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50代以上の方に伺います。仲の悪かった親の墓参りを強要する身内の心境って?
この質問は主に50代以上の世代の方の心境を知りたくて投稿します。50代以上とは言いましたが、コメントがあればどの年齢の方からでも歓迎します。 *** 東京にいるときは良く泊めてもらっている母方の叔母なのですが、私の大嫌いな父の墓参りに行かないのは納得できない、行かないならもう泊めてやらない、と、叔父叔母夫婦そろって交換条件を突き付けて来ました。 彼らは私が両親と不仲で徹底的に疎遠にしている事は知っています。 私の母は墓参りに関して特に何も言ってきません。 叔母の出した条件に対する私の最初の反応は、『他人の家庭の内情を知りもしないでよくも』という感じです。条件を突き付けられた当初は、まるで犯罪の被害者に向かって加害者に面会しに行け、と言われるような感じがしました。分かってもらえてないとがっかりしましたし、なんて無神経なんだと腹が立ちました。 確かに泊めてもらっているのは彼らの家なので、彼らがそうしたいのであれば彼らの自由なので、それはそれで良いのです。 別に私が迷惑で来て欲しくないからと言うわけでもなさそうで、「墓参りするかも」と示唆したら、「それならお待ちしています」とあっさり返答が来ます。 ただ、私がどうしても理解できないのは、『何を根拠にすればそこまで平然と他人の事情に土足で踏み入るような事が出来るのか』という部分です。 私は両親とは何年も顔を合わせないような疎遠な関係を大学の頃から続けていて、特に父親は酒飲みで、子供の頃から父といると気が休まらない思いばかりで、私の中で楽しい事や嬉しい事など、温かい記憶と父は全く結びつきません。 酔った時の暴君ぶりと、平常時でも突然乱暴な行動を取ったり(何か気にくわないと私の物を壊したり、暴力を示唆するような事を口走るなど)、さらには私が子供の頃には身体を触られるといったような実際身に危険を感じるような事もあったので、成人してから極力父は避けていました。夫婦仲は異常に良かったので、母は父に同調するだけで、子供の頃身体を触られた事を大人になってから訴えた時も、「お前がノイローゼなのでは」といった具合です。 私に言わせれば、そんな父の葬式に間に合うように定型でなく自作の(場にふさわしい詩のような)文章で電報を打っただけでも義理は充分果たしたと思っていますし、母もそれは「予想外の事で」嬉しかったと叔母に言っていたそうです。 私に言わせれば、これ以上どうしろと言うんだ、といった所です。 ただ、世代によっては物の受け止め方が違うので、個人の感情より冠婚葬祭のような風習が優先するような(私に言わせると昔風な)考え方が当たり前のように感じられるのかも知れません。 この辺り、叔母の行動に共感できる方、弁護、行動原理の説明が出来る方がいたらご意見を伺いたいと思います。 私が非常識だから、という投稿は避けてください。そんな事は百も承知です。 私は単に、世代感覚の違うであろう叔母の心境をもう少し深く理解したいのです。 宜しくお願いします。
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- hoonseki
- ベストアンサー率100% (1/1)
今回の問題点:強制墓お参り 要点: 実母様は、強制せず 叔母様は、強行に勧告しお参りを促す 本人様は、理不尽な環境に育ち整合性の無い 父親との関係に閉口し矛盾を感じる 意見: 叔母様は実母様に代わってお参りを促していると 考えます。 年を重ねると仏教的価値観・人生観が 憎しみを越えて慈愛の方向性に進みやすいと思われ ます。 実際亡くなられた方は 仏様である・ 自身の人生(叔母様)の仕上げが近いと憎しみを越えて 亡くなったお父様を質問者様がから憎しみの世界から 解放され許しの慈愛をもって没した方を成仏させ且つ 質問者・お父様の両方の魂を安らかにさせたい一心 かと思います。 実際: 叔母様の中では没した方ですが、質問者様の中では、 割り切れない思いが継続したままで憎しみは生き続ける 現実なのです。 【没】【憎しみ】【継続】まさに 死しても憎しみやまず・死なずですね。 解決: 亡くなれば、罪人も善人も仏では有りますが、質問者 様の憎しみを和らげるには時間が必要なので最低限の 形式的礼拝を叔母様の為に行うとし、割り切られたら どうでしょうか? 問題継続: これから 墓所管理・相続・世代交代(看取って送る) などの時は、お立場や、次世代の方にお父様との 負の遺産を残さず綺麗に渡される様にお祈りして下ります 回答者個人: 私も先代(存命)と不仲では有りますが石材業を営んでいる 関係上、憎しみはあれども没すれば皆、仏・・・ 中々難しいです。 叔母様へ礼儀と思い
