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第2次世界大戦とその後の日米の良好な関係
日本はアメリカと戦争をして原爆も落とされた事があるのに、戦後の日本とアメリカはなぜ良好な関係が続いているのですか?
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現在の日本国憲法を作らせたのがGHQだからです。 つまり日本を生まれ変わらせたのはアメリカということ。 私はあえて子供向けに極論を言いましょう。 子供にもわかり易く極めて簡単に言えば、 アメリカに「もう武器を捨てろ。武装なんかしなくても今度からアメリカが日本を守ってやるから。そのかわりアメリカが困った時は協力してくれよな。今日からアメリカと日本は兄弟だ。」と言われたようなもんです。 日本のメリット ●アメリカには日本を再生させる力がある。 ●アメリカの高い文化や経済や科学を取り入れ日本の急成長が可能。 ●弱体化した国は世界最強のアメリカ軍が守ってくれる。 アメリカのメリット ●日本は歴史的にも文化的にも潰しには惜しい国だった。 ●軍隊のアジア拠点が欲しかった。 ●経済的にもアジアに頭の良いビジネスパートナーがほしかった。 ●潰せば反感を買うが、生かせば恩を売れる。 事実、日本は敗戦国なのにもかかわらず、かなり優遇され短期間で戦勝国と肩を並べています。もちろん経済成長は日本独自の努力のたまものですが、惨敗した国がここまで各国からイジメられずに成長できたのはアメリカの舎弟になったおかげでもあります。しかし、子分ではなく兄弟分なので兄貴に物言いもしますし、筋が通れば頭を下げさすこともできますが、基本的には大恩人である「アメリカ兄さん」を立てないといけません。 最初は抵抗もあったでしょうが、アメリカという国を知れば知るほど 日本は仲良くならない理由は見当たらないのです。
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- mrbear
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簡単に言ってしまえば、良好というより利害の一致とも 思えます。仲良くしておいた方が互いに良いと・・・。 確かに原爆を落とされてたくさんの人が亡くなりました。 でも、アメリカの人も大戦でたくさんの人が亡くなっています。 大切な人を亡くした悲しみは同じだと思います。 その上、憎み合うというのは悲し過ぎます。 私は長崎出身で原爆についてもいろいろ学びました。 被爆者から直接お話を伺ったこともありますし、 被爆地や原爆資料館などにも小学校の行事で行きました。 それで私が感じ取ったものは、憎しみというより悲しみでした。 長崎では「長崎を最後の被爆地にして欲しい、これ以上 自分たちと同じ悲しみを味わう国を生み出さないでほしい」 と核兵器反対の運動をしている人がいます。 戦争を経験した人の中にはアメリカを憎んでいる人もいるかも しれませんが、憎しみでは前に進めないと思います。 簡単ではないかもしれませんが、利害など関係なくアメリカと 良好な関係を築けたらと思います。
お礼
仲良くしておいた方がお互いにとって良いからですね。ありがとうございました。
- bismarks05
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>日本はアメリカと戦争をして原爆も落とされた事があるのに、戦後の日本とアメリカはなぜ良好な関係が続いているのですか? 質問者さんを始め、多くの人が日米関係は良好だと決めつけていますが、本当のところは微妙な時期が多々あります。 日米関係を安全保障体制に集約して考えれば、良好とも言えますが、それは一面的なものでしかありませんし、極めて見方として歪んでいるとも言えます。 例えば、80年年代からバブル時期の日米経済関係は、日米防衛摩擦として大変危機感が強い状況が続きます。 日本側からすれば、貿易優位であるので良好と思い込めるのですが、当時のアメリカ国内の日本の嫌悪感は、反日運動が隆盛し、国旗の焼き打ち・日本製品のボイコット運動などが盛んに行われます。 他にも防衛関係でも、FSX(F-2支援戦闘機)での介入など良好とはいえない政治局面は多発していますので、一概に良好とするのは健全とは言えないでしょう。 良好と日本側が思い込んでいる部分が多いこともよく考える必要があります。 行政規模で日米関係が良好なのは、単純に経済の相互依存関係が強く、軍事のアメリカ依存度が高いことから判定されるもので、大局的には理解できますが、微細はかなり対立軸が見えてきます。 単純に、 「アメリカとの外交関係を基軸にした外交が自由主義陣営としては避けられない選択肢である」 ことが良好である理由でしょう。 現実に、自由主義陣営各国とも一定のアメリカとの距離感を維持していますので、日本に限ったことではないでしょう。 