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専門家か経験者どうかたすけてください
統合失調症で今は比較的に落ち着いていて、働く意欲もわいてきました そこで先ずは病気を開示するか非開示にするか また実際に非開示で働いてる方いるなら、教えてください。 今どちらにしようか迷っています。 開示ならある程度病気の理解が得られるが収入も少なく、 障害者として生きていくので結婚や恋愛などができません。 非開示なら収入も多く将来も期待できますが、 病気を隠しとうさないといけません。 また昨今の雇用状態を考えると、開示して細々と生活する方が良い様な 感じもします。 どうするべきかアドバイスを下さい
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非開示で働けるなら、その方が良いと思います。 障害者担当の職員の人は、開示を勧めるが、それは、開示でないと働けない人が、統合失調症の患者のほとんどであることを知っているからです。 結局、どこまで働けるかは、自分が働いて見るまで、自分では分かりません。 ちなみに。障害者雇用で働こうと思ったら、「短時間労働で」と条件をつけるなら、半年から1年ぐらい探さないと職は見つかりません。これが現実です。 (正社員並の労働時間で働ける、統合失調症の人自体が少ないので。それが原因です。フルタイムで働けるなら、もしかすると、もう少し楽に見つかるのかも、分かりませんが) 結局、この情報だけでは、あなたがどこまで働けるかは分からないので。医師と自分との相談が必要であると思います。 働く前は、働けそうでも、実際に働いて見ると、疲れやすい等(作業工程が覚えられないとか)の症状が出やすいので、結局の所は、「短時間労働で(かつあまり忙しくない仕事で)ないと厳しい」という結果になるのだと思います。 (大体、開示、非開示の問題以前として、男性の短時間労働は、あまりないので、そこの所も問題の原因なのですが) (ちなみに。「統合失調症なんて、病名知らない」という人もいるので。病名告知と言っても、相手がどれほど理解しているのかは、個人的には、不明のような気がします。多分、普通の人は、「精神病の一種」ぐらいの理解しか、出来ないような気がします。よほどの会社の人でない限り。問題は、フルタイムで働くつもりなら、病院に通う日をどう取ってもらうかの問題があるだけで。 大体、そもそも、精神障害を”障害者”だと、認識している、知っている、一般人がどれぐらいいるかですね。大抵の人は、「世の中には、精神の病気を持った人がいる」と認識していても、「精神”障害者”という、障害者がいる」とは認識していないのではないだろうかと思います。) まあ、結論として、「非開示で働けるなら、その方が良い」と思うのですが。まあ、現状は厳しい(差別のせいではなく、自分の体調の問題)のが、現実ですね。
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- jinseiwalk
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第3の方法もあり、成り行きに任すというやり方です。別に自分から進んでカミングアウトせず聞かれたら答えるという流れに任す方法です。 これには人生の指導者やカウンセラーなどと常時相談出来る人がいればいいでしょう。その人と相談しながら生きていくと気持も落ち着いて仕事でき、寛解しているなら一生隠し通すことも可能です。 就職してその後一生再発せず寛解するなら、下手に開示して仕事が首になれば何故聞かれもしないのに自分から言ったのだろうと後悔するでしょう。 ですから黙っていれば良いのです。
- ochamango
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人間、正直なのが理想かも知れませんが果たして統合失調症を開示で就職活動をして採用されるかどうかという問題があると思います。 障害者枠での採用でも身体や知的よりも精神の場合はとても厳しいという話をちらほら聞きますし、職場にもよりますが多少の偏見やいじめがあるかも知れません。 また、非開示だと軽症なら採用されるかも知れませんが隠し通すのもしんどいですよね。難しい選択です。 ただ、精神の障害を抱えていても恋愛や結婚はしている人も結構いますよ。
- formidable
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そうしたことも含めて 精神保健センターでリハビリをうけながら担当医に相談し お決めになられると宜しいのではないでしょうか。 アナタさまに芸術や料理etc.才能があれば、それらを 活かすのも1つの方法ですね。 『私に似た花それはきっといい花だろう』 沖縄県浦添市の嬉野が丘サマリヤ人病院デイケア「文芸講座」 分裂病(=精神分裂病=統合失調症)の人たちの詩集 アナタさまも詩を書いてみませんか。 多芸多才は、救いになります。 【付録】 余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは 間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事 であった。 〔 正岡子規の『病牀六尺』21章 〕 ありのままの自分を見せるほうが、 ありもしないものに自分を見せかけるようとするよりも、 本当は得になるはずなのだ。 〔 La Rochefoucauld 仏思想家 〕 いくら粉飾したところで、自分の生地は誤魔化し切れない。 正直こそが、処世の一番安全な道。 〔 松下幸之助 〕