- toturenzu
- ベストアンサー率31% (623/2000)
お礼欄を読ませていただきました。 質問者様にお聞きしたいことがあります。 時間の経過を体感していますか? 過去の悲しみが癒えていないのなら、時間が止まったも同然です。 なんで、面倒でお金のかかる葬儀がこうも延々と続くかと言えば、儀式儀礼だからです。 死んでも実感が湧かない、終ったように感じないのは、証拠を見ていないから、なんですね。 "彼らは私にすごく懐いて~中略~私の訪問はいつも楽しみにしてくれているのです。" いくつの甥っ子さんだろうな…おそらく幼稚園か小学校低学年以下でしょうね。 質問文を読んだ時は、少しは過去に対して向き合えるようになったから、そういう勧め方をしたのかな、と思ったのです。 でも、甥っ子さん方との関わりをもっていて、さらに有意義ともともれる捉え方をなさっていたので、気づいてしまいました。 書かなきゃいけませんか? 既に充分傷ついている人に、こんな内容は読ませたくありません。 自傷行為も続いているようですし。 身近にカウンセリングをなさっている方に、甥っ子との関わりをもっていると知らせた上で、受け入れられないのに墓参りをして来いと言われたと相談してください。
お礼
お気遣い有り難うございます。^ ^ > 時間の経過を体感していますか? 日常生活ではバッチリです。自分がどのように感じているかは、しっかり自覚できます。 > 死んでも実感が湧かない 肉体が死んだ実感はあります。他界の知らせは色んな意味で感情的に揺さぶられましたから。ただ、悪夢の頻度などは以前より悪化したように思いますが、ひょっとするとこれも自己治癒の経過現象なのかと思っています。 叔母に単に口やかましく『墓参りに行け』と言われるだけだったら、「いずれ…」と、のらりくらりかわしていたと思います。叔母にも『こう言ってもらえるくらい気に留めてもらっている』と感謝したと思います。ただ、今回は交換条件なのが痛いです。 子供達の事を考えると、状況も説明しないで間を2年も空けてしまうのはかわいそうですし、かといって『あなたのお婆ちゃんが私にこんな事をしたのよ』と言うのも小学生には不適切だと思います。まさに板挟みです。 大学で臨床心理学から社会心理学まで一通りかじった事があり、またそれ以降も日常心理学や社会学に関する書物はぽちぽち読んでいるので自分の状況はだいたい把握しています。また、自分で把握していない部分があるだろう事も踏まえています。 自傷は心の病が引き起こす行動と言うより、行き所のない感情を処理するための手段だと思っています。やけ酒するのと同じです。ただ私は下戸なので自傷が感情のはけ口になるわけです。 自傷と言っても私のは消毒液と絆創膏で済む程度ですので誰にも迷惑はかからず、やけ酒より建設的な解決法だとさえ思う事もあります。滅多にする事ではありませんが、自分の感情が行き場を失った時には溜め込まないで自傷する方が手早くスッキリします。 今回自傷するとすれば、叔母の(私から見れば)理不尽な要求に対する抗議行動という象徴的な意味も含まれると思います。行動としては『折れた』としても気持ちの上では『折れていない』を確認するにはこういう手段も有りだと思います。 今回の焦点は叔母の心理なので、私がカウンセリングを受けても決定打になるような回答は得られないと思います。(私の気持ちは少し晴れるかも知れませんが) 何にしても、心配して頂いたようで嬉しいです。どうもありがとう。
- unma
- ベストアンサー率19% (63/320)
私は30代女性ですが、60代の義母(夫の母)に、質問者様の叔母様と同じ様なことを言われます。私は実父と実祖父と確執があります。とても親(祖父)とは思えないようなひどいことを平気でする人達です。祖父にいたっては、人の皮をかぶった悪魔じゃないかと思います。絶縁まではしていませんが疎遠になっています。ですので、質問者様の心情に近いと思います。 義母は私に「縁を切ろうとか思っちゃ駄目よ。あなたも不幸になるわよ」「感謝の気持ちを忘れないでね。今のあなたがあるのは、おじいちゃん(お父さん)のおかげなんだから」と言います。 そんなとき、私はいつも反発するのですが、それでも義母の言葉は無視できません。なぜなら、義母自身も実母とうまくいっていなかったからです。 ちょっと話を聞いただけでも、義母は実母から相当辛く当たられていたようです。今までの人生の中で、数え切れないくらい、辛い思いをさせられたことと思います。 