• ベストアンサー

ネガティブっていけないことなの?

落ち込んでいることとか、病気や不幸のことを、話すのは甘えなんでしょうか? 勿論仕事では、そういった話を避けますが、友人などのプライベートの付き合いでも、そういったものを嫌がる人がいますよね。 わたしは聞くのも嫌ではないし、アドバイスもらえたらと思って、話すことがあります。 でも、そういう話をすること自体を否定されると、いつも不思議な気持ちになります。 ポジとネガが反転しながら送っていくのが人生、花が咲けば枯れもする、その両面性を否定するなんて、苦しい生き方じゃないかな、摂理に合ってないという考えをもっているからです。 もし話して、あるいは話を聞いて、少しでも気が晴れるなら、充分ポジティブになるための積極的な行動になるのでは、と思うのですが。 深く考えないとか、気にしないとかは、ただ問題から逃げているだけじゃないかなとも感じてしまいます。 でも傍目から見たら、わたしはただの愚痴愚痴した人なんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#93924
noname#93924
回答No.12

No.8です。お礼ありがとうございます。もう少し追記。 >悩みは、同じようなことを経験した人に相談した方が、適切なのだということがわかりました。 一概にそうとは言えないと思うのですよ。 私のいう家のごたごたとは、平たく言うと家族の離散なのですが、私の話をちゃんと聞いてくれた人たちは、必ずしも同じ体験をしたわけではなく、「おうちが自営業でお金がなくて大変」「おうちに病気の人がいて大変」といった全く別種の「家のごたごた」を経験した人も多くいました。 まるっきり同じ大変をしていなくても「自分のうちはお金が少し普通の家よりないということで、ギスギスする日もあるんだから、そういうことがあって家族が離散することになったら、こう感じるんじゃないかな」って推測して、聞いてくれていたんじゃないかなぁ、と思います。 (と、思うのも、私が人から話を聞いた時に自分が経験したことがないことでも似たような体験と引き合わせて考えるようにしているからです) また、めったにいないんですけど、たまーに、カウンセラーとかではないのに「人の話を聞くのがものすごくうまい人」という人も存在します。 これにはびっくりしました。 こういう人に出会って、「人の話を聞く」というのも、「早く走れる」とか「歌がうまい」というのと一緒で、才能と努力の賜物なのだなぁ、と思うようになりました。 なので、一概に話をちゃんと聞いてくれない人を責めることもできなくなりました。 だって、「走るのが遅い」「歌をうたうのがへた」な人だって、別に「なんで努力してないんだ!」って責めることはできませんし、場合によってはもともと走ることや歌うことがすごく不得意(事情はそれぞれあれ)な人もいますし。 なので、「自分と同じ経験をした人」をかなり狭く設定してしまうともったいないことになるかもしれません。 >やはり、話を聞くからには何か応えたいという思いがあるので、それに応えられないような話は、どうしても忌避してしまうものかもしれませんね。 これはあると思います。 私も、私が応えられない話をされると困ってしまいます。 たとえば、先ほどの回答にあげた、「みんなのノリが悪い」と怒っている体育会系の人だって、本人としては真剣に困っているわけで。 私はその想いに共感できないので、「そうだよね。一生懸命やるっていいことなのにね」とか共感したり、何かいい案を出すことはできませんし。 共感して話を聞くって「そうなんだ」とか「あるある」って言ってるだけじゃダメなんですよね。 うわっつらな応答はすぐにわかりますし、わかってしまうと、バカにされた気がしてしまいます。 ネガティブとポジティブをそんなに厳密にわけようとしなくてもいいんじゃないかなぁ、と思います。 自分の気持ちをしっかり把握できていないうちに、名前をつけて無理に処理しようとすると、何か見失う部分もでてきそうです。 積極的な行動をすることが必ずしもポジティブなことだとは限りませんし(やけくそ、とか、まわりに流されていうままに行動、とかいうのもありますよね)、なにも行動しないことが必ずしもネガティブなことだとは言えない(待つことや、じっと考えることって、実はとっても難しいことです)でしょう。 >身内の不幸にネガティブにならないなんて 身近な方を亡くされたのですね。 辛いのが大きいほど、大切な人だったのでしょう。 身うちの方がなくなって、ちょっと大変な気持ちや状況になるのは、当たり前のことです。 質問者さまの感じだとまだお若い方でしょうか? だとすると、まだ大切な人を亡くしたことのない人や、亡くしていたとしてもちゃんと向き合っていない人から、心ない言葉をかけられることもありますよね。 質問者さまにも話をちゃんと聞いてくれる人がきっと現れると思いますよ。 ちなみに私は、自分の話をしっかり聞いてもらった分、自分ができるときは誰かの話をちゃんと聞くようにしています。

