症」の詳しい中身を知らなかったからです。 >葉の裏の意図を読み解くのが苦手だったり、一つの作業から次の作業に切り替えるのが苦手だったり、時間感覚が希薄で期限までに何かを終えるのが苦手だったりして、一般の人達の間で上手く立ち回ることができません 難聴も程度によって、ろう、高度、中度、とありますが一般の方にはどう違うのかわからないと思いますし、「どの程度聞こえてるのかわからない」と言うので、私はこういう話し方は聞こえずらい、こういう音が聞こえません、って説明をしてます。 中身を正しく理解してもらうにはこうやって説明をするしかない、だから名前は関係ないなと思ったんです。 でもtaka1963さんの言ってる事はわかります、経験した事のない人にはなかなか理解を求めるのって難しいですよね… 特に私の親は、自分でなんとかしろ(どこまで聞こえないのか・どうすればいいか親にはわからないから)という親だったので、taka1963さんみたいに障害の事を勉強してくれるなんていいなと思いました。 「障害児こそ神から選ばれた子」って言葉が私は好きです。 お互い頑張りましょう。 (症状が漢字から来るイメージとまったく違うなら、なんで「自閉症」になったのか気になりますね。)
- umanomimi2
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何度も登場してすみません。 あなたの言葉からとても大切なことを学ぶことが出来て、どうしてもお礼が言いたくなりました。 他の回答者さんへのお礼の文ですが、 >障害を障碍とする話は聞いた事があります、そうする事で中身までも変わるのかはわかりませんが… その目的はいろいろあると思いますが、結局、漢字を変えたとしても本人からしたら『障害』がある事に変わりないですし、どっちにしろ『しょうがいしゃ』であるなら漢字ごときどうでもいいと私は思います。 とても感心しました。 私も近年「障害者」という言葉を「障がい者」「障碍者」と言い換える話は良く耳にしていました。様々な意見を読んだ上で、私はやはり基本的には「障害者」という言葉を選びました。ただし、もし本人がその言葉が嫌いだ、そう言ってほしくないと言う場合には、その人が望む方の言葉を使うことは当然します。 しかし言葉だけを言い換えたところで、本質的な問題から却って目を背けているだけではないのか?という印象もあり、自分の中で上手く言葉にして結論付けることが出来ていませんでした。 今回、あなたの言葉のおかげで、今まで「障害者」という言葉を使うたびに、自分で選んでおきながら微かな罪悪感ととげが刺さったような気持ちを感じていたのが、すっきりと晴れた気がしました。 自分では決して到達できない言葉です。本当にありがとうございます。 障害を理解しようとしても、私自身にはその障害が無いのですから、本当の理解には決して達することが出来ません。しかし、こうして会話していく中で、新たな気づきや考え方を学ぶことが出来る。また普段何気なく普通に行なっていることへの再考察へのきっかけを知ることが出来る。これが障害を持つ人とのお付き合いで得られるとても貴重なものであり、魅力であると思っています。 繰り返すようになってしまいますが、あなたはもっと自信を持っていいと思います。知的障害どころか、かえって知的にはレベルが高い方です。(自分で自分の言葉を権威付けるようなので言いづらいのですが、私は教育学部では当時最難関の国立大学で障害児教育を学んできました。おかげで、障害の評価・判別は専門家と同様に出来ます) 文章を読む限り、知的な問題は全くありませんので、自信を持って生活を送ってください。
お礼
すごくうれしいです。こちらこそありがとうございます。 <「障害者」という言葉を「障がい者」「障碍者」と言い換える 私も詳しくはわかってないのですが、障害者本人よりもその周りにいる方に向けた提案だと私は思っています。 本人からすれば漢字なんてどうでもよくて、ただ周りが「害=差別用語になるのでは?」という呵責に耐えるためではないでしょうか… 「害」が「がい」・「碍」になったところで本人に変化はなく、変わるのは周りの意識だけ、しかも微々たるもので、問題の解決に大きく影響しないのでそこまで議論する必要はないと思いました。 配慮はありがたいと思いますが、時間をかけて議論は必要ないです、結局心遣いが大事って事ですよね。 私個人の意見ですが… 障害があっても障害者認定を受ける程度ではない場合、それでも同じ社会で過ごすには健聴者と比べ不利ですし、苦労が多いので、umanomimi2さんみたいに勉強してくださってる方がいる事はすごいありがたいです。 それにしても、中度難聴者に向けた支援制度ってほんとう何もないですよね… でも、もっと積極的になろうと思いましたし、初め投稿した時より気持ちの変化があったので質問してよかったです。 <障害を持つ人とのお付き合いで得られるとても貴重なものであり、魅力であると思っています。 何かあった時にはこの言葉を思い出す事にします。乗り越えるには、もっと誇りを持てる事を自分がすればいいのですね。 私自身努力しますが、umanomimi2さんみたいな理解を持った方が増えるといいなと思います。 ありがとうございます^^ (<私はやはり基本的には「障害者」という言葉を選びました またまたですが理由が気になってしまいました…)
- taka1963
- ベストアンサー率0% (0/8)
