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日常の中での「誤解」について。
私は小さいころから、自分のことを誤解されることを極度に恐れています。 おまけに口下手なので、「誤解されてしまったかも……」ということをよく思います。 実際に誤解されていたこともありますし、思いすごしだったことも多いです。 以前、「仮に誤解されていても、自分が悪者になって済むならかまわない」という方もいました。 『誤解』ということについて色々な考えを持つ方がいるんだなと思いました。 みなさんは『誤解』についてどんな考えをお持ちでしょうか? よろしければお聞かせください。
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>仮に誤解されていても、自分が悪者になって済むならかまわない それでは所詮「悪者」のままなんですね。 自分で自分が許せなくなる。 私はこう思っています。 「自分の口や態度から出たことは全てが私なのだ」と。 そう思っていないと、この世に出たもの(言葉は言霊を持つ、なんていいますね)は「行き場が無くなる」と思います。 自分が面倒を見て、育ててあげないといけない、と。 だから弁解はしないように勤めています。 失敗したら「ありゃぁー」と思いますが、次から気をつけよう、と戒めるつもりでいます。 だから「誤解」されることはあまり無い、と思ってますけどね…自分ではね。 他人はどうかは知らないけど(笑)。 されたらされたで、自分に非が無ければ戦います。 よくよく聞いて「これはこちらが悪い」と思えば謝りもします。 ただ基本はあくまでも「これは私の言葉たち」という自負です。
お礼
ご自分の発言への責任についてとらえているのですね。 参考になりました。 ご回答ありがとうございました!