annerose
質問者

お礼

再度ご意見いただき、ありがとうございます。 丁寧なアドバイスも、参考になりました。 banana429さんのおっしゃること、わかります。 わたしは重い話を聞くのもなんとも感じないし、友人が苦しんでいたら少しでも力になりたいと思って、話を聞いてきました。 中には、母親が駆け落ちして家を出たという、わたしとはかけ離れた家庭環境の悩みも聞きましたが、その時は相手の気持ちを想像し、自分に置き換えながら、相手の隠れた望みを表に出せるように、手伝ったことがあります。 しかし、わたしが苦しんでいる時、相手は去っていきました。 こういう体験が複数あります。 同世代に悩みを打ち明けるのを諦めてから、自然と年配の方へ相談することが増えてきましたが、それでも嫌がる人は多いなと感じています。 >質問者さまにも話をちゃんと聞いてくれる人がきっと現れると思いますよ。 今回のことで、つくづくそう思いました。 泣き言をいいたくても自分がしっかりしなければと、耐えて耐えての 末に、相手から嫌がられるそぶりを見せられて、ショックを受けてしまいました。 気遣ってくださり、重ね重ねありがとうございました。

その他の回答 (13)

回答No.14

頻度によると思います。 気にならない程度(これがどの位かは難しいところですが)であれば問題ないと思いますが、しょっちゅうなら問題アリだと思います。 また、ネガティブを受け入れてもらえるかどうかは、お互いの距離によるでしょうね。私の知り合いでも言える人と言えない人がいます。 最後に、ネガティブは「伝染」します。この性質を持ってネガティブを嫌う人はいるかもしれません。パブリックな集団の中ではこの特性を抑えた方がよいと思います。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 仕事では勿論口にしませんが、プライベートの付き合いの中でも、特に親しいと思っていた相手へ打ち明けたところ、今回の結果となりましたので、ショックを受けた次第です。

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.13

>ネガティブっていけないことなの? 必ずしも悪いとは言えません。 ネガティブは内向きのなので自己防衛に働きます。 場合によってはネガティブで助かる事もあります。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 そう言っていただけて、気持ちが楽になりました。

  • gocogacu
  • ベストアンサー率23% (79/341)
回答No.11

ネガティブはもともと生れた時からあります。 人間は、自分を守るために、防衛本能が働きます。 外的から身を守るために、「アレは、危ないから止めよう。」「悲しいから、涙を流して自分を慰めよう」「けんがが強そうだから逃げよう」「経験したことが無いから、止めよう」 自分を守るためにネガティブ思考になります。 あなたの場合、「心が傷ついているので慰めてもらいたい」 だからネガティブになるのです。(愚痴はネガティブでないとこぼせません) これを「心が傷ついているのでポジティブになりたい」なんて不可能なんです。 >愚痴などを話す場合、友人などのプライベートの付き合いでも、そういったものを嫌がる人がいますよね。 相手が、ネガティブの時は嫌がります。(防衛本能が働きます。) もし愚痴をこぼすときは、相手がポジティブの時に話をすると違ってきます。(受け入れる体制が出来ています。) どんな時か? 相手が楽しいときとか、何かを達成した時。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 <心が傷ついているので慰めてもらいたい→慰めてもらってポジティブになりたい>は、充分可能な話かと思います。 もちろん、その慰めが必ずしも相づちのみではなく、誤っていれば叱咤もあると考えています。 ネガティブだから、ネガティブを嫌がるというのもよくわかります。 (個人的には、やはりそれは問題から逃げていると思ってしまうのですが、これはあくまでわたしの意見に過ぎません。) わたしにとってのネガティブ発言は、やはりポジティブへの大きなきっかけであります。 ネガをネガのままにしておくままにはいきません。 (となりますと、ポジもポジのままではいられないのですが) ただ考え方として、相手もネガだったからだと理由がわかれば、避けられても少し気が晴れるかもしれませんね。