身体感覚に人と違う部分があって("知覚障害"というよりこちらでしょう。)、周りから見ると思考の仕方に奇妙に思われる部分がある、或いは微妙に会話の内容の理解がずれる・・・と聞くと自閉傾向をお持ちなのかなと思ってしまいます。自閉症児の親としては。 自閉症は脳機能の障碍(しょうがい:注)です。色々別な障碍を併せている場合もあります。貴方の難聴が脳機能の問題に起因しているのならば、そうした可能性もあります。 また、脳という複雑な機能を扱う器官の問題ですので、症状は千差万別です。知能レベルに問題の無い自閉症にアスペルガー症候群と言うのがありますが、この場合、文章を読んでもしっかりしていて全く問題を感じられない場合もあります。 アスペルガーのニキリンコさんは自分の障碍に関して多くの著作をされていますので、この障碍であるかは別にして読んでみると、貴方にとって色々参考になるところはあるかも知れません。 ご両親の言動は論外です。全く弁護されるものではありません。ただ、人間というのは自分と大きく違うより、僅かにズレてれるものに強い苛立ちを感じたりします。ズレの原因がはっきりすれば納得して治まる場合もありますし、あなた自身、自分の苦労している問題の原因がはっきりすると、それとどう付き合っていけばよいか分かって楽になるかもしれません。その意味では、一度診断を受けてみるのも手かも知れません。 勿論、ご両親が一方的にけなしているだけで、あなたは自閉症とは全く無縁かもしれませんが、注意してもらいたいのは、自閉症に関する正しい判断はそれなりに専門の所でして貰うべきだと言う事です。 同じ症状でも、心療内科と脳外科、精神科で診断結果が全く違ったりするかも知れませんし、同じ科であっても医者によって専門が違うために診断が違ったりもします。 せっかく診察して貰うなら、どこに診て貰うべきか事前に良く調べてからでないと、無駄に終わるかもしれませんよ。 これだけしっかりとした文章で相談できる貴方が、これからより良い人生を送れるようお祈りします。 (注)障害の『害』と言う字は、本来『碍』と書くのが正しかったのですが、戦後常用漢字から外れた為、障害と書かれるようになりました。現在、障碍に改めようと言う議論があり、私も障碍児の親としてこの意見は賛成ですので、『障碍』と書きました。 自閉症と言うのもこの障碍の特徴を全く誤解させる名前です。最近は発達障害(これも障碍とすべきですが)という言葉が用いられることが多いです。
お礼
ありがとうございます。 一度脳神経の検査をする事になりました。一ヶ月先の予約になりましたが、まだ受けた事がない検査を受ける事にしました。 私は難聴者ですが会話が成り立つ事で障害者とは認められず、でも健聴者でもないという理解されにくい立場です。 それゆえに親にも相談しずらいと、とてもつらいものがあります。 taka1963さんもいろんな勉強をされてるのですね、私ももっと強くならなければいけませんね。 障害を障碍とする話は聞いた事があります、そうする事で中身までも変わるのかはわかりませんが… その目的はいろいろあると思いますが、結局、漢字を変えたとしても本人からしたら『障害』がある事に変わりないですし、どっちにしろ『しょうがいしゃ』であるなら漢字ごときどうでもいいと私は思います。 それが重要という意見もあると思いますし、私個人の意見ですけども… 区別する事は必要だと思いますが、差別との線引きが難しいですよね…。 本人の気持ちの問題も大きいですよね。 こうやってtaka1963さんと話せてよかったです、ありがとうございます。
- konoha_0224 ヤフー(@konoha0224)
- ベストアンサー率32% (271/842)
ちょっと感情的になってしまいそうですが回答させていただきます。 まず「おかしい、おかしい」と言いますが、何を基準にしているのでしょうか。考え方や行動などは当然人それぞれですし、ご両親は何をもってしてあなたをおかしいと断言できるのかが不思議です。 普通の親ならよっぽどのことがない限り、自分の子をおかしいなんて言えないと思います。なにかあなたを障害者にしなければいけないような悪意さえ感じられます。 私はAB型でよく変わっていると言われます。考え方や行動などが人とは少し違うようです。では私は知的障害者でしょうか? 個性ですよ。あなたのはただの個性です。今回の質問の内容は別にして、そろそろ両親から離れて自立してみては?自分を大きく成長させますし、自分一人でちゃんと生活できるんだって証明にもなりますよ? 口で言って分からないなら行動で示しましょう。
お礼
<普通の親ならよっぽどのことがない限り ありがとうございます。 私もそう思い、よっぽどおかしいのかと思うようになり、こちらで投稿しました。 でも会ってもない方に具体的に伝えられまいですよね。 友達には個性的・不思議などよく言われますね。変わってるは私も言われます。 <個性ですよ。あなたのはただの個性です そう言いきれない所はやっぱり弱いと言うか自分に原因がありますね…、きっと。 <そろそろ両親から離れて自立してみては? 私もそうしたいのですが、まだまだ通院費やらで生活していくには資金がありません。 今は不景気ですし、本当に難しい世の中ですので、その上に「おかしい」としたら、どんどん社会から離れていってしまう感覚があります… <ちょっと感情的になってしまいそうですが むしろ嬉しいです。 ありがとうございます。
