No.10です。
要するにowlsjpさんは、曖昧で、『私・個人の姿』が分からなくなるような言葉や言い回しが嫌いと言うことですね。
この質問も根っこでは、テーマが同じなんですよね。
意味の分かりにくい矛盾のある言葉を放った側に、本当の意味を確認することもなく、「自己解釈のまま、雰囲気だけで分かった気になる」のは危険だと、おっしゃっているんですね。
私がその時の質問者であったのなら、補足要求をしたと思います。
自分の言葉でかなりの部分を補わないと分からないのなら、相手の言葉が本当には、理解できたとは言えないからです。
あのような見解を書いたのは、owlsjpさんが仰るとおり、「論理的な、意味のある文章であるに違いない」という、前提で出しました。
そうじゃないと、私には宗教的な情報?が不足しているので、分かった気にも辿り着けなかったからです。
また、owlsjpさんが質問者側にも疑問を抱いていたようなので、こう解釈するのが一般的なのではないかと、要らぬ世話をしてしまいました。
owlsjpさんは、どっちの意味もはらんでいるような言葉なのに、何か問題が起きたときに、
「おまえが選んだんだろう。私はそうは言っていない。おまえの解釈が間違っているのだ」という、余裕を残しておく言葉が無責任だと、その点で腹立たしくお思いなのですね。
で、一番気に入らないのは、「私は物事の道理が分かっている者であると言い切る」言葉の中には、「弱者の味方である」と言いつつ「弱者の上に立とうとしている傲慢さが見える」と、そういうことですね。
今回のテーマも、「私は物事の道理が分かっている者であると言い切る立場の人が、好んで使う表現」だから選んだんですよね。
owlsjpさんが一番問題にしているのは、「弱者の上に立とうとすることの傲慢さ」ということでしょう。
でも、これは、自分の中にも他者の中にも見え隠れしているもので、善意の解釈をしようとすることは、それを捨て去ることだから、「傲慢」だと仰っているのですね。勝手に幕引きをして、「そう言うことにしておく」というのは間違いだと。
けれども、幕引きは必要だと思います。
ここから先は、個人がどうやって自分と他者の間に見え隠れする傲慢さと闘っていくのか、あるいは、受け入れていくのかと言うことでしょう。
私が勧める道こそが正しいと、声高に叫ぶのも「傲慢」ということにはなりませんか。私個人に出来ることは「問題の提議であって、糾弾であってはならない」のではないですか。
>私は、善にも悪にも偏りたくありません。善にも、悪にも陥りたくありません。世界とは、そういうものではないと思うからです。ポジティブでも、ネガティブでもなく、良いものは良い、悪いものは悪いと、あるがままに見る素直な姿勢が大切ではないでしょうか。
そうですか? 拘りがあるように見えますが。
白黒付けたがっているように思えます。
あるがままの中には“グレーゾーン”もあると私は思っています。
そして、世界とは“良いもの”“悪いもの”“どちらともつかぬもの”で出来ているとも思っています。
あるがまま、素直に見ようとすると“どちらともつかぬもの”が存在していて、ある人にとっては毒にも薬にもなるのだと思います。
あるがままの世界は、白・黒だけでは存在していないし、白は黒に変わることもあり、黒が白に変わる事もあり、常に変動していく世界だと思います。
だから、悩みが生じるし、グレーの存在も必要なんじゃないかと。