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アメリカ人の6割「原爆投下は正しかった」?

米キニピアック大学(Quinnipiac University)が4日に発表した世論調査によると、米国人の約3分の2が、 第2次世界大戦中の64年前、米国が広島と長崎に原爆を投下したことは正しかったと考えていること が明らかになった。 この世論調査によると、当時のハリー・トルーマン(Harry Truman)米大統領が原爆投下を 命じたことは間違いだったと回答したのは、回答者のわずか22%だった。 米国は1945年8月6日に広島に原爆を投下し、14万人以上が死亡した。 同9日には長崎にも投下され、7万人が犠牲になった。 世論調査によると、原爆投下を支持する意見は年齢が上がるにつれ顕著に増加しており、 55歳以上の回答者では4分の3近くが支持している。 一方、18-34歳では50%、35-54歳では60%にとどまった。 キニピアック大学のピーター・ブラウン(Peter Brown)氏は、「第2次大戦の恐ろしさが 記憶に残っている回答者は、圧倒的にトルーマン大統領の決断を支持している。 その一方で、冷戦時代の核の恐怖の下で育った世代以下の回答者では支持する意見は少なくなっている」 と指摘した。 今回の世論調査は、全米の2409人を対象に7月27日から今月3日までの期間に行われた。 誤差はプラスマイナス2%。 http://www.afpbb.com/article/politics/2627862/4427553 原爆投下は正しかったのでしょうかそれとも正しくなかったのでしょうか? そしてどうも米国等で核兵器とは威力がちょっと大きい普通の爆弾というような認識に思えます。 たとえばハリウッド映画などでも放射能の影響など知らないかのようにバンバン簡単に核爆発しまくってます。 核の本当の恐ろしさは放射能汚染だと思うのですがなぜ外国人はこんな感じなのでしょうか? よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.26

例えですが、イスラム社会、特にアメリカから直接的な攻撃を受けたことのある国の人から言えば、テロによる9・11攻撃は正しかったという人が多いと思います。 それをアメリカ人が聞いたらどう思うでしょうね。 どこの国も自分が正義で敵が悪なんですから、自国が悪だなんていう国は通常無いはずです。(この点、日本は例外ですが) 民間人もまとめて殺してしまう核兵器も言ってみればテロと何ら変わりはありません。 「アメリカ人自身が感じていたソ連の核に対する恐怖と憎しみ」を、「日本人が感じている核に対する恐怖と憎しみ」に重ねて想像する事くらいはできるはず。 他人の痛みを覚えようとしない低俗な人種に、物事の正義とか悪とか決める資格はありません。 よく、パールハーバーを引き合いにされるケースがありますが、やられたら何をやっても許されるという理屈になっている事に気付かないのでしょうかね。 もしパールハーバーの理屈が正しいなら、はっきり言って、今のアメリカは何をされても(核を打ち込まれても)文句は言えない国ですよ。

  • amulet0
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回答No.25

正しい、正しくないっていうのは日本が決めることではありません。 敗者は悪そして屍でしかないのですから・・・

  • Forseti
  • ベストアンサー率19% (84/431)
回答No.24

あなたは学校でどんな歴史を学びましたか?という問題と同じ事だと思う。 どこぞの国(イギリスだったか?)の研究誌が歴史の教科書にストーリー性なり、歴史観を加える割合を調べたところ、 もちろん最も多かったのが韓国だが、アメリカもかなり多かった。 そして最も少なく、史実のみを淡々と積み上げていったのは日本だったそうな。 物語としての歴史を習ったものは、それが判断の基準、価値観となる。 だから「原爆投下は大義名分のもと行われた」とすり込まれれば、正しいとなる。 あと、ピーター・ブラウンとやらの指摘は間違っている。 アメリカ人がどんな恐ろしさを経験したのか?空から行って爆弾を落としただけじゃないのか? 爆撃・原爆と民間人を虐殺しただけで、されたことのない人間だからこそ、殺してもOKと思っているのだ。 外国人は、爆弾とか爆発とか大好きだ。大きな爆発が起これば大声で叫んで喜ぶ。 そして人や動物を殺すことに対しても同様の感情を持っている。倫理という建前が人間の死を否定しているだけだ。 動物や物体を銃で撃ったり爆弾でぶっ壊したりすることを喜ぶ破壊衝動の持ち主は、日本には少ない。 テレビを見ていてもそうだろう?絶対安全な火災の実験で家を燃やしても、日本人なら叫んで喜ばない。 やつらのこういった精神が、強力な兵器の使用を支持している。彼らの精神はしつけの悪いガキと一緒だ。 やつらは制度でがんじがらめにするか、人権だ平和だという権利を妄信することでしか人間でいられない。 だから、平和のために投下したと妄信できる。 原爆投下は、アメリカの判断としては正しかったのだろうよ。 実験もでき、日本も支配し、その後の核開発、冷戦による二大大国の覇権にも勝利したのだから。 死に体の日本に投下しなければ、いつそのチャンスが巡ってくるか分からない。 国際社会が元気なときに使おうものなら、アメリカは世界の敵になったろう。

