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邪馬台国問題の一部について

邪馬台国の位置について畿内説と九州説がありますが考古学的なことはひとまずおいといて 「魏志倭人伝」について 畿内説は「南と東を取り違えて記述した」 九州説は「放射的に記述している」 という主張だったと思うのです。 どっちの論者も、魏志の別のところに「こういう例がありますよ」というふうに同時期の中国の書物の記述その論拠を求めるべきだと思うのですが そういう研究調査はあるのですか。 調べてみたけどどちらも見つからなかったのでしょうか。 知っている方がいらしたら教えてください。

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noname#95653
noname#95653
回答No.2

ご質問の趣旨からは少し外れるかも知れませんが、ちょっと面白い本があるのです。著者は台湾の「謝 銘仁」と言う大学教授(当時)で、『邪馬台国 中国人はこう読む』という本です。 この中で、謝 教授は『中国には、陳寿と同時期またはそれ以前に、「倭」について記述した史書がないわけではない。王沈 撰「魏書」、韋昭 撰「呉書」ならびに、魚豢(ぎょかん)の著「魏略」などで、これらは「三国志」の基礎資料ともなり、とくに「魏略」は「魏志・倭人伝」の重要文献であった。この他、断片的には、班固の撰になる「漢書」「地理志」の燕地の条 とか、中国現存の最古の地理書「山海経」。後漢の学者 王充の著した「論衡」、前漢の劉安の著「准南子」などにも、わずかながらも倭に関する記載が見られる』と述べています。 また、『邪馬台国論は、そのもっとも大切な文献資料である「魏志・倭人伝」について、残念ながら、日本の論者の間では、ところどころ曲解や誤釈をまじえた多種多様な珍説が、百家争鳴の感じで乱立している。なによりも肝心なのは、「魏志・倭人伝」の原文を正確に理解することである。したがって「倭人伝」を解明するには、中国の古典文学(文章)の約束ごとを知っておく必要がある』 として、はしがきの中で、「日本の論者と一致しない見解や見落とされた論点に触れる場合は、自説を立てる前に、できるだけ中国側の訓詁学者・歴史学者・中国文学者とディスカッションを行い、それを参考にし、文献を引用して述べるようにした」 と書き、本文の中で種々、論を立てています。 かなり面白い本だと思います。 発行所は「株式会社 立風書房」で初版は1983年10月10日となっています。  入手しにくければ、図書館に行かれれば置いてあるはずです。 少しでも参考になれば幸いです。

rivoisu
質問者

お礼

その話は聞いたことがあります(たぶん季刊 邪馬台国 という本で読んだのだと思う) 確かに近頃の邪馬台国論争は「魏志倭人伝」をどう読むかから考古学的な論争に主流が移っているように思います。 当然考古学的な検証も重要だと思いますが「魏志倭人伝」の解釈と一致しなければなにも解決しませんよね。 日本人は漢字が読めるが上に「読める」と思い込んでいるけど1700年以上前の文献なんですから中国人でも専門家に聞かなきゃ分からないのに日本人が分かると思うことのほうが愚かしいと思います。 >できるだけ中国側の訓詁学者・歴史学者・中国文学者とディスカッションを行い このことをきちんとすると少しは百家争鳴が整理できるかもしれませんね。

その他の回答 (1)

  • ESE_SE
  • ベストアンサー率34% (157/458)
回答No.1

畿内説の根拠としては、12世紀あたりの「中国から見た日本地図」などがあるかと思います。 中国では日本は「朝鮮半島の沖から南に列島が続いている」と考えられていて、 12世紀に至ってもその考えは再考されず地図にもその通りの姿で描かれています。 その考えが紀元頃にもあった根拠としてあげられるのが、魏における日本の異常な厚遇。 紫の紐付きの金印というのはかなりの厚遇の証とのことですが、 その原因は「日本は当時の呉の沖に存在すると考えられていた」という説があります。 そのため「わざわざ呉ではなく魏に朝貢してきた」ということで厚遇に至った、とされています。

rivoisu
質問者

お礼

地図というのは面白そうです。 でも900年も経っているのですから邪馬台国とはちょっと関係が薄そうです 日本の異常な厚遇、ちょっとこじ付け的な感じがします。 私の質問の意図はエラそうかもしれませんが 「歴史の研究者は本当にこういう必要な調査をしているのかなぁ」 という疑問があるからなのです。 理系の私としては歴史学者(人文系の人はほとんどですが)自分たちの主張や研究の方法を検証しているのだろうかと常日頃思っているからなのです。 その調査の一部がこの疑問でした。