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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:位牌について。)

位牌の管理方法と処置について

このQ&Aのポイント
  • 位牌の管理方法と処置に悩んでいます。葬儀の際は白木の位牌を使用し、本位牌に入れ替えるか、お墓に入れるとの情報があります。お寺のお坊さんに相談した結果、白木の位牌は葬儀が終わるまで、本位牌は葬儀後に使用するとの回答が返ってきましたが、納得できず困っています。
  • 私は無宗教ですが、親戚の都合で神式の葬儀を行いました。その後は仏式で供養をする予定ですが、白木の位牌に魂を入れる作業を行いたいと思っています。お経をあげるなど、魂入れのような形式的な作業を通じて故人を敬いたいのですが、お寺のお坊さんにそのようなことはやっていないと言われました。どうすればいいのか悩んでいます。
  • 管理するべき二つの位牌の処置についてアドバイスを求めています。位牌には故人の魂が入っており、神式の場合は葬儀後に本位牌に入れ替えるか、お墓に一緒に入れるとされています。しかし、お寺のお坊さんに相談したところ、そのようなことは行っていないとの回答が返ってきました。魂の入った位牌を手元に感じたい気持ちもあり、適切な処置方法に悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • noaaano
  • ベストアンサー率50% (26/52)
回答No.2

私も真言宗の僧侶です。 神道の魂入れ、魂抜きという概念は知りません。よその宗教が何をしているかは知る術もありません。 真言宗の中ですら、よその派が何をしているかはよく知りません。 それを他の宗教と絡めて聞かれたら、そもそも話が混乱して分かりにくいことでしょう。 位牌に関してですが、位牌の開眼供養というのがあります。 位牌を仏像のように見立てて、それ自体を仏にする儀式です。これ以後、位牌は仏となります。 これは、故人の魂を入れているというのではありませんが、世に魂入れと言われることもあります。 普通だと、四十九日の法要のときに同時に、本位牌の開眼供養をして、白木の位牌はハッケンして(仏様にお帰りいただいて)お焚き上げ(焼却)します。 まったく概念の違う宗教を組み合わせて考えるのは無理があります。 当方の寺なら、この場合なら引導を渡すとこ(葬儀)から、やり直さなきゃ入れません。もちろん、簡単に引導の部分だけとかで、親族も集める必要はありませんけどね。神道で葬式あげても、真言宗的には葬式あげてないのと一緒ですから。 あなたは「無宗教」というよりも、「宗教に関して優柔不断」と言い換えた方が近い気がします。あれこれ手を出さず、どこの宗教にするか決めた方が楽ですし、坊さんなんかにも失礼がないと思います。 せめて、世間のように「七五三は神社、死者の供養はお寺、結婚式は教会」くらいに

piicosan
質問者

お礼

自分がどの宗教にするのか、に芯がないというか、宗教に深く関わることをワタシは避けてきたように思います。 それは、子供の頃から母と祖母が家庭内で宗教戦争を勃発していた悲しい思い出も影響しているのだと思います。 ですが、 過去の嫌な思い出をクリアして、自らがどう在りたいのか、自分の信仰をどう考えているのか、をそろそろ向き合って考える時期なのだと、今回のことを通して感じました。 今は禅の考え方に興味があるので、これを通してこれから勉強していこうと思います。 とても勉強になりました。 回答どうもありがとうございました。

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その他の回答 (2)

  • osiegoo
  • ベストアンサー率56% (9/16)
回答No.3

No.1の方の言うとおり。 そもそも、神道、仏教でも宗派によって作法が違います。 天理か、真言かどちらかに決めましょう。 そうでないと、アドバイスのしようがありません。

piicosan
質問者

お礼

そうですね(^_^;) 父の生前の希望で天理教の葬儀を行いましたが、父の死後は自分の信仰に芯を持とうと思います。 現在は禅の考えかたに興味があるので、そこから勉強してみようと思います。 勉強になりました、どうもありがとうございました。

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  • bknachi
  • ベストアンサー率44% (31/69)
回答No.1

 神道(天理教)で葬儀をされたとの事。白木に名前が書かれているものは位牌ではなく「霊璽(れいじ)」と呼ばれ、亡くなった方の魂そのものが納まっていると聞いたことがあります。神道においては「故人のお骨」よりも「霊璽(れいじ)」の方が大事なくらい大切なものだそうです。 対して仏式で扱われる白木の位牌はあくまで本位牌が出来るまでの仮のもので、故人の魂自体は四十九日をもってどこか他の世界に行っているはずです。天理教と真言宗は「宗派が違う」というレベルではなく、チベット仏教とキリスト教くらい、全く違うものです。  元々全く違う考えである神道と仏教を絡めて「適切に」といわれても無理があるのではないですか?それぞれそれなりの修行をされてきた宗教者のお2人にネットで調べた程度の知識をぶつけても答えが出てこないのは当たり前です。 これまで通り質問者様が思うようにされるしかありません。無宗教というのはそういうものです。

piicosan
質問者

お礼

おっしゃる通りですね(^_^;) ワタシに芯がないのが混乱する原因だと気づきました 笑 ただ、今すぐ宗教を決めるというワケにも行かないので 自分と宗教との関わりにある程度の確信がもてるまで、では今、これから、どうするかというところで考えて見ました。 そこで 先日初盆の供養をしに行ったときに改めて、骨を預けているお寺のお坊さんに聞いてみました。 お坊さんによると、こういったパターン(神式での葬儀、仏式で供養などの変更希望者)は結構あるとのこと。 また、こういった場合に関わらず宗教を変える人もいるし、無宗教の人も多くいるので、その都度対応している、とのことでした。 なるほど、という感じで宗教の持つ(このお寺の持つ)多少の寛容さに安心を感じました。 お坊さんと相談した結果、今回の対処としては、二つの位牌を置いておく場所(ワタシの自宅)でお経をあげて、そこで魂入れの供養を行う、というものです。 神式の時に使ったミタマシロは、天理教のお寺で供養管理してもらうようにします。 これで一応、葬儀以降の供養の全ては落ち着きます。 おっしゃるように“バラバラ感”“思うとおり感”はやっぱり否めませんよね(^_^;) が、これが今のワタシにできる最良だと考えて、今後は自分の宗教に関する考え方をしっかり持ちたいと思います。 つらつらと書き連ねてすみません。 お返事をしながら、現状に対する自分の考えをまとめている、というようなつもりで書きました。 もしかしたら気を悪くさせてしまっていたらごめんなさい。 この度は回答いただいてありがとうございました。 とても勉強させていただきました。

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