良好というよりも、相互依存体制という国際協調主義の産物でしかありませんし、それ以外の選択肢がないほどアメリカの影響力が大きいからこそ、良好と思われる関係を維持しているだけのことです。 「大きなものには巻かれろ」という諺通りでしょう。 こんなことを言っておきながらも、日本は反米的政治行動が多い国の一つです。 例えば、自由主義陣営でも早くからキューバとの外交関係を樹立したり、中華人民共和国政府との接近もアメリカよりも早い上でに、中華民国の取扱いもアメリカの意向に反していたりします。 日本人からみれば、日米関係は良好と思われるでしょうが、米国人のかなりの人間には、日米関係は健全ではないと思っている人もかなり潜んでいます。特に、安全保障分野での日米関係の不健全さは、 「片務的集団的自衛は国際法上に想定されないナンセンスな概念である」との批判含めて説得力があります。 早い話が、日米関係は、いい関係だと日本側だけが思っている状況というのが現実だと思います。 ちなみに、回答者の中にGHQ統治の影響を指摘する人もいますが、これは拙速です。 政治環境として米国依存度の社会体制は、同時代においては回避しえない選択肢であり、社会主義陣営という選択肢は不可能に近い状況です。 従って、GHQでなくとも、米国依存の必然性から、日米関係が導き出せますから、戦後統治は必要条件とは言えないでしょう。
お礼
長いものには巻かれる方が良いからなんですね。ありがとうございました。
戦後GHQが世の中を良いほうに変えてくれたという事です。 財閥解体による搾取階級の排除。農地改革による大地主の解消、及び小作人への農地の供給。 これらは226事件の青年将校の果たせなかった理想でもあり、GHQが代わりにやってくれたのは皮肉な事です。 民主主義の導入。 婦人参政権。憲法改正の強い示唆、国民主権、戦争放棄。 ストライキ権を労働者側にも認める。選挙投票権をすべての国民に認める。 新しい文化文明の導入と現金な国民性。 先日まで「打倒、鬼畜米英」だったのが、今日からは「ハロー、ハロー、ソールジャー、ウエルカム。」と柔軟な対応ができる国民性です。 配給された臭い脱脂粉乳も給食でよく飲まされました。シラミ退治のDDTの人体への無料散布。その他色々な食糧援助、ありがたい事です。(笑) 私の母などは、鍋に付いたチョコレートをアメリカ兵士が手招きして姉と一緒に舐めさせてくれたそうです。(後で軍曹に怒られたらしい。) サンフランシスコ条約で一応、新生独立国家として認めてくれた事だし、朝鮮戦争では特需にわきました。昭和30年に入ると「もはや戦後ではない。」と言わしめました。 もっとも私は戦後11年して生まれていますから、当時のことは知らないけれど、子供時代に印象に強いのが電気製品の導入です。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、特にテレビではアメリカもの番組が多かったですね。「名犬ラッシー」「ララミー牧場」「コンバット」「ポパイ」「トムとジェリー」「ディズニー」「三馬鹿大将」「ルーシーショウ」「奥様は魔女」と挙げればきりがありません。 アメリカ人は夫婦円満で犬を必ず飼っていて、子供はクリスマスには豪華なプレゼントがもらえる。 アメリカは自動車がたくさんあって、ハイウェイが発達して凄い国だ。 薬臭いコカコーラを初めて飲んだのも、この頃だったでしょうか。 完全に毒されていたのですね、いや楽しかった。 こんな素晴らしい国、アメリカに敵意など持ちようがありません。 こういう文明に接すると、もう後戻りは出来ないのです。どの国でも。 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」、冗談じゃありませんテ。 私は広島市生まれの広島市育ちですから、原爆の恐ろしさについては他の都道府県(長崎県を除く)の生徒よりもよく教えられてきた方でしょう。歌もありました。 「嵐に耐えて芽を吹いた、草木は町の命(力?)です。平和を願うヒロシマの~」 もっとも当時の悲惨さは写真や資料で知るしかなかったのですが、その形跡はわずかに見ることはできました。 川に張り出して建てられた「原爆スラム」バラックですね、一応違法占拠です。そこから通って来る生徒もいました。 小学校の担任だった尾形静子先生の体に残るケロイドの跡。一生独身の先生でした。「私は生きた標本です。」とは先生の言葉です。 今は原爆スラムもなく、先生も40年近く前に亡くなりました。 原爆資料館における感想ノートにも、アメリカに対する恨み言は少ないようです。むしろ外国人の方が、その事について不思議に思うようです。 原爆を食い物にする団体もあって、あさましい限りです。
お礼
アメリカ文化が楽しく思えたのですね。ありがとうございました。
- tanuki4u