義母は、「若い頃は母親を恨んだりしたけど、自分も子供を持ち、歳を取って来ると、母親に対して感謝する気持ちを持てるようななった」と言います。そう言うときの義母の表情は穏やかで、「憎み続けるより許せたほうが、自分も幸せになれるのかな」と感じました。今は無理ですが、自分もいつかそういう風に思えたらいいな、と考えています。 墓参りを強要するのは横暴だと思いますが、叔母様も、私の義母と同じ気持ちだったのかなと感じました。 もし今後、質問者様が、お父様に対してお墓参りしてもいいかな、と思うことがあれば、それは素敵なことだと思いますし、叔母様も、それを望んでいらっしゃるのかもしれません。それはお父様やお母様のためだけではなく、質問者様が、今後の人生を恨みや憎しみに囚われず、心穏やかに過ごしていってほしい。と考えたのではないでしょうか。 もし現在の質問者様が、お墓参りでお父様にかける言葉は、「早く死んでくれてありがとう!」かな?ご気分を害されたらすみません。私の祖父は80歳を過ぎた現在でも超元気で、当分死にそうにありません。一刻も早くあの世へ旅立ってほしいと思う今日この頃です。
お礼
(続きです) > 「憎み続けるより許せたほうが、自分も幸せになれるのかな」 憎まないで済むならその方が勿論良いです。その方が人生楽しいです。でも、押さえ込んでも解決にはならないと思うので、私はとことん憎み抜いて、どこかで突き抜けるのでは、と思いながら自分の気の済むようにしています。『いつか幸せに』を当て込んで我慢した挙げ句、そういう心境に達しなかったらただの我慢のし損です。精神衛生に悪いと思います。私は「いつか」の将来を思いあぐねるより「今」を納得して生きたいと思っています。そのためには多少の衝突もやむを得ないと思っています。 > 今後の人生を恨みや憎しみに囚われず、心穏やかに過ごして 仮にそうだとしても、全くの逆効果だと気付いてもらえないのは辛いですね。 > 「早く死んでくれてありがとう!」 …です。父他界の知らせを聞いた時「やっとひとり片付いた」と思いました。物質的には普通に育ちましたが、与えてもらった物も金も、ありがたいと感謝の念が出るより、『運が良かった』『巻き上げてやった』と感じます。悲しい表現ですが、こういう風に感じます。精神的にはもう随分前から切り離されていたように思います。
補足
皆さんへ: 予想以上の回答数頂いて正直ビビリました。でも、思った以上に同感してくれる方が多かったのと、皆さん長文で回答して頂いたので、何だか元気づけられました。どうも有り難うございました。返答書いているだけでも自分の気持ちを少し整理できるような気がしたので、思ったままに書きました。場合によっては反論しているような響きがあるかも知れませんが、その辺りはご容赦下さい。反論っぽくなったのも含めて、感謝しております。 ---------------------------------------------------------------- ※以下 unma さんへのお礼ですが、文字数がオーバーするので補足+お礼で投稿します。 > 「感謝の気持ちを忘れないでね。今のあなたがあるのは、おじいちゃん(お父さん)のおかげなんだから」と言います 酷い事をされたと言っても同じ経験は出来ませんし、同じ経験でも人によって感じ方は違うのです。酷い目にあったと思えば、他の人にとっては些細な事でも本人にとっては辛い事なのです。虫の怖くない人の顔に虫が留まっても平気ですが、虫嫌いの人ならパニックになるでしょう。でも事実は『虫が顔に留まった』だけで、その後は個人の感じ方の違いだけです。 肝心なのは聞き手がその気持ちを汲む事です。たぶんあなたのお義母さんは自分の中で解決できたので穏やかに受け止められるのかも知れませんが、私が unma さんの立場で「感謝の気持ちを」なんて言われたら傷に塩をすり込んでいると感じると思います。 相手のために、よかれと思っていれば何をしても良いわけではありません。自分が解決できた事だから誰でも同じように解決できるという訳ではありません。unma さんが憎いと思う感情は unma さんの問題で、お義母さんが手本を示したからと言って unma さんが同じように解決できるとは限らないと思います。でも、相手が自分のために言ってくれていると分かっていると、その気持ちは無下にしたくないですから面倒ですよね。