noname#132831
noname#132831
回答No.10

 まあ、そうですね。相談されてうれしいのは、自分が何らかの解決策を持っている時です。良いアドバイスを持っていない相談事は、聞いていてつらいです。自分の無力さを思い知らされたり、罪悪感を持つ場合もあるでしょう。『あるある、俺もそうだよ』と共感するだけでいいのなら楽勝です。『だから俺にどうしろって言うのさ』となると、あまり聞きたくありません。『何でも相談に乗るよ』と言っておきながら、ご都合主義っちゃぁご都合主義です。  真の楽観主義というのは、現実を見据えたものでなければいけません。検索;「ストックデールの逆説」してみてください。ポジとネガに対するひとつの見識です。

参考URL:
http://otsubo.info/contents/fail/shippai15.html
annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 紹介していただいたサイト、読ませていただきました。 現実を見据えた真の楽観主義に関しては、わたしも心からそう思います。 あとは表現の問題になってしまいますが、楽観主義であるポジティブ発言と、真の楽観主義からのネガティブ発言だと、また変わってくるのではないかと思います。 先ほどの方へのお礼で例にあげましたが、若いから何でもできるとは、ただの楽観主義のポジティブ発言だと思うのです。 だからこそのネガティブがあるのですが、それを甘えと言われてしまっては困りますね。 (こうして書いていても、やはりポジとネガの意味が反転します。大変面白いですね。本題とはずれてきてしまいましたが)

noname#171468
noname#171468
回答No.9

h-kazugonですお礼文へ >出来ることなら、同じような考え方の人と話してすっきりしたいのですが、如何せん、そうとはいかずに困っています。 溜め込むと、それこそ病気になってしまいそうです。  お互い傷の舐め会いでは落ち込んで居る要因は迷宮入りです、何故ネゲティブになる自分が居るかです、愚痴とは自分の自己嫌悪もあります、自分の思い描く理想に行きたいけど行けない自分とか・・・・  そんな自分も居る、それを否定しても仕方が無いです。何故マイナス思考になるか、楽に行ける自分を減り砕く事で自分が楽になりたい思いに追、居心地も良いから其処へ入り込む、自分の心に蓋をして状態みたいと思えます。  回り諄い言い方ですけど、それが思考性と言う奴で、ネガティブに追陥る癖を、角度を変えるだけで感性は変わります。  墜ちても良いでは無いですか、悩みから先が望める物です。何もかも旨く行く方が怖いんですけど・・・・・  自己談を書けば、完全なPTSD有る身ですけどこれは付き合う病ですので、隣で何時でも落神様が居て墜ちろと誘いが来るんです。それに追お付き会いが好きで、又墜ちて居ると自分で分かれば、這い上がるこんな繰り返しで付き合うをして居ます。  心療内科へ通院でも安定剤の投与と、カウセンリングに入るかどうかですけど、今この手の本が店頭に並んで居ます。  愚痴るのも良いけど、何故愚痴る自分なのかは洞察は必要ですけど・・・・  墜ちても這い上がるだけですけど・・・・  人生墜ちて這い上がるそんなもんでっせ~

annerose
質問者

お礼

二度もご意見くださり、ありがとうございます。 傷の舐めあいに関しては、経験があるのでよくわかります。 そのことでカウンセリングにもかかってしますし、相手の相談を聞くのも程ほどにしなければならないということも、身をもって実感しました。 ただ、今回はそこまで重い話ではなく、誰にでも起こりうる話であり、身内の不幸にネガティブにならないなんて、逆に人間性が疑われると思います。 若いから何でも出来ると言われ、今は若いだけで世の中まわらないと応えれば、ネガティブだ、甘えているなんて言われても、困ってしまいます……。 現実を見据えることも大切なことだと思います。 若いから何でも出来ると仕事をやめ、突然日本一周に旅に出ることを否定することは、ネガティブでも何でもないような気がします。 と、書いてて気がついたのですが、その場で反論すれば、こうまで悩まなくてすんだのですよね。 (こういう性格にも問題がありそうです。自分の考え方の癖に、まず気がつくことが大切ですね) PTSD、わたしにもあります。 h-kazugonさん、どうぞご自愛ください。

