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江戸時代の肖像画の画賛の読み方
江戸時代安永年間に描かれた肖像画の画賛の初めの部分で、肖像画の人物の紹介がなされています。「沼波○弄山諱重長者勢州桑名産也・・・・」で始まります。この○の行書体部分は、某氏の解読では「氏」と読まれました。しかしくずし字解読辞典など複数の辞書で見ても「氏」のくずし字の下部にしっかりした横直線の入った書体がありません。よく見ると「互」に近似していますが意味が通じません。この人物の号が弄山ですので、○部分は「号」の行書体かとも思いますが、横直線が下過ぎるようですし、江戸時代に「號」の略字「号」が使われていたか?などの問題がありそうです。そこで、文章で判読した場合に、「沼波氏弄山諱重長者・・・・」か「沼波号弄山諱重長者・・・・」か、どちらが適切かお教えください。 肖像画の展示に解読と併せて読み下し文も付けたいのですが、正しい読み方についての読み下し方法も教えてください。後者を適切と見て「号」は「よびな」と読み、「沼波よびな弄山いみな重長は・・・・」では如何でしょう。
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- sanjakubo
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沼波弄山は陶芸家としてはかなり有名な方のようですね。地元桑名ではかなり顕彰されているようです。 http://www.city.kuwana.lg.jp/culture_sports_and_education_article_277.html ウイキペデイアで「沼波弄山」を検索すると割と詳しい経歴が説明されています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E6%B3%A2%E5%BC%84%E5%B1%B1 これに拠ると沼波弄山の本名が五左衛門であることがわかります。「互」という字はおそらく「五」の草書体ではないかと思います。漢字三体字事典で見ると、「五」の草書体は互という字にかなり似ています。氏と読むのは無理だと思いますし、号と読むのも無理ではないでしょうか。号を使う場合なら、「沼波五左衛門 弄山と号す」と書くと思います。 推測ですが、「沼波五左衛門弄山(諱は重長) は 勢州桑名の産まれなり」と読むべきではないかと思います。 本来は「五左衛門」と書くべきところ、左衛門を省略し、五だけを書いたのではないかと思います。「者」は「は」と読みます。「弄山は桑名の産まれなり」の「は」です。
- aananzu
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説明不足でした。 写真で見た部分しか書いてませんでした。 【沼波互弄山諱重長考勢州桑名産也】 『(この肖像画は、)伊勢の国の桑名で生まれた【沼波弄山諱重長】と互いに同じであると考えよ。』 読み下すとそのままずばり、 『この肖像画は伊勢の国の桑名で生まれた【沼波弄山諱重長】という人です。』 になると思います。
- aananzu
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素人の私的判断です。 読み方として合っているかどうか判りません。 見た感じだと 【沼波互弄山諱重長考】 です。 >肖像画の画賛の初めの部分で、肖像画の人物の紹介 ということから、 『(この肖像画は、)【沼波弄山諱重長】と互いに同じであると考えよ。』 と読みました。 ここでの『互い』は、『お互いという意味の双方』で、 『肖像画と【沼波弄山】とは同じに見える(考える)。』と解釈しました。 考え方の一助になればと書き込みます。