No.4です。 コメントありがとうございました^^ >この一件が浮上するまで叔母とは割と意気投合していただけに、悲しいと同時に不思議でなりません。 あ、そうそう。 質問者様は、叔母様の急な態度の変化の理由を知りたいと思っておられるのでしたね。 それ、叔母様に「仏心(ほとけごころ)が出た」のだと思いますよ。 ここへきて、急に何故か? それは、「トシをとったから」です。 人間、年をとるとね、若い頃には想像だにしなかったことを、ふと、してみたくなったりするんです。 私も、自分で自分にビックリすることがたくさんあります。 でも、なにしろ「初めてトシをとる」のですから(笑)、以前は想像つかなかったとしても仕方ないかも。 叔母様は、年齢のせいで急に仏心が出たのでしょう。 「きちんと父親の供養をしなければ、この子(貴女)は極楽へ行けない。私から強く言わなくちゃ」くらいの気持になったのでしょう。 年をとると、多かれ少なかれ押し付けがましくなるんです。 (私もいつも反省してます(汗 世代によって、というよりは、「年をとったから」という理由のほうが、しっくりくるかもしれません。
お礼
> 人間、年をとるとね、若い頃には想像だにしなかったことを、ふと、してみたくなったりするんです。 > 「きちんと父親の供養をしなければ、この子(貴女)は極楽へ行けない。私から強く言わなくちゃ」くらいの気持に > 年をとると、多かれ少なかれ押し付けがましくなるんです。 どれも良い迷惑な気もしますが…私もいずれ(それまで生きていれば)そういう年頃(?)になるのだと思います。世代感覚ではなく心境の変化という部分はひとつ考えさせられます。でも、大人(年配)には下の世代の耳に痛くても彼らの役に立つような事をビシッと言ってやる瞬間も必要だと思うので、これは加減の問題だと思います。 叔母が私のために、というのは想像できるのですが、「そうじゃない」って懇切丁寧に説明しても理解してもらえないのには何となく限界を感じます。叔母のは生憎と百害あって、の口です。 私はふと叔母夫婦による子供達(6さんのお礼分参照)に対する見せしめなのか?と思ったりもしました。『目上を敬わない人間を容認しては子供達に悪影響』とか。でも、これって結局自分たちの都合の良いように子供達の意識を操作しているだけで、大人の人格評価を子供達の判断に任せないズルさがあると思います。
- dakedakepuru
- ベストアンサー率20% (1260/6200)
50代ではありませんが、私の親世代に当てはめて考えてみました。 姪甥とのつながりよりも、兄弟夫婦のつながりの方が濃い気がします。 兄弟夫婦と叔父叔母とは同じ世代だから余計に父親の立場になると・・・ というのもあるでしょう。 たとえどんなヒドいことをされたとはいえ「冠婚葬祭」においては たとえ義務的でも行くことを良しとする世代でもあるでしょう。 >私の母は墓参りに関して特に何も言ってきません。 と言ってますが、お母様は叔母様・叔父様にあなたの知らない所で 何かしら愚痴を言ってる可能性もあります。 今回いきなりそういうことを言ってきたのも、母親からの話の流れで 「娘は行ってない」ということが発覚したから=非常識な姪 扱いされたのかも知れません。 私は全然あなたが非常識とは思いません。 叔父叔母の意識なんてあなたの父親と同様変えることなど不可能ですから 泊まりなんてアテにせず、疎遠にして行った方がいいと思いますよ。
お礼
> お母様は叔母様・叔父様にあなたの知らない所で何かしら愚痴を言ってる可能性もあります。 母も私との確執は身に染みて分かっているはずなので、たとえ愚痴ったにしてもまさか叔母がこんな交換条件を出しているとは思っていないと思います。母はこんな事に私がどう反応するか知っていると思います。知っててやっているなら更に言語道断です。母もそれなりに憎いので、こんな事を強要しようとする叔母に対して『やっぱりあなたにも母と同じ血が流れているんだな』と冷めた感じに思う事はあります。それまで意気投合していた叔母に対してそういう風に感じる自分が悲しいです。
- toturenzu
- ベストアンサー率31% (623/2000)
確かに親とは言いがたい言動ですね。 ところで質問者様は、お父さんがなんでそんなに酒を飲んで暴れていたか理由はご存知ですか? 成人はしてらっしゃるようなので、どんなに愚かでも、常軌を逸していても飲まなければ、理性のタガを外さなくてはいられなかった男の人生は知っておいたほうがいいです。 理解する必要はありません。 現実だけは知っていたほうがいいです。 記憶する人が生きている間しか時間は残っていません。 "夫婦仲は異常に良かった" お母様と叔母様は姉妹なので、夫を亡くして気落ちしている姉を見ています。 愛している人を亡くす、それ以上の悲しみはありません。 悲しみにどっぷり浸かった人は何かしていないといられない。 だから、せめて死んで何もできない人のために、残された自分に何かできないかと模索する。 