noname#93924
noname#93924
回答No.8

うーん、人によって「聞ける話」と「聞けない話」があると思うのです。 例えば、私の場合、自分が家族がらみでかなりごたごたがあったため、家族に関する結構重い話はわりと平気で聞けます(自分も体験しているので)。 その代り、私からみて「うらやましい」と思ってしまう話(関係が破たんしているワケではない愚痴、など)はうまく聞けません。 むしろ重い話のほうが身近だったので、ピンとこないんですよね。 また、私の場合自分がかなり努力家タイプ(と最近自覚しました)なので、「やろうやろうと思ってるんだけどできない話」といまいちピンときません。 その代り「やりたいことがあるけど周囲の人の反対や妨害でなかなかできない」という話は、私も経験があるので、うんうん、と聞くことができます。 他にも、身近に病気で困っている人がいたので、「○○って病気で~」って言われれば聞こうと思えますが、体育会系の人の「スポーツの大会でノリの悪いやつがいてムカツク」とかいう愚痴は私がそういうノリを強要する空気が嫌いなのでイラッとしてしまいます。 他にもいろいろありますが、プライベートの場面では、人間って「自分に経験があったり身近な人に似たようなことがあって、話を聞けばその人がどういう状況や気持ちかすぐぴんとくる」という話はうんうんと聞けますが、「自分はそんなふうに思ったことないし、むしろ自分はそいうふうに考えないようにいきてきた」という話は、イラっとしちゃって聞けないと思います。 >落ち込んでいることとか、病気や不幸のことを、話すのは甘えなんでしょうか? 家族のことでごたごたしていたとき、人にちょっと愚痴を漏らすと、「甘えてる」とか「そんな年にもなって何言ってるの?」とかいろいろ言われました。 しかし、うんうんと聞いてくれる人たちもいました。 それは、私と同じようにある程度家族のごたごたを経験したことのある友達でした。 きっと質問者さま自身も、「人の愚痴ってイライラして聞けないんだよね」って愚痴をこぼされたら、イラっとしてあんまりうまく聞けなくなったりするんじゃないでしょうか? また、「深く考えないとか、気にしないとかは、ただ問題から逃げているだけじゃないかな」と言われていますが、これは、「深く考えてなかったり、問題から逃げてる人の話はあまり聞きたくない」とも読めます。 誰にでも、聞ける話と聞けない話があるのは当然だと思いますよ。 質問者さまのことを「甘い」と言っている人たちだって、きっと「聞ける話」がまた別にあると思います。 ただ、その「聞ける話」の範囲がぐっと狭い人たちがいるのは事実だと思いますが。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます! banana429さんからのご意見で、目の前がぱっと開けた思いです。 悩みは、同じようなことを経験した人に相談した方が、適切なのだということがわかりました。 身近でいなければ、ネットのフォーラムなどを利用することも考えたいと思います。 やはり、話を聞くからには何か応えたいという思いがあるので、それに応えられないような話は、どうしても忌避してしまうものかもしれませんね。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.7

自分がポジティブでもネガティブでも構わないと思います。 あざなえる縄の如しで、両面性は事実ですから。 しかし、他人をネガティブにする権利はありません。 ポジティブにするにもネガティブにするにも責任が必要で、他人には拒否する権利があります。 他人はあなたがネガティブな事を吐く事に付き合う責任がありますから。 「死にたい」と話す人間に 「じゃあ死ねばいい」と回答したら、死ぬことを止めなかった責任を負います。 「頑張って生きろ」と回答したら、生きるメリットを説明する義務を負います。 ポジティブな発言には、同意には責任がなく、否定は水を差すことになるのでやっぱり責任があります。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 dogdayさんのおっしゃるようでしたら、ネガティブな人をさらにネガティブな発言で追い詰めることもないのになあというのが感想です。 相手にも、わたしをさらにネガティブにする権利はありません。 ですが、今回の発言で、わたしがさらにネガティブになった事に対し、発言者に責任が問えるかといえば、ただの転嫁になってしまうのではないでしょうか。