回答No.23

かなり沢山の方が真摯にお答えになっているので、これ以上をいうのは蛇足かもしれませんが。 ただ一つ付け加えるならアメリカは正義を愛する国なので、己のした行為を正義だといい続けなければアイデンティティが成り立たないのですよ。でもどこかで「核を使用した唯一の国家」であることを恥じている。だからこそああも声高に「核使用は正義だった間違っていない」と言い続ける必要があるのです。それでも罪悪感は拭えない。そのジレンマに苦しんでいるのが今のアメリカなのです。 ここら辺でどこかの国が使用してくれれば少しはその罪悪感も拭えるんでしょうけどね。

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.22

こうモノは本来「正しい・間違っている」という単純なモノではありません。 広島・長崎に原爆が投下されなければアメリカはダウンフォール作戦を実行していたはずです。そうすると日本本土での最終決戦が行われ、日本軍は民間人を巻き込んで「一億総玉砕」の覚悟で米軍に抵抗したはずです。そうなった場合一般市民を含めた戦死者数は原爆での死者数の数倍以上になったはずです(一説には500万とも1000万とも言われており実施されていたら戦後日本の復興は不可能であったという意見もあります)。沖縄戦からも容易に想像がつきませんか? そういう意味では米兵のみならず日本人の死傷者数も最低限で済んだという見方もできます。 「リメンバー・パールハーバー」についてもアメリカのプロパガンダが功を奏して事実がチョットねじ曲げられていると思います。元々アメリカは第二次大戦に参加するための足がかりが欲しかったため、格好の鴨であった日本を挑発していたのです(その為のハル・ノート)。日本占領を足がかりに中国への権益確保も視野に入れていたはずです。そういう意味では「世界の警察」を名乗れるほど立派なことをしてきたとは思えません。 核爆弾の使用もそういう思いの他に戦後世界のイニシアチブを握るためのデモンストレーションという意味合いもあったでしょう。それが後の「冷戦」に繋がっています。 「冷戦」時代を文明の停滞期とするならば、原爆使用はアメリカの最大の犯罪ととることもできます。でも、それがなければ人類が月に行くのは今よりもう少し先になっていたかもしれない… こういうのは「使用した側」「使用された側」「それ以外」で考え方が全く違います。 「同じ痛みを受けなければ同じ感情は湧かない」のではないでしょうか?

回答No.21

返信貰いましたが、広島・長崎の反核運動は一種の「反米運動」なのですよ。 だから、日本の一部にあるそれら反核運動に対抗して米国国民が「核爆弾投下は正しい選択だった」とするのは、米国国民のいわゆる愛国心に寄っている所が大きいです。 公正に見て、米国側の立場から当時を振り返りますと、当時は戦争ですから何をしても良い、民間人虐殺もOKという時代だった。 反面、日本から見れば、鬼畜米英がスローガンで国民は最後の一人まで米国と戦う、戦争遂行の為に全ての国民が兵員・生産要員・陛下崇拝者のどれかだったわけです。つまり国民皆兵だった。 民間人を原爆で殺したのが悪いと言ったって、日本人全てが米兵を殺そうとし、殺すための兵器を生産していた。 更には世界でただ一国日本だけが戦時中も国会議員選挙をしていた選挙民主主義の生きていた時代で、日本国民は選挙でその当時の国政を選択していた。 話にならんじゃないですか。 当時の日本人全てが米国の敵。敵兵。日本人全てが日本兵。← これが当時の基本原理。 日本国民は原爆投下を受け、次の幾つかの選択肢があった。 1.ありがとうと言う。戦争が終わったから。 2.理由の如何を問わず民間人を大量虐殺されたのだから、米国側の都合の如何を問わず、復讐する。 3.復讐するには手段に乏しく、更なる制裁を受ける危険があるため、反米闘争は隠密裏に行う。 4.全ての責任を核兵器のせいにし、悪者を核兵器ただ一つに集約させる。 広島と長崎の反核運動は3と4に相当します。 4については米国側の意志にも沿っていた。日本に2のような手法に出られるとマイルから。米国から責任を切り離し、核兵器に責任を集約させればOKと。 だが年に一回原爆投下日は巡って来る。その原爆を落としたのは米国。なのでその日の反核意識は米国に向かう。 そこで出てくるのが米国側の主張である、「原爆投下は正当だった」。 米国国民の民意の引き締め。愛国心の醸成。 ま、一種の思想戦争・言論戦争の類ですね。 私なんかは中立派だけど。米国の都合も分かるし日本の心も分かる。 ちなみに反核意識に拘りすぎるのは国民の為にならない。 原子力船やら、核武装やら、核の傘やらね戦争を未然に防ぐ手段とか、もっと平和になるためにどうすれば良いかを具体的に行動し始めなきゃね。 念仏唱えていれば皆馬鹿にしかならない。とどの詰まりが今の日本。