実の子と死ぬまで和解できなかったのなら、せめて墓参りだけでもして欲しい→叔母様の交換条件付きの指導となったのでは、と推測します。 お母さんの差し金に、叔母様の良心、功徳、信心深さが加わっていると思う。 ここから下は、toturenzuからのアドバイスです。 ヘッポコ回答者だから、スルーして頂いて、かまいません。 憎い人は墓の下の土だし、もう質問者様に何か害を及ぼすこともありません。 未だに怒りが収まらないようですが、ひとまず死をもって終りです。 実際に死んだ姿を見たり、納骨される様子を見ていないから、怒りが収まらない状態が続いていると思うのです。 墓の前に立てば、もう、この世に存在すらしていない事実を実感できます。 一生許さなくてもいいし、理解しなくてもいい。 でも死んだ現実を知れば、ほんの少しは気持ちが楽になれると思う。 手合わせなくてもいいから、行くだけでもいいのじゃないでしょうか。 腹が立つなら、墓に怒りをぶちまけたって、いいと思うよ。 それで気が済むなら。
お礼
> お父さんがなんでそんなに酒を飲んで暴れていたか理由 (注:酔ってなくても突発的で乱暴でした) 自分の好きでない仕事をやっていた 元々の裏表の激しい性格 という所でしょうか。仕事と言っても中学校の教師なので、その学校が気に入らなければどこか余所へ行けばいいのです。公務員ですから食いっぱぐれる事はありません。母も中学校教師をしていたので、家族を養うために仕方なく、という要素は薄いです。私が物心つく頃から彼らだけ、あるいは私も同伴で国内・海外旅行は何度も行っています。飲酒は毎日で、酷い時はキャバクラに行ってその時の話を私や母の前で大声で自慢げにしたりと、とにかく教育者としての慎みなど感じない人間でした。 かなりの内弁慶で、電話の対応など聞いていると猫なで声なのが、一旦受話器を置くと独裁者に逆戻りです。教師を始めた最初の数年以降は生徒との関係がいつもギクシャクしていたようですが、父のそういう上辺の態度と本心の食い違いを生徒達は敏感に察知していたんだと思います。 私が高校生の時に自宅に父の教え子と思われる男の子から喧嘩腰なイタズラ電話が掛かってきましたが、『あんなのがあなたの担任でごめんなさいね』と私が謝った記憶があります。その電話はそれ一回きりでした。分かってもらえたんでしょうかね。 > ひとまず死をもって終りです 親の出てくる悪夢をまだ見ます。肉体は無くなっても呪わしい記憶は私の中で生き続けます。親の子供に対する責任ってそれくらい重いはずです。その自覚がない人達が親になるから後々苦しむ人が出てくるんだと思います。この状態で墓参りに行ったら状態が悪化しそうです。死を以て終わりならどんなに楽か。死を以て終わりなのは本人だけで、本人がとっ散らかした問題はまだ決着していません。
- tanuchi
- ベストアンサー率16% (210/1238)
50代ではありません。 >私が非常識だから…まず第一に必要ない言葉だと思います。親兄弟とはいえ、嫌なものは嫌で当然だと思います。 私は生活面を100%私に依存し続けていながら、実母があまりにも私に対して無理解すぎたために、殴りつけて追い払った経験があります。 それくらい私は経済的にも精神的にも肉体的にも追い詰められました。 実母はまだ生きていますが、死んでも絶対墓参りなど行く気はありません。葬式で思いっきり罵ってやると決意しているくらいです。冗談でも大げさでもなくそれくらい侮辱され続けたんです。精神的虐待とでもいえばいいような扱いばかりされ続けたんです。これを非常識、異常だと言えるのは、その中身を知らない人たちだからです。当事者にすればそれくらいの怒りが渦巻いているのですからね。PTSDまさにその通りです。 墓参りが嫌ならばまず第一にその叔父・叔母の家に厄介になるのを断ることが最初でしょう。そしてそれくらい嫌な思いをさせられてきたんだと改めて話されてみてはいかがですか。時間が経ったのだからもう水に流せと言う意味だろうと思いますが、まだ自分は許せないと伝えてみてはいかがですか。お母さんにも話してもう少し時間が欲しいと話を添えてもらってはどうですか。
お礼
