主人公は、誰にも育てられておらず、野生児のような状態。
他人に依存心が無いし、他人を信頼するなど無い。
<自分の人生や幸福は、自分1人で作るもんだ> って思っており、他人などいらないって思っていた。
他人と接触するときは、利用するときだけ。
教官は彼のやる不正が嫌いで、「要領よく卒業するつもりだろうが そうはさせるか。こんなクズは痛めつけて音をあげさせてやる」ってタカくくっていたが、彼はなかなか音を挙げない。
こんないいかげんな奴が、何故ここまでやっても音を挙げないのか と教官は不思議に思っていたわけです。
で、「自主退校しろ」と迫って追い詰めてやっと聞き出せた。
「俺はどこにも行くところが無いんだ」
これが彼をここまで強くしていた原因で、世界一の孤独な男だとわかったわけです。
で、工場で働く女は、士官候補生の妻 つまり 玉の輿に乗りたがっていた。
遊びですませるつもりだろうが、そうはいくか 逆に利用してやるってタイプが自殺した方。
もう1人の人は、一時的な夢でもみないとやってられないと、遊びでもいいからと 割り切っていた。
どうせ 利用するだけ利用されて、必要なくなったらお払い箱になるってわかっていた。
でも、ちょっとは期待して、心の交流を持ちたかったが、結局 微笑は体目的であって、どんなに相手を暖めても、見返りは無かった。
で、結局「そうはいくか」な女が、嘘をついて妊娠したといったら、案の定 主人公の男は彼女を捨てたかが、どうせ期待していなかったので、捨てられた女は次またひっかければいいさって感じだった思う。
ところが、女を捨てた主人公の友人は、結局不適合で自主退校だったか、強制退校になった。
でも、妊娠した捨てた彼女と縁を戻して、田舎町で暮らせばいいさって持ち直したわけです。
ところが迎に言ったら「え? 田舎町のデパートの社長の息子で、将来社長になるから結婚しよう? 悪いはね、私は仕官の妻になりたいんであって、田舎町の店主の妻にはなりたくないのよ 妊娠 あれ嘘」って言ったんだったと思う。
で、主人公の友人は絶望し、自殺した。
その事件が主人公の人間性を呼び覚ましたんだったと思います。
自分も同じようになりたくない、人を利用して生きる愛情の無い世界はもう沢山だ」とか思ったんじゃないかと。
自分は友人に支えられてきたんだとやっとわかった。
なにより教官に支えられて士官になれたんだと、今まで見えなかったものが見えたとき、愛の世界に触れたわけです。
自分は自分だけで今の幸せを得たのではないとわかった。
たくさんの周りの愛によって支えられ、地獄から救出されたとわかった。
他の人の愛無しには決して得られなかった愛されてなった士官という立場。
じゃあ 助かった自分は他の人を救い出すべきだとなったと思う。
そして無償の愛というか 見返りを期待せず自分を愛した女の救出に向かったわけです。
女性は無償の愛を他人に与えたわけですが、結果自分が救われたって内容。
このような感想をこの映画では持ちました。
自殺された女性は、利害で男に愛を与えた。
自分が利益を得られないのなら愛さないってタイプだった。
そんな計算づくのものは愛ではない。
でも、結局 男は女の体目当てでしかないのよ と冷めた女性の目の前で、そうではない と救世主が現れ、無償の愛を提供した女を抱き上げて、地獄から救うって、、、要するに宗教的な意味も含むんだと思います。
なんせアメリカ人のの90%はそういう救世主がやってくると信じているので、映画でそういう風にやればヒットしますって。
お礼
ありがとうございます。何か、すっきりしました。 ヒロインは、ただのシンデレラ症候群でも、 リビドーを求めるだけの売春婦の様な人ではないのですね。 主人公の孤独感を見抜いて無償の愛をささげずにはいられな かった。 深いですね。そんないい映画だったのですね。