- ベストアンサー
初盆について
わからないことだらけなのでこちらでお訊ねいたします。 教えてください。 昨年10月主人を亡くしました。 結婚して2年のことだったので 私は少しお骨を分けていただいたもので自分なりに供養をして お位牌などはご実家でおまつりしてもらったほうが 彼をお参りしてくれる人は多いはずだから、とあちらへお渡ししました。 でも先方には気持ちを説明しても理解してもらえず 関係はこじれ、もう会わないほうがいいと思えるほどになってしまいました。 もともと無宗教だったので葬儀などは真言宗でしてもらいましたが お墓はなく、お寺に納骨だけしてもらいました。 今回初盆になるのですが、 私のできる供養とはどんなものがありますか? 彼はお位牌はなくても私に会いに来てくれるでしょうか?? 何かよいアドバイスがございましたら是非教えてください。 宜しくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
故人の供養とは、残された人の安心感・満足感であると思います。 お寺やお墓・仏壇などは、その手段です 西の空に向かって手を合わせるだけでも十分です ご主人様を想う心が有れば、必ずお会いできます。
その他の回答 (1)
去年8月に夫を亡くし、今年初盆です。 仏祭りは宗派によって随分違います。 私の宗派の浄土真宗・西本願寺派は、他に見られないほど柔和な教えです。 人は死ぬと同時に肉体を捨て、魂だけが一気に浄土へ上がり仏となります。 浄土に上がると全ての死者の魂は、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の五文字の元に集まり、浄土で子孫の繁栄を願って暮らします。 お供えも仏は食べません。 仏の食べ物はお経とされています。 ですから他の宗派のようにお膳やお団子などの多くのお供えは必要ありません。 お水もお供えしません。 お位牌もありません。(お寺に過去帳があります。) 本来はお墓も必要ありません。 お墓には捨てて行った骨しかありませんから。 でもお墓を作れば、墓石の南無阿弥陀仏の五文字には魂がおられます。 お供えは生きている人間がお祭りする上での、気持ちに添ったお供えで十分なんです。 ただお経は大切です。 お経は仏のご飯ですから。 檀家にはお墓も持たない人もおられます。 お墓も良く見る「〇〇家の墓」ではありません。 仏は全て平等な立場で阿弥陀の元に集いますから、〇〇家の者ではないのです。 墓石には「南無阿弥陀仏」の五文字のみ彫ります。 また世間では何十万とお金を積んで戒名を買います。 でも浄土真宗では、仏には身分など無く平等ですから、高い戒名を買う必要はありません。 世間体を言う人は、それの説明を受けた上で、高価な戒名を付けて貰います。 四十九日をかけて浄土に行くとされる他宗派では四十九日の法要がいりますが、一気に仏になる浄土真宗では無意味です。 世間に合わせて四十九日の法要もしますが、本来は必要ないものだそうです。 浄土真宗はこんな風に簡単にお祭りできますが、他宗派では難しい決め事もあり、簡単には行かないでしょう。 私は真言宗の事は詳しくないのですが、 仏参りも侭成らず、お墓も無いとなれば、ご主人を納骨しているお寺にお参りされてはどうですか? それが一番だと思いますけど。 気持ちがあれば合いに来てもらうのではなく、「会いに行く」だと思いますが・・・ 余りに結婚年数が短いので、ご主人を祭れとは言えませんが、何もかも中途半端に返されたのでは、理屈では分かっていても、 彼のご両親としては何とも絶え難い事だと思いますよ。 私はもう老人の域に達していますが、貴方はまだまだこれからです。 新しい恋も家庭も持たなくてはなりません。 亡くなった方々は決して子孫を恨んだり、子孫が不幸になることを望んでいません。 変な因縁を教えられても絶対に耳を貸さないようにしましょうね。 今年のお盆にはお寺でご主人にお願いしましょう。 私が幸せになれるよう見守って下さいって。 それが済んだら、新しい人生の出発です。 後ろを振り返っても、もう二度と会える事はありませんから。 でもこの先では行く所は同じです。 いっぱい幸せになって、ご主人を安心させて上げましょう。 そして先でご主人のところに行ったら、見守ってくれてありがとうってお礼を言いましょう。 ご主人の分もこの世を精一杯生きましょう。
お礼
ご意見ありがとうございます。 宗派によって随分違うものですね。 私は付き合って結婚する前から主人の病気のことは知っていましたし、それでも彼以外の人は考えられないので一緒に彼が病気と闘うなら共に闘おうと、決心して一緒になりました。 彼を祭るのが嫌だなんて全く反対です。 私はもともと無宗教なので宗教的なものはよくわかりませんが供養は気持ちでするものだと思っていました。 彼のご両親にもお骨があれば私は気持ちでお祭りできるので、と、お話も致しました。私は決して中途半端に彼をお返ししたわけではありません。自分の事だけを考えていればいいのであればお返しなどしませんでした。 彼のご両親の寂しさや悲しさ、そして彼にとってお参りしてくださる人の数を考えた時私の元にお位牌があるよりは彼にとってもいいのかと思ったのです。 毎朝手をあわせてお経を唱えて話しかけたり、お膳を供えたり、彼がお寺に納骨されてからは月に1、2度程彼に会いに行ったり、彼への気持ちは今も全く変わることはありません。 これから先、彼がいなくなって、心より楽しい事、嬉しい事など存在するのかと思いますが、私を見守って応援してくれる人のことを思い、そして私が彼に会ったとき恥ずかしくない自分でいたいという思いから今を生きています。 もう新しい家庭も持たないと思います。 初盆なら何か特別なことが必要かと思いお尋ねいたしました。 参考にさせていただきます。
お礼
西の空ですか。 あちらにいらっしゃるんですね。 彼を思う気持ちは少しも変わりません。 彼への想いをこめて手を合わせてみます。 少し、安心しました。 ありがとうございました。