> 追い詰められました。 「親は絶対」という観念が当然のように受け入れられている社会で悪い親を持つと家庭内では酷い目に遭い、外でその苦しみを訴えると罰当たりと蔑まれ、当人の苦しみが倍増すると思います。 「許してやれ」という意見も分からなくはありませんが、理不尽な事をなあなあで受け入れてしまうのは弱さだし、それを水に流してしまうのはある意味で無責任だと思います。人間どこかでけじめをつけないと、自分を保つ一線が引けないと思います。 「親だから」というのはまやかしです。私も5さんと同感で「親のくせに」子供に殴られるような関係しか作れなかった、と捉えるべきだと思います。そのくらいの気概がない人は親になってはいけないと思います。 tanuchi さんは正しい事をしたと思います。 私は生みの親こそ『お父さん、お母さん』と慕う気持ちになりませんが、その分、身内でも他人でも、自分が世話になっていると感じる人達には惜しみなく感謝するようにしています(よりかかるのではなく)。ある意味で出会う人、社会全体が親のような物です(例えばこの記事に返答くださる方々)。そういう発想のつきあい方を始めてから世界が広がったと思います。だから子供達(6さんのお礼参照)にも私が出来る事は惜しまずしてやろうと思うのです。そうは言っても感情的に整理が付いていないので、ここであれこれ模索しているわけです。 お互いに親から受けた仕打ちを埋め合わせるくらい充実した人生を目指して頑張りましょう。結果の善し悪しではなく、目標に向かって頑張る事に意義があると思います。
- yukinoo
- ベストアンサー率50% (10/20)
50代以上です。子どもを育て上げ、波風ありますが世間一般的な人生を歩んでいます。 私はあなた様の叔母上の心情も、まことに世間一般的な気がします。 私たちは(多分あなた方も)親や子供、家族は大事と、ある意味 刷り込まれて育って来たと思います。 それは何故か?とか、その意義とか、そういう説明とは別に 感情(心)の中に刷り込まれて来たのかも知れませんが。 ただ子を持って思うのは、人間の営み、そしてこの命の中に脈打つもの それら全ては私だけのものではなく、綿々と後世に引き継がれていくもの・・・ なんだなぁ と言う事です。 叔母上もそうした感情から、あなた様に今回の発言をなさったのではないでしょうか。 理屈とは別に親子・兄弟・親族の繋がりは、ルーツが同じという事で大きな意味での 一心同体と思われているのかも。 ただ、あなた様と言う一人の人格を、やや無視されている気はしますが そういう大人、50代以上は多いのかも知れません。 記事の内容から、ずいぶん辛い経験をされたと思います。 本来なら何があっても子ども側に付くであろうお母さまも、お父さまと 肩を並べていたとのことですから、失望もきっとあったでしょうね。 私も実父とは上手く行きませんでしたので、多少は理解できます。 ただなんと言うか、冠婚葬祭、特に葬の部分では自分の中でどうあろうと 故人との関係の一区切りとして、見送る事は必要ではと思えます。 叔母上の発言は、お墓参りもその一連で考えて(感じて)のことだと思います。 お父さまに心からの弔意を持って、メッセージを送ったのですから あなた様は自分なりに、故人との関係を納めたと思います。 お母さまも納得しているのでしょうから、何も問題は無いのでは? 叔母上の気持ちは今のあなた様には、根本から理解できないのかも知れません。 もっと時が過ぎ、叔母上と同じ年代に立った時に見えてくる事も きっとありましょう。 叔母上も、他人の事情に土足で踏み込んでいる意識は無いでしょう。 それは価値観という言葉で、説明できるかも知れません。 とは言え、もう少し深く理解したいというあなた様の考え方には、とても好感を持ちます。 私はこの年代になっても、物事の真実がはっきり見えて来ません。 未熟者ですから、もう少し深く、あと一歩先に、思考を巡らすように ありたいと常に思っています。 そういう思考を繰り返していく内に、真意を知ることが出来るのではと 感じます。 これからも是非、違いを世代感覚=昔風と、ひと括りに遠ざけないで 欲しいなと思います。 辛かった経験は、自分の生きる糧になっているはず。 反動でも、糧は糧です。 最終的に自分が、幸せな人生だったと思えればそれで良いのです。 昔の知り合いに、親友同士で大ゲンカした人がいます。 お互いにこれから先は行き来無し!と、取り決めたそうです。 でも、一方の人の親が亡くなった時、もう一方の人はお葬式に行きました。 いくら出入り禁止でも、葬式は別。と、神妙に言っていました。 若い私は、非常に感銘を受けました。 故人との関係は、感情を超越するものなんだと。 くだらない意見で長々と、失礼しました。
お礼
(上の続きです。) >いくら出入り禁止でも、葬式は別。 私にとっては電報を打ったのでさえ『最期の一回だから、これっきりだから』と自尊心を曲げに曲げた出血大サービスのつもりだったのですが、叔母にはそれが分からないようで残念です。精一杯の努力を考えなしに踏みにじられたようで辛いです。墓参りに行く事を検討していると伝えたら、私の意向も聞かずに「一緒に行くつもりだ」と言われた時は本当に呆れてしまいました。情けなかったです。人ってこんなに鈍感でいられる物なのですかね。 6さんのお礼に書きましたが、墓参りに行かなければならないもう一つの理由があります。でも行ったらそのあと自傷すると思います。そうでもしないとやっていられないという事はまだ気持ちの整理なんか全然付いていないのだと思います。本当に納得のいく人生をあと何十年か過ごせたら落ち着くのかもしれませんが、残念ながらまだそれどころではありません。