- umanomimi2
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聴覚障害児教育を目指していた者です。(事情により、今は聾学校の教員ではありませんが) あなたのご両親を叱り飛ばしてやりたい。 他人に「おかしい」と言われたら「うちの子はおかしくなんかない!」と言い返すべき親が何たるざまか。 聴障者は聞こえが不十分なゆえに、コミュニケーション力が不十分だったり、日本語が少しおかしかったりすることがあります。しかし、あなたの文章を読んでみたところ、実にしっかりとした立派な日本語です。このサイトで質問している、へたな健聴者の文章よりもきちんとした文章を書いています。 たぶん発音に少し問題があるので、それが影響しておかしいと先入観で思いこんでしまっているのでしょう。 専門の私からみると、あなたはちっともおかしくないですよ。 ただひとつだけ。 >親は知覚障害を疑っています このへんからもご両親は障害について、不勉強すぎる気がします。 知覚障害 http://www.umin.ac.jp/kagoshima/jgopher/4/N0426.txt 知覚障害は、歯を磨いていて歯がしみるなどの知覚過敏のようなものの事です。逆に痛みや熱に対して、知覚が鈍いなどの場合もありますが、思い当たることはありますか? たぶん知的障害の誤用かと思いますが、書いてある文章を読んだ限りにおいては知的障害はありませんね。ご両親は二重に間違っています。
お礼
専門の方だけあって理解いただきありがとうございます。 <聴障者は聞こえが不十分なゆえに、コミュニケーション力が不十分だったり、日本語が少しおかしかったりすることがあります よく健常者と比べられてしまいます。(馬鹿・能力が低いと評価されます)見た目ではわからない部分なので… どうしたら共存(?)出来るのでしょう。現代の競争社会は生きづらいです。 聴覚障害児教育の勉強の中でそういってテーマはありましたか?? やっぱり一人の力では無理な事ですね… >たぶん発音に少し問題があるので、それが影響しておかしいと先入観で思いこんでしまっているのでしょ う おっしゃる通りだと思います。 >親は知覚障害を疑っています ごめんなさい、これは私が勘違いしてこう打ってしましました。 共感いただきありがとうございました。 結局、私は障害があるので皆と同じように社会についていこうとしても無理なんですね。 自分にも出来ると思っても出来ないからおかしいと言われてた、(出来ないものをやろうとしたと言う事で)自業自得なのでしょうか。
補足
自分の興味で申し訳ないんですが、聴覚障害児の教育を受けてた理由はなんでしょう? 害されたらすいません。 逆の立場の方の意見も聞いてみたかったのです。
- kadakun1
- ベストアンサー率25% (1507/5848)
親は子供を必要以上に心配するものです。 あなたはちゃんと社会人となっていますから、問題はないと思います。 そうは言っても心配でしょうから、親友にでも聞いてみては? もちろん、難聴とか正直に話します(もう知っているかな?) それで、別におかしくないよ。と言われれば他人からはそう見えるのでしょう。 「でも私は、自分の子供でもおかしいと言ってはいけないと思っています。」 その通りですが、心配は消えないですw 何故ならそれは自分達のせいだと感じているから・・・ 一度大きな病院で全身くまなく調べてみるのもいいでしょう。 それも親孝行の一つですしね。 親もあなたも安心できるのが一番です。
お礼
さっそくありがとうございます。 <何故ならそれは自分達のせいだと感じているから・・・ そうなんですね…。泣けました。 それによって、おかしいと言うものなんですか…? 成長するのに言われたくない言葉ですが、言われても負けない気持ちが私には足りないのでしょうか? どうすればいいでしょうか? 人に聞くものではないのかもわかりません… 検査したなら、また内容が変わってきますね。 親は、(矛盾しているように聞こえますが)「本当に異常があればおかしいと言えなくなる」と言っています。 異常がなければ改善出来るって事が言いたいんだと思いますが…そのためにもおかしいとは言ってほしくないです。やっぱり、妨げになってると思います。 検査には行ってきます。
お礼
またお話いただきありがとうございます。とても的確に難聴者を理解されていて相談しやすいです。 カツラの例えもわかりやすくて正にその通りだと思います。 全く聴こえない人だっているんだよ、と言われますが、中度難聴者は聴こえるけど全てが聴こえる訳でもない・障害者でなければ健聴者でもない事で自分自身、迷いがあります…。 聴きとれないけど、聴こえる部分もある。だからハッキリと聴こえませんとは言えないですし、例え聴こえませんって主張しても会話がなんとか出来てしまえば聴こえてるじゃんってなりますからね。 聴こえる部分がある事が逆に苦労になっているんですよね…。 マイペースにいきたいと思いますが、なかなか難しいです、やっぱり白でも黒でもないグレーゾーンにいるからですかね… でも、周りや世間の方にもっと発信していこうという気持ち・もっと積極的になろうという気持ちになりました。 こうやって相談にのってくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。 そういう人達のためにも世の中のために頑張ろうと思います。