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恥という感情

 昔から疑問に思っていたんですが  人間の「恥」という感情・文化についてです  子供のころからとても疑問だったのはまず、学校でのトイレ。大便をすると犯罪をしたかのような扱いを受けるのはやはり全国的にそうだったでしょうか?  私の学校でもそうだったんですが、何故でしょうか?  生理現象ですよね?  それを、何故学校でしてはいけないのでしょうか?  そもそも、学校で大便をしてからかってた人は学校で大便をしたくなるタイミングはまったく無かったのでしょうか?。自分も学校でもようしたことがあるならば、他人にそういう態度をしているのを悔い改めようとしないのは何故でしょうか?  大人になっても同じ話で先日美容整形番組の特集がありました。  その中で「お盆休み・ゴールデンウイークなどの長期休みで手術をすれば手術跡などが消える時間があり、知人・同僚にばれないのでOLさんがよく来院します」といっていました。  美というものを求めるのは人間の根源的な欲求であり、何にも恥じることがないと思いますが、それを何故人目をはばかるようにするんでしょうか?  両方の疑問とも偏見があるからといえばそれまでなんですが、そもそも何故偏見がうまれてしまうんdねしょうか?  なんだか人間って自分の中にもあるであろう欲求を恥ずかしいと解釈し、他人をそれを行うと中傷するという行動がいまいちわからないんですが、この問題をどう解釈すればすっきりできるでしょうか>

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  • siffon9
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回答No.3

学校のトイレについては、自分の学校でも多少のからかい程度のことはあったと思います。 > それを、何故学校でしてはいけないのでしょうか? してはいけないのではなくて、するのが恥ずかしい、ではないですか? 自分が恥ずかしいと思うことを他の人がしているのをみれば多少からかいたくもなるというのも判る気がします。子どもの頃ならなおさらではないでしょうか。 で、なぜ恥ずかしいと感じるのかですが トイレに行くこと自体は皆さんがもつ生理現象です、でも「学校」のトイレを使用するという行為は、大多数の人は日常的には行わないと思います。 大多数の人は日常的には行わないこと、それもあまり自慢できるようなことではなけいことを自分がしている自覚があるのであれば、恥ずかしいと思うのもある意味当然ではないかと考えますが如何でしょうか。 美容整形の方はよく判りませんが 他の多数の人がとらない手段であること、楽をして美を得る方法であることがポイントではないかと。ある意味、カンニングをしてテストで良い点を取るのと同じようにも感じますね。 # 関係ないですけれども # > 長期休みで手術をすれば手術跡などが消える時間があり、知人・同僚にばれない # 休み前と後で見映えが変化すればバレバレだと思うのですがそうでもないのかな? # 或いは変化が小さくてバレにくいというのであれば、そもそも行う必要があるのか? # というのが素朴な疑問であります。

その他の回答 (2)

noname#194289
noname#194289
回答No.2

(ほかの人から)見られている自分と(自分を)見ている自分という二つの自分の関係だろうと思います。公的自分と私的自分の関係とも言えると思います。あるいは服を着ている自分と来ていない自分でもよいと思います。おっしゃっている生理的現象というのは私的自分を公的場面でさらけ出すことです。これはあくまで私的場面で行うことでありこれを公的に行うことを許すとなれば社会は崩壊します。

  • sosdada
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回答No.1

「構造主義人類学」をしれば、すっきりします。ただし、その説明が正しいかどうかは分かりません。あくまで「一説」「解釈」です。 「文化」によるものという説明です。「良い曲」「美人」の基準が時代や地域によって違うのと同じく、幼い頃からずっと慣れ親しんで、「これはこういうもの」という基準が出来上がってしまったから、という説明です。だからピカソなどはそこから脱出しようとかなり無理をしました(「アヴィニヨンの娘たち」など)。江戸時代の人に今のヒットチャートの1位の曲を聞かせても、理解できません。平安時代に山田優を連れて行ったら、茶色い髪と口と目のお化けです。 『はじめての構造主義 』(講談社現代新書・橋爪 大三郎著) がよいでしょう。

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