補足
>まことに世間一般的な 確かに叔母の家庭は「暴力」といっても叔父が従兄弟達の頭をゴツンとやるくらいだったらしく(握り立てた中指が当たってすごく痛いらしいですが)、成人した彼らも用が無くても家族連れで実家を訪れる辺り、彼らの心理に私が自分の親に抱くような根源的な恐怖感は存在しないのだと思います。 母方の祖父母は私をとても可愛がってくれましたし、年に何回か身内全体で集まる事もある比較的円満な家系だったので、叔母の幼少も穏和な家庭環境だったのだと想像します。そんな普通な家庭しか知らない叔母には、私が抱く親に対する根強い恐怖感や憎しみは理解できないのかも知れませんね。 私の父が何かする時は、とにかく父の気の済むようでないと父はすぐ不機嫌になり、外出で手を繋ぐにしても、父が手を繋ぎたい時に私が一人で後ろをトボトボ歩いていると『おい!手をつなげ!』と脅すような口調で一喝する始末で、「お出かけ」の楽しさなんか吹き飛び、いつ爆発するか分からない不発弾と手を繋いでいるような緊張しか記憶に残っていません。行楽の度にこんな調子で、嫌な思い出ばかりが残ります。 子供は心理的に自立していません。その子供にとって、脈絡なく爆発する親は恐怖の対象であり、しかも子供の生活面を支配している存在なので頼らなければならず、こういう二重束縛みたいな関係は大人の不仲以上に深い傷を残すと思います。子供には『なら結構』と立ち去る自由がないのです。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
心が伴わない墓参りなど、形式美ですから、質問者様のご判断で構わないと思います。 ただ叔母様は、親族の年長者として、社会的,一般的な視点で、質問者様を、教育しようとなさっておられるだけだと思います。 墓参りと言う行為は、形式美でも「美」ですから、もちろんやって悪いことでは無く、どちらかと言うと、やった方が良いコトです。 また、許せない人を許せる気持ちを持つ人格と言うのは、一般的には優れた人格とされるでしょうし、それが親子であれば、是非、許す気持ちを持って欲しいという、身内として切実な願いではないでしょうか? 質問者様からすれば、内政干渉のお節介でしょうけど、叔母様は、それが良いことと考えて、善意と質問者様への愛情を持って提案なさって居られると思います。 質問者様も悪意に捉えず、叔母様の善意・愛情と理解して、まずは『私のために提案してくれてありがとう。』と言う感謝の気持ちも表しつつ『でも、まだ今は墓参りする気は無い』と、お話なさっては如何でしょうか? あるいは、質問者様も叔母様に対し愛情があるのであれば、それこそ形式美と割切り、叔母孝行と思って付き合っても良いと思いますヨ。 行きたくない場所があるなんてのも、未だ憎しみの感情がある故人に、行動や心理を束縛されていると言うことですから。 叔母孝行と言う別の心情で、故人には冷ややかな気持ちで、墓と言う名の石材を見物出来れば、故人の呪縛から解放されるかも知れません。
お礼
> 墓と言う名の石材を見物出来れば その手があったか!^ ^ 万一墓参りに行く羽目になったらそう思う事にします。適当な値段シール貼ってこよう。 叔母のも意図的な悪意でないことはよく分かっているのですが、あれだけ散々説明してなぜ分からないのか、とか、よその家の内情を知りもしないであんな事を言える行動原理は一体何だろう、という疑問の部分が大きいですね。呆れもあり、怒りも失望もありますが、叔母が憎いかと言われれば「そんなに」ですね。憎いのはそもそもの原因を作った親です。 皮肉なのは、叔母がよかれと思ってやっている事が、逆に私の親に対する憎しみを増幅させているという。今母に会ったら『あんな電報打って損したよ』と言ってやりそうです。母は私からは何も期待していなかったらしいので電報には喜んでいたらしいですから、こんな形で否定されたらどう思うんでしょうね。 叔母孝行するのが嫌なわけではありません。ただ、まだ他界した親に対する感情が生のままなので、条件を呑むのは煮え湯なのです。そして、それを分かってくれない叔母に苛立ちは感じています。(すると更に親が憎く…の悪循環)
- tengenseki
- ベストアンサー率25% (161/638)