  • pupurpu
  • ベストアンサー率15% (29/192)
回答No.20

核の威力を考えれば簡単な答えですね。 核を使うのは悪魔の行為です。 人間の心ではできません。 また核ができて、やがて発展して個人がそれだけのエネルギーを手にする時代が来るという予想は昭和40年にはすでに言われていました。  いわれてるように、現実には水素で動く車が現実にできてます。 そうなった場合、他者を思いやり、爆発した場合の惨事を予想する、つまり現実にどのような苦しみが起こるか、現実を予想する想像力が人間には必要になってくるという結論が、昭和の議論ではすでに出てます。  核を肯定してるなら、アメリカ同時多発テロは正しいというのでしょうか?  これはただの わがままの意見ですね。人類の思考が変わらなくては生存できない時代だというのは環境問題も含めて当然な認識だと思います   問題は戦争を体験した人は戦争はとんでもないという認識ですが、  体験してない人は、想像の世界で、認識は薄い。  つまり、戦争は繰り返される原因は体験してない人が次々生まれてくるからです。  また、人間のおろかさは体験しないとわからないという現実を想像できない点が挙げられます。  戦争がない時代をすごしたいなら、戦争や核には絶対反対と思う人がどれだけいるかということでしか、平和は作れないと思います。  われわれの意思が大事ということですね。  戦争では悲惨きまわりない猟奇的な精神異常の大量殺人という常人では理解できない精神の異常の世界というのが、正しい認識ではないでしょうか?  人は本当に歴史を学べるのか?という疑問がありますが、失敗を繰り返したり、自分だけの利益で相手を不幸にして起こる失敗を考えれば、人間はおろかな部分があります。体験しないとわからないという部分です。怖いですね。  他者を幸せにして、周囲との協力関係を作れる人格と、一緒に幸せを作っていくというエゴを排した考えを持つのが現代人では最先端の人生哲学ではないでしょうか。

  • potachie
  • ベストアンサー率31% (1065/3387)
回答No.19

先に書いておきますが、他の(一部の)方も書かれているとおり、原爆投下は悪(国家犯罪・国際犯罪)です。これが、原爆だからではなく、民間人を主に狙った無差別攻撃だからです。 これは、いかなる理由はあったとしても、例えその結果、全体としての死者が減ったとしても、軽減される犯罪行為ではありません。 >> 日本の劣勢が明確になってから恣意的に民間人を狙い続けたことを日本は訴えませんよね。 いいえ。少なくとも広島市、長崎市、そしてわれわれ民間人は、これまで幾度となく国際社会に訴えていましたし、広島市長、長崎市長は、国連や国際会議に招かれる場合、国賓と同格、国家元首に相当する扱いで演説をすることが多いのも、国際的にも日本の訴えを受け取ってくれている国々があるということです。 問題は国家の立法と行政の府の方でしょう。 なお、賠償権は完全に放棄することで、日本は戦後、独立を許されました。このときは、個別の国家50か国程度と和平条約を結び、その際に、一切の賠償権を放棄しています(させられています)。学生運動が起きた理由を調べられると良いですよ。 ご存じないかもしれませんが、「原爆を落とした」のは連合軍ですし、国連はこの連合軍が解体せずに存続したモノです。国連が存続する限り、非核・核反対の訴えはできても、連合軍の非道や、東京大空襲等で失われた原爆での死者以上の戦死者に対しての非道を訴える機会は日本には与えられません。 東京大空襲については、石原都政になるまで、東京都は一度も訴えたことがないどころか展示もしたことがないんですよね。 「無条件降伏」の「無条件」は、どういう意味か、日本は憲法第9条に何を願ったのか、考えてられてみても良いかと思います。

回答No.18

アメリカ人の原爆認識が浅いですからね。すでに日本人もだけど。 >威力がちょっと大きい普通の爆弾というような認識 そこまででは無いでしょうが、ヒロシマ、ナガサキの惨状を知らないアメリカ人も多いですよ。 もっとも、日本人でも知らない人は多いですけどね。 正しかったか、正しくなかったか、それは実際を知っているか知らないかで、随分変わる意見でしょう。 ヒロシマでもナガサキでも良いから、資料館にアメリカ人を連れて行くと良い。 大抵「ここまでとは知らなかった」と言いますから。 資料館の入口と出口でアンケート取って見たら面白いでしょうね。 もう「歴史」になっちゃってますし。 この時期になれば、テレビで原爆だ終戦だと騒ぐから、普段忘れてる日本人も思い出すんでしょうが、そういう意味では日本人だって認識に大差無いと思いますよ。 ヒバクシャがみんな死んでしまえば、急激に「歴史化」は進むでしょう。 被爆二世がいなくなれば、話題に上る事も減るでしょう。 それが平和なのか、平和ボケなのか。 この先どうすればいいのか、被爆二世の私にも課せられた課題なのかもしれません。

  • topy7014
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回答No.17

あの当時、すでにポツダム宣言は発せられていましたし、あとは降伏待ちでした。結局ソ連に対する示威行為のために原爆は使われました。威力を示すため三方に山がある広島、長崎、小倉といった町が検討されました。当時広島には今の白島辺りに軍需工場があり、そこが狙われたといわれていますが、当然ほとんどが民間人です。 日本人はモルモットだったのですね。(以上、原爆資料館に行った時の記憶から)

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