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日本スタンス 戦前の日本の主要市場は中国、それがアクセス不能になったので、アメリカを頼るしかない。 アメリカスタンス 対ソ連戦略で、最初は中国をアジアにおけるパートナーと考えたが中国が親ソ連になったので、太平洋を挟んだアジア側にパートナーが必要になった。 「ずっと」 ずっと続いているのは、その時その時の日米の努力というか策謀だな。 日米 日米が競争関係になったのはほんの十年ちょっと。独仏は二つの大戦の主敵であります、それも20世紀の前半で。その前の19世紀後半も晋仏戦争をやらかして領土の取り合いをしています。こんな犬猿の仲でも戦後上手くやっています。原爆の一つや二つなど国益の前には無視されます。
お礼
その時その時の日米の策謀なんですね。ありがとうございました。
- tengenseki
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理由 (1)敗戦で国民の目が醒めた。 -1 鬼畜米英に負けたら、男は殺され女は凌辱されると 思わされていたがそうではなかった。終戦後の餓え を助けるなど親切な面もあった。 -2 民主主義を実感し、価値あるものと認め、米国に習って 守っていくべきと思った。 (2)米国の圧倒的な力(富、技術、軍事力等)の前には、共産圏 以外は世界中どの国も逆らえなかった。 -1 米国の反共主義は、皇室を有する日本も戦前から同じ 価値観ゆえ冷戦時代の外交は米国追従で違和感なし。 -2 歴代政府は米国と有効を基本として国を運営、過去かって ない繁栄を実感した。 原爆は国際法違反は明白だが、過去どの戦争にもどの軍にも 勿論日本軍にも程度の差こそあれ、残虐行為はある。又原爆で 日本の終戦決意を早め、本土決戦による更なる犠牲を避けられた とする米国の主張も一理ある。従って原爆が米国との友好関係を 明らかに阻害する要因にはならない。
お礼
日本国民の意識が変わったり、アメリカの圧倒的な力に逆らえなかったのですね。ありがとうございました。
都市国家ローマとの戦争に敗れた相手はどうなるかというと、 ローマの被支配者となるのではなく、支配者の一員として統合されて、 ローマ市民とおなじ市民権を得ました。 アメリカは、このローマ式で日本を統治しました。 アメリカ人が享受している民主主義と自由主義を 日本人も享受できるようにする。つまり、 日本人をアメリカの一員として遇したのです。 それで勝者と敗者でありながら、 良好な関係が成立しました。
お礼
アメリカはローマ式で日本を統治したのですね。ありがとうございました。
- Yelm
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例えばベトナムはアメリカからベトナム戦争中に「第二次大戦において全世界で使われたものより多量の爆弾」を落とされましたが、国交回復して以降、親米的な政策をとっています。 外交の格言として「国家には真の友も敵もいない。ただ国益だけが永遠である」というのがあります。 戦後の日本にとってアメリカと良好な関係を築くことが国益だったということに過ぎません。
お礼
国益だったからですね。ありがとうございました。
- gh3443
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何をもって「良好」と見るかは人それぞれですが、確かに悪い関係ではないと思います。 ただ、一見日本とアメリカは対等な関係のように見えますがそうではありません。 あくまで日本は第二次大戦での「敗戦国」なのです。戦争で負けた時にアメリカの植民地、領土とされてもしかたがなかったのです。 そこを、お互いがいろいろ話し合った結果、日本という独立した国家のままでいさせてもらえる事になったわけです。 これはいわばアメリカのお情けです。お情けをかけてもらった以上、それなりの代償を支払わねばなりません。 日本のあちこちに日本がお金を出してアメリカの基地を置き、湾岸戦争もイラク戦争も日本は全面的に支持をし援助しました。 その他様々な局面で日本は常にアメリカを支持する側です。海外で「日本はアメリカの犬」と言われる所以です。 時には日本もアメリカに強い事を言うような場面もあります(BSE牛肉問題等)。でも我々の目に見えない政治の裏の方ではもうズブズブです。アメリカの言いなりなんです。 一見対等で、「良好な関係」ですが、実際の所は日本はただのアメリカの事実上の「従属国」に過ぎないのです。
お礼
日本はアメリカの従属国であり、アメリカからお情けをかけてもらったので、その代償を払っているのですね。ありがとうございました。
- wsws
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戦争の責任を軍、軍の一部とすり込んだからです。 公務員の無責任、マスコミの煽りを糾弾されることなく逃げきりました。 戦争も原爆も他人事としたので物資を与えてくれるアメリカになびいたのです。 これがアメリカの戦略でそれに迎合したのです。
お礼
物資を与えてくれるアメリカになびいたのですね。 ありがとうございました。
お礼
大恩人である「アメリカ兄さん」なんですね。ありがとうございました。