私の親族、知人の中に、あなたの叔父・叔母さん方 のように主張される人を思い浮かべることは出来ません。 次に叔父・叔母さんのお考えを勝手に想像してみます。 ・叔母さんから見れば、愛する(夫婦仲が異常によかった) 夫を無くした姉が可哀想。娘が墓参り行ってくれれば、 姉も癒されるだろうにとの思い込み。 ・死んだらみな仏。死者に鞭打つな。 ・父への恨み、怒りを背負っているあなたから、その業 を除いて達観した安らかな気持ちで生きていってほしい。 ・あなたの父方親族に対する世間体(何故、女房とその妹 夫婦は娘の非常識を放任していると思われたくない)。 いずれにしろ叔父・叔母さんはあなたが嫌いではない。 ですから、あなたから彼らを怒らすことは避けましょう。 でないとお母さんも悲しまれます。しかし、あなたには 彼らの言葉に従ってほしくない。泊まれませんが、当分の間 冷却期間としましょう。
お礼
おっしゃる事の大半が混在しているような感じです。世間体もあるでしょうし、姉への気遣い(のつもり)もそうですし、(向こうの一方的な思い込みとは言え)私に対する教育的指導も含まれているようです。彼らは一応仏壇を祀る程度には仏教徒のようですし。 …ただ、当人はそんな事全部ひっくり返せるくらい感情的にはまだ煮えているのです。そこの部分を分かってもらえないのは残念です。 条件を突き付けられたのは半年くらい前ですが、その時に墓参りなんか行っていたら墓石を倒してきたと思います。それが無理でも卒塔婆をへし折るとか、水差しを割るとか何か器物破壊を行ったろうと思います。 そこまで『嫌だ!』と思う気持ちが他の人に伝わらないのって切ないです。
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お礼
* * やはり叔母は私の母を思ってやっている事なんでしょうね。そのこと自体は理解できますが、どんなに言っても私の親子関係を勘定に入れてくれない辺り、叔母の目の前で母と喧嘩でもしてみせないとダメなのかも知れません(笑)。 こういう善人ぶった押しつけがましさが相手にとってどれほどの苦痛になるか、自分が他の人に同じような事をしないよう自戒するための参考例にはなりますが、だからといって自分の苦痛が和らぐわけではないのがやるせないですね。 >綺麗に渡される様に 本当にそうですね。 円満だった母方の親族も、祖父母の死後、遺書がなかったために墓の管理と相続の分配でモメてしまったようです。今でも冷戦状態なのかな? 以前は「大人」だと思っていた人達がこんな事で争うのを見ていると、遺書を残さなかった祖父母も、争っているその子供も「馬鹿だなあ」と思います。 遺書は30才以上の世帯持ちには義務にしたら良いのに、などと思ったり。 私は身辺の変動が激しく今はバタバタしていますが、一旦落ち着いたらすぐ法的に有効な遺書を作ろうと思っています。
補足
皆さんへ、質問を締め切りますので最後に: --------------------------------------------------------- 沢山のご意見、本当にどうも有り難うございました。頂いた回答はどれも貴重なので、今回は特定の方だけ評価する形になってしまうポイントは無しで失礼させて頂きます。 皆さんの回答を拝見し、自分の中で消化し、お礼を投稿するという作業のおかげで、もう少し自分の中に強さを感じられるような気がしてきました。 なにせ、本来一番身近であろう身内との関係がこんな風にこじれているので、時々人生って本当に四面楚歌だなあと頼りなく、また情けなく思う事がありますが、世の中には私の考え方に共感してくれる人もいるんだと知るだけでも辛さが随分和らぎます。 普段の私は自信もあり、押しも強く、冗談が好きで、理由があれば上司とでも平気で言い合いをするような元気者(演技ではなく)なのですが、家族関係においては精神的に孤児のような状態で、それを周囲に理解してくれる(できる)人が居ないので、今回のような状況になるといとも簡単に足元をすくわれてしまいます。 皆さんのおかげで足元が少し固まったような感じです。^ ^ ------墓参りは行くと思います。 子供達のために行かなくてはならないと感じます。 彼らはすでに離婚で母親を失うという寂しさを抱えて生きなければならないので。 私はたとえほんの少しでも、彼らに楽しい思い出を作ってあげたいのです。 墓参りは行くとすれば今年の11月頃を考えているので、もう暫く悶々とした日々が続くのでしょう。 でも本番までには涼しい顔して「石材見物」に行けるように、出来る範囲で心の準備を進めていこうと思います。 ご縁がありましたら(こんなシケた内容じゃないと良いんですが)またどこかで…。