noname#105911
noname#105911
回答No.6

みんなが、同じような考え方をしていれば、いいんですが、そう考えてない人も居ると思います。ご自身が言う「摂理に合っていない」というのや、「深く考えない、気にしないのは問題から逃げている」という考え方は、ご自身にとって、正しいことでしょうが、それは、相手にとって正しい事、当たり前の事とは言えません。 また、自分の摂理や、その考え方によって、ネガティブな話をするのは、勝手ですが、その勝手は認めていても、相手の勝手を認めない(聞くか、聞かないか、拒否するかなど)というのは、どうかと思います。 ネガティブな話をして、相手は困ったり、聞き流したり、拒否したり、親身になって聞いてくれたりするのは、相手の勝手ですので、それを認めた上で、話をする、愚痴を言うようにした方がいいと思いますよ。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 今までの経験から、もちろんそういった話を嫌う人がいることは重々承知しています。 わたし自身は、普段から、出来るだけいろんな考え方を知っておきたいと心がけているつもりです。 今回のことは、相手から考えを主張されて、甘えだと扱われてしまいましたが、わたしには相談したとおりの意見があり、それを主張するのもまた自由だと思います。それこそ個性です。 そうした主張を繰り返すのでは、ただの堂々巡りだとも思います。

  • nankra
  • ベストアンサー率20% (89/438)
回答No.5

いいと思いますよ。話すことで楽になることもありますし。ただ人によってはそう言う話すると「なに? この人自分は不幸な人間(悲劇のヒロイン)気どり?」とか考える人もいますから難しいところですね。 まず絶対にネガティブにならないときはありませんから、それを否定してネガティブをムリにポジティブに変えようとすると余計にネガティブになってしまうときがありますから。ネガティブと上手に付き合っていくってのも一つの考え方だと思いますよ。 質問者さんにおススメしますね? POAROのアルバムNO NEGATIVE,NO LIFE これはタイトル通りのCDです。ネガティブ全肯定の12曲。ぜひよかったら聞いてみてくださいな^^

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 nankraさんからのアドバイスだけで、随分と気持ちが晴れてきました。 ネガティブと上手に付き合うって、難しいですね。 以前友人に、落ち込んだら何もせず一日、暗い部屋のベッドの上で横になるといった子がいました。 その時は、ビックリしたのですが、いざ自分が落ち込んでそんな状態になった時、ますます落ち込んでしまったので、この方法は合わないなあと思っています。 別の方法が見つかればいいのですが、試しているうちに悪化するのも怖いですね^^; アルバム、是非聴きたいです!

回答No.4

愚痴愚痴愚痴ばっかりだと聞いているほうも嫌になります。 質問者様自身も、もし友達から愚痴ばっかり聞かされたら嫌になることと思います。 しかし、愚痴を話すことは、悪くはありません。 愚痴を、自分の中に溜め込むと間違いなく、自分のストレスにもなりますし、最悪精神的な病気に陥ることにもなります。 ネガティブからポジティブになれるなら、愚痴もほどほどに漏らすべきです。 しかし、愚痴は本当の友達や親族のみに話すべきでしょう。 親身になって相談にのってくれますし、的確なアドバイスがもらえるからです。 私自身も仕事上での愚痴がおおく、よく知人に話していますが、そこで叱咤激励され、仕事でのストレスがなくなります。 愚痴を話して、ポジティブになることは決して悪くはありません。 しかし、愚痴ばっかり言うことには、十分注意してください。

annerose
質問者

お礼

ありがとうございます。 本当の友達、親族と思っている人に打ち明けて、甘えだと言われてしまって、落ち込んでいる次第です。 自分では、普段愚痴愚痴しているつもりもなく、TPOも心がけているのですが、今回は身内の不幸や自身の病気が重なって、これではまずいと話した結果だったので、ショックでもありました。 自分の気持ちを周りに発散するのではなく、別な形で消化できる方法も、見つけていかなくてはならないかなとも思い始めています。 ただ、以前も同じことを考えたのですが、上手くいかなかったので、どうしたものか悩みます。

関連するQ&A